「イザヤの黙示録」
5. 「イザヤの黙示録」
【聖書箇所】イザヤ書24~27章、32章1、15~18節
ベレーシート
●24~27章は「イザヤの黙示録」(幻=ハッゾーン:חֲזּוֹן)とも呼ばれ、ヨハネの黙示録で記されている内容と重なっています。ですから、ヨハネの黙示録6~19章の内容についての知識がないと、読み解くことは困難です。私たちは神のご計画の全体像について学ぶ必要があります。十字架と復活の福音にあずかるだけでは、それを知ることができません。使徒パウロが「神の恵みの福音」と「御国の福音」を明らかに意識して宣べ伝えたように、私たちもそのことを意識して知る必要性があります。そうでなければ、聖書のさまざまなピースがただ散在しているだけで、神のご計画というパズルを組み立てることができないのです。神のご計画は不変です。旧約の預言と新約の預言は一貫してつながっています。神はすべての歴史を見通しておられるだけでなく、神のみこころを歴史という場において実現される方です。ですから、神が預言者を通して語っておられることばに耳を傾け、それを通して得られる情報を知らなければなりません。そうでなければ、おのずと偽預言者たちの語ることばに惑わされ、教えの風に吹き回され、かつさまざまな新しいムーブメントに翻弄されることになります。聖書が語る神のご計画について、真剣に学び、神の視点をもって検証する力を身に付けなければならない時代を今や迎えているのです。
●イザヤはその生涯のすべてをユダのエルサレムで過ごした人ですが、全世界的・全歴史的展望をもって神のことばを預言した預言者です。そのイザヤが「その日(その日には)」(バッヨーム・ハフー:בַּיּוֹם הַהוּא)という語彙をもって語る内容は、歴史における「終わり」の時、つまり終末に起こる出来事を指しています。この語彙はイザヤ書の中で47回使われており、今回取り上げる24~27章の範囲でもそのうちの7回使われています。ちなみに、2章2節に終末を意味する「終わりの日に」(ベアハリート:בְּאַחֲרִית)という語彙が使われていますが(イザヤ書ではこの箇所のみ)、旧約では全部で11回、新約では8回使われています。「見よ」(ヒンネー:הִנֵּה、およびヘーン: הֵן)も同様に終末を表す語彙です。使用頻度は「ヒンネー」が1061回、「ヘーン」は125回です。今回は「その日」、および「見よ」(ヒンネー:הִנֵּה)の語彙をキーワードとして、24~27章に記されている「終わりの日」に起こる様々な出来事のピースを六つにまとめ、さらには32章にある「ヘーン」(הֵן)の「見よ」と、終末用語である「ついに」を意味する「アド」(עַד)から、メシア王国のすばらしさを見てみたいと思います。
【新改訳2017】ヘブル人への手紙11章1節
信仰は、(神が)望んでいることを保証し、
目に見えないものを確信させるものです。
1. イザヤ書24~27章に見る「その日」の出来事
(1) 全地に対する神のさばき(自然災害)が起こる
【新改訳2017】イザヤ書24章1~4節
1 見よ。主は地を荒れ果てさせ、その面をくつがえして、住民を散らされる。
2 民は祭司と等しくなり、男奴隷はその主人と、女奴隷はその女主人と、買い手は売り手と、貸し手は借り手と、債権者は債務者と等しくなる。
3 地はすっかり荒れ果て、すべてかすめ奪われる。主がこのことばを語られたからである。
4 地は嘆き悲しみ、衰える。世界はしおれ、衰える。地の最も高貴な人たちもしおれる。
●24章1節に「見よ(ヒンネー:הִנֵּה)。主は地を荒れ果てさせ、その面をくつがえして、住民を散らされる」とあります。4節では「地は嘆き悲しみ、衰える。世界はしおれ、衰える。地の最も高貴な人たちもしおれる」とあります。ここでの「地」(ハーアーレツ:הָאָרֶץ)は全世界(全地/テーヴェール:תֵּבֵל)と同義であり、全世界の宗教、政治、経済のシステムを意味しています。神のさばきは社会的地位や富の有無にかかわりなく、あらゆる社会の階層に及びます。ちなみに、4節の「嘆き悲しむ、衰える、しおれる」はすべて預言的完了形で記されています。つまりそれは必ず起こることを意味しています。サタンが与えるこの世の繁栄は、終わりの日には最大となりますが、その崩壊は一瞬にして(ㇾガ:רֶגַע/ミア・オーラ:μιᾷ ὥρᾳ)起こります(黙示録18:10, 17, 19)。
●ヨハネの黙示録6章から始まる神のさばきにおいて、まず七つの封印が解かれ(6章)、七つのラッパが吹き鳴らされ(8, 9, 11章)、そして神の憤りの七つの鉢の中身が注がれます(16章)。それらのさばきの規模も最初は全地の1/4ですが、やがて1/3に、そして次第に激しさを増して拡大して行きます。つまり、キリストの空中再臨後の七年間におよぶ大患難時代に起こる戦争と自然災害によって、「地はすっかり荒れ果て、すべてかすめ奪われる」(イザヤ24:3)のです。「すっかり荒れ果て」と「すべてかすめ奪われる」には、同じ語彙の「不定詞」と「未完了形」を重ねるという修辞法が使われており、「必ず、確実に、すっかり、すべて」起こることを意味します。これらはすべて人間の罪(偶像礼拝)に対する神の憤りとしてのさばきであり、多くの者たちが殺され、世界の人口は激減します。24章18節後半~20節にこう記されています。
【新改訳2017】イザヤ書24章18b~20節
18 ・・・天の窓が開かれ、地の基が震えるからだ。
19 地は割れに割れ、地は破れに破れ、地は揺れに揺れる。
20 地は酔いどれのようによろめき、仮小屋のように揺れ動く。
地の背きはその上に重くのしかかり、地は倒れて、再び起き上がれない。
●大患難の特徴は天と地に大異変が起き、大災害がもたらされます。今日、人々は地震や異常気象を自然災害と呼んでいますが、大患難では災害は自然に起こるのではなく、背後に神の警告と神の憤りがあることが明らかにされます。しかし多くの人々はそれでも神に立ち返ろうとはしないのです。そして黙示録16章では、第七の御使いが鉢の中身を空中に注いだのです(17節)。
【新改訳2017】ヨハネの黙示録16章18~21節
18 そして稲妻がひらめき、雷鳴がとどろき、大きな地震が起こった。これは人間が地上に現れて以来、いまだかつてなかったほどの、大きな強い地震であった。
19 あの大きな都は三つの部分に裂かれ、諸国の民の町々は倒れた。
神は大バビロンを忘れず、ご自分の激しい憤りのぶどう酒の杯を与えられた。
20 島はすべて逃げ去り、山々は見えなくなった。
21 また、一タラント(=約34kg)ほどの大きな雹が、天から人々の上に降った。この雹の災害のために、人々は神を冒瀆した。その災害が非常に激しかったからである。
(2) 主は天の大軍と地上の王たちを罰せられる
【新改訳2017】イザヤ書24章21~22節
21 その日、主は天では天の大軍を、地では地の王たちを罰せられる。
22 彼らは、囚人が地下牢に集められるように集められ、牢獄に閉じ込められ、何年かたった後に罰せられる。【新改訳2017】イザヤ書27章1節
その日、主は、鋭い大きな強い剣で、逃げ惑う蛇レビヤタンを、
曲がりくねる蛇レビヤタンを罰し、海にいる竜を殺される。
●「その日」は、神に逆らう人間たちだけでなく、人間を神に逆らわせようとするサタンとそのしもべである悪霊たちに対するさばきが執行される日でもあります。黙示録12章では全世界を惑わす者(悪魔=サタン)と彼の使いたち(悪霊たち)がともに地に投げ落とされたことが記され、黙示録20章では地上に落とされた悪魔は御使いによって捕縛されて、千年王国の間中、底知れぬ所に投げ込まれ、鍵をかけられ、その上に封印されることが記されています。
【新改訳2017】ヨハネの黙示録12章7~10節
7 さて、天に戦いが起こって、ミカエルとその御使いたちは竜と戦った。竜とその使いたちも戦ったが、
8 勝つことができず、天にはもはや彼らのいる場所がなくなった。
9 こうして、その大きな竜、すなわち、古い蛇、悪魔とかサタンとか呼ばれる者、全世界を惑わす者が地に投げ落とされた。また、彼の使いたちも彼とともに投げ落とされた。
10 私は、大きな声が天でこう言うのを聞いた。「今や、私たちの神の救いと力と王国と、神のキリストの権威が現れた。私たちの兄弟たちの告発者、昼も夜も私たちの神の御前で訴える者が、投げ落とされたからである。」【新改訳2017】ヨハネの黙示録20章1~3節
1 また私は、御使いが底知れぬ所の鍵と大きな鎖を手にして、天から下って来るのを見た。
2 彼は、竜、すなわち、悪魔でありサタンである古い蛇を捕らえて、これを千年の間縛り、
3 千年が終わるまで、これ以上諸国の民を惑わすことのないように、底知れぬ所に投げ込んで鍵をかけ、その上に封印をした。その後、竜はしばらくの間、解き放たれることになる。
(3) 大患難の中でも「残される者」がいる
●大患難の時代には多くの者が殺されるか、あるいは災害で死にます。しかしそうした中にあっても、神によって「残される者」たちがいるのです。それが「イスラエルの残りの者」です。
【新改訳2017】イザヤ書24章6, 13~16節
6 それゆえ、のろいは地を食い尽くし、その地の住民は罰を受ける。それゆえ、地の住民は減り、わずかな者だけが残される。
13 まことに、大地の真ん中で、諸国の民の間で、オリーブを打ち落とすようなことが、ぶどうの収穫の後に取り残しの実を集めるようなことが起こる。
14 彼らは声をあげて喜び歌い、西の方から主の威光をたたえて叫ぶ。
15 それゆえ、東の国々で主をあがめよ。西の島々で、イスラエルの神、主の御名を。
16 地の果てから、私たちは、「正しい方に誉れあれ」というほめ歌を聞く。しかし私は言った。「私はだめだ、だめだ。ああ、悲しい。裏切り者が裏切った。裏切り者が裏切り、裏切った。」
●24章にはイザヤ書の重要な思想のひとつである「残される者」「残りの者」(シェアール:שְׁאָר)がいます。「オリーブ」と「ぶどう」はイスラエルのたとえです。ヨハネの黙示録7章にある神の特別な印を押されたイスラエルの民14万4千人です。彼らは神の特別な守りによって大患難を耐え忍んで生き延びる者たちです。それゆえ、そうした者たちがイザヤ書24章14節にあるように「声をあげて喜び歌い(ラーナン:רָנַן)、西の方から主の威光をたたえて叫ぶ(ツァーハル:צָהַל)」ようになるのです。
※「西の方から」の原文は「ミッヤーム」(מִיָם)で「海から(海の向こうから)」とも訳せます。
(4) 万軍の主がシオンの山(エルサレム)で王となり、主の民は集められる
【新改訳2017】イザヤ書24章21、23節
21 その日、・・・・
23 月は辱めを受け、太陽も恥を見る。万軍の主がシオンの山、エルサレムで王となり、栄光がその長老たちの前にあるからである。
●ここでは、メシアが再臨し、エルサレムにおいて王として全世界を支配することが記されています。それは旧約の預言者たちが語ってきた御国の到来であり、イェシュアが語った「御国の福音」の成就でもあります。メシアであるイェシュアは、王としてこの地上を支配します。その中心はその方のおられるシオンすなわちエルサレムです。イザヤ書においては、このように神が王として支配する(統治する)ことを直接的に預言している箇所は多くありません。神が王として統べ治めるヘブル語は、以下の四つです。
①「マーラフ」(מָלַךְ)
●旧約の中では詩篇が最も多く使われています(47:8/93:1/96:10/97:1/146:10)。イザヤ書では4回(24:23/32:1/37:38/52:7)です。
②「マーシャル」(מָשַׁל)
●詩篇(22:28/59:13/66:7/89:9/103:19)。イザヤ書では40章10節にあります。
③「ラーダー」(רָדָה)
●詩篇(49:15/68:27/72:8/110:2)。初出箇所は創世記1章26節で、神が人に地上にあるすべてのものを支配させようとする語彙です。イザヤ書では14章2、6節、41章2節の3回のみです。
④「サーラル」(שָׂרַר)
●イスラエルは「神が支配する」という意味ですが、「イスラ」の語源が「サーラル」です。イザヤ書では32章1節のみです。
【新改訳2017】イザヤ書27章2~3節
2 「その日、麗しいぶどう畑について歌え。
3 わたし、主はそれを見守る者。絶えずこれに水を注ぎ、だれも害を加えないように、夜も昼もこれを見守る。
※「麗しいぶどう畑」とは「イスラエルの残りの者」です。【新改訳2017】イザヤ書27章12~13節
12 その日、主はあの大河からエジプト川まで穀物の穂を打ち落とされる。イスラエルの子らよ、あなたがたは一人ひとり拾い上げられる。
※「イスラエルの子ら」も「イスラエルの残りの者」です。
13 その日、大きな角笛が鳴り渡り、アッシリアの地にいる失われていた者や、エジプトの地に追いやられた者たちが来て、エルサレムの聖なる山で主を礼拝する。
●主なる神にとって「イスラエルの残りの者」は特別な存在です。罪のゆえにひとたびは「追い立て」「追い出し」「争い」「吹き払われた」(8節)イスラエルを、主は再び「その日」に「イスラエルの残りの者」として、「一人ひとり拾い上げ」られます。主は異国の地から「失われていた者」や「追いやられた者」たちを、大きな角笛を鳴らして集められるのです。それは彼らがエルサレムに戻り、聖なる山で主を礼拝するためです。
(5) 喜びの宴会が催される
【新改訳2017】イザヤ書25章6節
万軍の主は、この山の上で万民のために、脂の多い肉の宴会、良いぶどう酒の宴会、髄の多い脂身とよくこされたぶどう酒の宴会を開かれる。
※「宴会・祝宴・婚宴」はいずれも「ミシュテ」(מִשְׁתֶּה)/黙示録19章9節参照。【新改訳2017】イザヤ書25章9節
その日、人は言う。「見よ(הִנֵּה)。この方こそ、待ち望んでいた(カーヴァー:קָוָה)私たちの神。私たちを救ってくださる。この方こそ、私たちが待ち望んでいた主。その御救いを楽しみ(ギール:גִּיל)喜ぼう(サーマハ:שָׂמַח)。」
●千年王国が実現した折には、想像できないほどの盛大な宴会(婚宴・祝宴)がエルサレムにおいて祝われます。黙示録19章にそのことが記されています。
【新改訳2017】ヨハネの黙示録19章6~9節
6 また私は、大群衆の声のような、大水のとどろきのような、激しい雷鳴のようなものがこう言うのを聞いた。「ハレルヤ。私たちの神である主、全能者が王となられた。
7 私たちは喜び楽しみ、神をほめたたえよう。子羊の婚礼の時が来て、花嫁は用意ができたのだから。
8 花嫁は、輝くきよい亜麻布をまとうことが許された。その亜麻布とは、聖徒たちの正しい行いである。」
9 御使いは私に、「子羊の婚宴に招かれている者たちは幸いだ、と書き記しなさい」と言い、また「これらは神の真実なことばである」と言った。
●この箇所には、子羊の「婚礼」と「婚宴」のことが語られています。7節の「子羊の婚礼の時が来て」の「来て」はアオリスト時制で、すでに「来た」という意味です。「用意ができた」とあるのもアオリスト時制で、過去のある時点ですでに用意ができたという意味です。8節のキリストの花嫁が「輝くきよい亜麻布をまとうことが許された」もアオリスト時制です。しかし9節にある「子羊の婚宴(婚礼の祝宴)」はこれからのことです。つまりキリストが地上に再臨した後のことです。とはいえ、この婚宴に招かれる幸いな者たちはすでに決まっているのです。婚礼と婚宴は別の事柄として理解しなければなりません。キリストの花嫁はすでに空中携挙によって、天において婚礼がなされていますが、キリストの地上再臨の後に婚宴が開かれるのです。「これらは神の真実なことばである」と御使いはヨハネに語っています(9節)。婚宴はエックレーシアのみならず、イスラエルの残りの者も入ります。なぜなら、イスラエルの残りの者は神との離縁状態から復縁されるからです。
●御国はエデンの回復であり、爆発的な結婚の喜びがもたらされます。創世記2章15節で「神である主は人を連れて来て、エデンの園に置き、そこを耕させ、また守らせた。」とあります。「連れて来て」は「ラーカハ:לָקַח」で「娶る(結婚する)」ことを意味します。また「置き」には「ヌーアッハ:נוּחַ」が使われています。それは「とどまる、休息する」を意味し、その名詞は「メヌーハー」(מְנוּחָה)で「永遠の身の置き所・憩いの場所」を意味するからです。
(6) 全き平安(シャーローム)の祝福が約束されている
●メシア王国(千年王国)においては、神の完全な「シャーローム」(שָׁלוֹם)を味わうことができます。最後の「その日」に目を向けてみることにしましょう。
【新改訳2017】イザヤ書26章1~3節
1 その日、ユダの地でこの歌が歌われる。私たちには強い都がある。神はその城壁と塁で私たちを救ってくださる。
2 城門を開けて、忠誠を尽くす正しい民を入らせよ。
3 志の堅固な者を、あなたは全き平安のうちに守られます。その人があなたに信頼しているからです。
●1節の「強い都(町)」とはメシア王国の中心となるエルサレムを意味します。2節の「城門」は「シャアル」(שַׁעַר)の複数形「シェアーリーム」(שְׁעָרִים)で、救いのための「城壁」と「塁」が築かれます。その門を通って入ることができるのは「忠誠を尽くす(誠実を守る)正しい民」であり、「志の堅固な者」だけです。「志の堅固な者」の「堅固な者」はヘブル語動詞「サーマフ」(סָמַךְ)の受動態の分詞です。「サーマフ」(סָמַךְ)は、本来、詩篇3篇5節に「私は身を横たえて眠り、また目を覚ます。主が私を支えてくださるから」とあるように、「支える」「養う」という恩寵用語です。この「サーマフ」が受動態で用いられる場合には、「寄りかかる」「寄りすがる」「拠り頼む」という神への信頼関係を表す礼拝用語となります。
●「全き平安」の原文は「シャーローム・シャーローム」(שָׁלוֹם שָׁלוֹם)です。ヘブル語は最上級の概念を表すために、同じ言葉を重ねます。「大いなる平安」とも訳され、「シャーローム」で表されるあらゆる面が含まれた表現なのです。「その人があなたに信頼している」の原文は「ヴェハー・バートゥーアッハ:בְךָ בָּטוּחַ」で、「彼はあなた(=主)の中に信頼している」です。「あなたを信頼している」のと「あなたの中に(あなたの中へと)信頼している」のとは異なります。前者は客観的信頼ですが、後者は主観的信頼です。「あなたの中に(あなたの中へと)信頼している」とは、「主を受け入れ、主の中へと入り込んで、主と一つに結びつけられること」を意味しています。神の平安・平和である「シャーローム」は神がその民に与えられる祝福の総称です。この「平安」の祝福は、「志の堅固な者」に、つまり、「主を信頼する者」に与えられるのです。メシア王国に住む者たちは「主を信頼する者」であり、完全にシャーロームの祝福の中にいるのです。そんな世界が来ることを待ち望める(קָוָה)私たちは何と幸いなことでしょうか。「カーヴァー」の名詞「ティクヴァー」(תִּקְוָה)は「希望」を、冠詞付きの「ハッティクヴァー」(הַתִּקְוָה)は「メシアによってもたらされる唯一の望み」を意味します。
2. メシア王国における「義」と「公正」による統治
【新改訳2017】イザヤ書 32章1節
見よ(ヘーン:הֵן)。一人の王が義(ツェダーカー:צְדָקָה)によって治め(マーラフ:מָלַךְ)、首長たちは公正(ミシュパート: מִשְׁפָּט)によって支配する(サーラル:שָׂרַר)。
(1) 義の概念
●1節の前半に「一人の王が義によって治め」とあります。「一人の王」とはメシアです。ここにある「義」(ツェダーカー:צְדָקָה)は、メシア王国における王とその民との関係概念であり、愛と信頼をその内容としています。王とその民が愛と信頼による正しい関係を回復することが「救い」そのものであり、そこに「平安」(シャーローム:שָׁלוֹם)が生まれます。使徒パウロは「私たちは信仰によって義と認められたので、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。」(ローマ5:1)と述べています。詩篇では「恵みとまことはともに会い 義と平和は口づけします」(詩85:10)とあります。「新しい天と新しい地」においては、「義」のみがある世界です。使徒ペテロはこう述べています。「・・・私たちは、神の約束にしたがって、義の宿る新しい天と新しい地を待ち望んでいます。」(Ⅱペテ3:13)。
(2) 公正の概念
● 1節の後半に「首長たち(サーリーム:שָׂרִים)は公正によって支配する」とあります。「公正」は「ミシュパート」(מִשְׁפָּט)で、神の統治概念です。神の善悪の基準に従って判断され、神の民の福祉と平穏を保障するものです。そのために、メシアは「鉄の杖」をもって支配します。なぜならメシア王国(千年王国)は、すでに朽ちないからだを与えられている者とそうでない者とが混在している世界だからです。サタンが幽閉されていたとしても、罪を犯す可能性は朽ちるからだをもった人々とその子孫にはあるのです。それゆえメシアは、「鉄の杖」をもって統治する必要があるのです。しかし最終ステージ、すなわち新しい天と新しい地においては、メシアはその権威を御父に返還されます。「新しい地」(新しいエルサレム)は、義のみが支配する世界、つまり永遠の愛と信頼をもって神を仰ぎ見る世界となるのです。
●いずれにしても、メシア王国では神の霊が注がれて、公正と義による支配が行われることで平和(平穏と安心)がとこしえにみなぎるのです。
【新改訳2017】イザヤ書32章15~18節
15 しかし、ついに(アド:עַד)、いと高き所から私たちに霊が注がれ、荒野が果樹園となり、果樹園が森と見なされるようになる。
16 公正(מִשְׁפָּט)は荒野に宿り(שָׁכַן)、義(צְדָקָה)は果樹園に住む(יָשַׁב)。
17 義が平和(שָׁלוֹם)をつくり出し、義がとこしえの平穏(הַשְׁקֵט)と安心(בֶּטַח)をもたらすとき、
18 私の民は、平和な住まい、安全な家、安らかな憩いの場に住む(יָשַׁב)。
●特に18節には、住まいを意味する「ミシュカーン」(מִשְׁכָּן)、信頼・安全を意味する「ベタハ」(בֶּטַח)、身の落ち着き所としての憩いを意味する「メヌーハー」(מְנוּחָה)といった御国の重要な語彙が並んでいます。
三一の神の霊が、私たちの霊とともにあります。
2025.6.22
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