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「後ろ向き」という切り札

「後ろ向き」という切り札


  • 今年の干支は、いのしし(猪)。猪というと「猪突猛進」のイメージが強い。周囲を顧みず、ある一つの目標に向かって真っ直ぐに突き進む「猪突猛進」は、すばらしい一面があるが、なにかしら心もとない感じがするのは私だけだろうか。
  • 目標達成のためにひたすら前向きに進むことは実にすばらしい。特に、スポーツやビジネスの世界ではそうである。また、政治の世界でもそうであるが、いつも「全力を尽くして努力していく」(常套句)と言うわりにはそうなっていかないことが多い。こうした「自力目標達成型」と「自然結実型」とは、そのライフスタイルにおいて大きく異なると私は考える。
  • 星野富弘氏(写真)の詩画集『鈴の鳴る道』(偕成社、初版1986年)中には随筆が多く掲載されている。その中に「後ろ向き」というのがある。
画像の説明

(以下、引用) 私は車椅子に乗っている間、かなりの時間を後ろ向きに進む。家のまわりは坂が多い。坂をくだる時、前向きだと腕で上半身を支えられないこともあり、前に倒れそうでこわい。その点、後ろ向きならば、背もたれにどっかりと背中をあずけ、大会社の社長の椅子に腰掛けているような気分で坂がくだれる。・・・

  • 後ろ向きの威力が発揮されるのは、誰かと一緒に歩く時である。私はいつも、彼らの五、六歩を後ろ向きに進む。ちょうど、向かい合った電車の座席すわっているように、正面に顔を見ながら話ができ、非常に便利だ。遠くから久しぶりで訪ねてきた友人と、畔道を歩きながら、別れを惜しんで語り合う時など、後ろ向き車椅子は最高の乗り物となる。・・・・
     
  • 「振り返ってはいけない。」とか「前向きに生きろ。」などとよく耳にするが、振り返ることなく生きられる人がいるのだろうか。また、前ばかり向いて歩くことが、そんなに立派なことなのだろうか。・・・
  • 私は長い間、器械体操をやっていた。器械体操では後ろに進みながらおこなう技がけっこう多い。前方転回より、後ろに進んでいく後方転回の方が、美しくて早い。二回宙返りも、ひねり技が入ったものも・・・大きな技は、後方に回転するものばかりである。・・・
  • 私たちが「ここだっ!」というような踏ん張りをきかす時、思いのほか後ろ向きが登場するように思われる。・・・・・(以上、引用おわり)
  • フィギュア・スケートで世界最高得点を出した浅田真央選手。彼女のすべりの美しさときめ技は、すべて「後ろ向き」である。後方三半回転ジャンプして、後ろ向きで着地するのはとても恐いのだそうである。選手はその恐怖を克服しなければならない。多くの選手が失敗するのもその場面である。つまり、「後ろ向き」で前進する技はきわめて高度な技らしい。
  • モーグルスキーヤの上村愛子選手のバックフリップもそうだ。へたな転び方をすれば全身麻痺するやもしれない大技である。この技は彼女にとってまだ完成されていないらしい。
  • 聖書の世界でも、神と人とかかわりの切り札は「後ろ向き」である、と私は考えている。聖書では、神と人とのかかわりにおける「後ろ向き」は、「とどまる」ということばで言い換えられる。特に、いのちのかかわりを強調するヨハネの福音書(新約聖書)ではそうである。「後ろ向き」とは、神と向き合うかたちとなり、進む方向はすべて神にゆだねるかたちとなる。
  • ヨハネの福音書15章でイエス・キリストは弟子たちにこう述べている。
    「わたしにとどまりなさい。わたしもあなたがたの中にとどまります。枝がぶどうの木についていなければ、枝だけでは実を結ぶことができません。同様にあなたがたも、わたしにとどまっていなければ、実を結ぶことはできません。わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。わたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからです。」
  • ここでイエス・キリストが語っている「とどまる」とは、実に深遠であり、かかわりの切り札である。御子イエスが御父に対して「とどまる」という秘訣を身につけていた。
  • 生産性を重んじる現代の傾向では、何らかの結果を生み出さなければならない。価値あるものを生み出すために、日夜、前向きに、そして頑張り続けなければならない。しかし、聖書の世界では、実を結ばせるのはあくまでも賜物(プレゼント)なのである。つまり、結実は、神にとどまる結果としてのみ得られるものなのであり、私たちの力や頑張りで生産する必要はないのである。
  • そのためには、神としっかりと向き合う「後ろ向き」を身につけなければならない。「後ろ向き」、そんな歩みを今年はもっとしてみたいと思わせられている。
  • ちなみに、ヘブル語で「過去」を意味する言葉は文字どおりには「前」を表わし、「未来」を意味する言葉は「背後」を意味します。過去を「前」において、だれが導いていたかを知るならば、「背後」にある未来を自分の足で切り開こうとはせず、ゆだねることができるはずです。

2007/01/04のBlog

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