「真実な愛をもってシオンをあわれむ神」
26.「真実な愛をもってシオンをあわれむ神」
【聖書箇所】イザヤ書54章1~17節
ベレーシート
●イザヤ書52章13節~53章12節の第四の「主のしもべの歌」が挿入されたために、中断していた52章の「シオンに対する主の慰め」のメッセージが再度54章において語られます。ここで語られている預言は、メシアの再臨によって世界が統治されるときに、イスラエルの民に実現する慰めです。それはすでに「主のしもべ」によって贖われているからですが、イスラエルの残りの者がそのことに気づいて神に立ち返るのがメシアの再臨前であることは明確です。しかしそれが大患難のただ中なのか、大患難の前なのかは明確ではありません。
●さらに私たちがしばしば混乱するのは、「神とイスラエルの民との関係」と「キリストとエックレーシア(教会)との関係」です。神とイスラエルとの関係は「夫婦関係」であり、キリストとエックレーシア(教会)との関係は結婚が予定されている「花婿と花嫁」の関係です。キリストの空中携挙によって花婿と花嫁は結婚し(婚礼)、キリストの地上再臨のときに婚宴が行われます(黙示録19:7~9)。すでに夫婦関係にある神とイスラエルの民は、地上再臨の直前に夫婦としての正しい関係を取り戻します。イスラエルの民とエックレーシアとの違いを正しく区別することが、神のご計画を理解するために重要です。
1. 子を産まない不妊の女よ、喜び歌え
【新改訳2017】イザヤ書54章1~5節
1 「子を産まない不妊の女よ、喜び歌え。産みの苦しみを知らない女よ、喜び叫べ。夫に捨てられた女の子どもは、夫のある女の子どもよりも多いからだ。──主は言われる──
2 あなたの天幕の場所を広げ、住まいの幕を惜しみなく張り、綱を長くし、杭を強固にせよ。
3 あなたは右と左に増え広がり、あなたの子孫は国々を所有し、荒れ果てた町々を人の住む所とするからだ。
4 恐れるな。あなたは恥を見ないから。恥じるな。あなたは辱めを受けないから。まことに、あなたは若いときの恥を忘れ、やもめ時代の屈辱を再び思い出すことはない。
5 なぜなら、あなたの夫はあなたを造った者、その名は万軍の主。
あなたの贖い主はイスラエルの聖なる者、全地の神と呼ばれているからだ。
(1) 54章の「歓声の呼びかけ」(命令)
1 「子を産まない不妊の女よ、喜び歌え。産みの苦しみを知らない女よ、喜び叫べ。夫に捨てられた女の子どもは、夫のある女の子どもよりも多いからだ。──主は言われる──
●【新改訳2017】では、1節はあたかも二つの動詞が訳されているように見えます。しかし原文では三つの動詞が使われています。①「喜び歌え」(ラーナン: רָנַן)、②「(喜びの歌声を)上げよ」(パーツァハ: פָּצַח)、そして③「(大声で)叫べ」(ツァーハル: צָהַל)です。
①「ラーナン」(רָנַן)は旧約54回中、最も多いのが詩篇(26回)で、次に多いのがイザヤ書(14回)です。
②「パーツァハ」(פָּצַח)は旧約9回中、イザヤ書で7回(14:7/44:23/49:13, 13/52:9/54:1/55:12)。
③「ツァーハル」(צָהַל)は旧約10回中、詩篇1回、イザヤ書4回です。馬がいななくように大声で、歓声を上げることを意味します。
●メシア王国の「喜び」を表す語彙はさらに「喜び叫べ」(ルーア: רוּעַ)、「喜び躍れ」(サーマハ: שָׂמַח、アーラズ: עָלַז)、「躍れ、小躍りせよ」(ギール:גִּיל)などがありますが、①②③の三つが揃って使われている箇所は今回のイザヤ書54章のみです。以下の場合には①と③が組み合わされています。
【新改訳2017】イザヤ書12章6節
シオンに住む者よ。大声をあげて(צָהַל)喜び歌え(רָנַן)。イスラエルの聖なる方は、あなたの中におられる大いなる方。
●ここは、人称なき存在である御霊が「シオンに住む者」(=主に贖われた者)に語られています。「シオンに住む者」とは、「イスラエルの残りの者」です。彼らに対して「大声をあげて(צָהַל)喜び歌え(רָנַן)」と命じています。こうした「喜び」を伴う「歌」「声」「叫び」が出て来るのは、ほぼ決まってメシア王国(千年王国)の預言です。詩篇の中でもこうした歓声の語彙に出会う箇所のほとんどが、御国の預言として記されています。なぜなら、それは「いのちを与える御霊」に満たされることでもたらされる喜びだからです。
(2) 誰に命じているのか
●ところが、54章で呼びかけられている(命令されている)対象は、「エルサレム」(イェルーシャーライム:יְרוּשָׁלַיִם)、あるいは「シオン」(ツィッヨーン:צִיּוֹן)です。ここでは「子を産まない不妊の女」と訳されていますが、「不妊の女」と「子を産まなかった女」とに分けるべきです。またそれらは「産みの苦しみを知らない女」「夫に捨てられた女」「心に悲しみのある女」とも表現されています。ヘブル語の「町」は女性名詞で、「女」とは廃墟と化したエルサレムのことです。具体的には、B.C.586年にバビロンによって陥落したエルサレムのことです。と同時に、A.D.70年にローマによって陥落したエルサレムのことでもあり、やがて世の終わりに登場する獣と呼ばれる反キリストによる未曾有の大患難の時のエルサレムのことでもあります。つまり重層的なのです。それに対する「夫のある女」とは、バビロン捕囚前のエルサレムを表すたとえだと解釈します。
(3) 歓声の命令の根拠
●「夫に捨てられた(=不毛を意味する「シャーマム:שָׁמַם」の分詞)女」が、イザヤ書53章の「主のしもべ」の贖い(身代わり)によって、以前よりも多くの子孫が与えられるがゆえに、「喜び歌え」「喜び叫べ」と命じられているのです。なぜなら、「夫に捨てられた女の子どもは、夫のある女の子どもよりも多くなるから」です。
① 夫に捨てられた女の子どもは、夫のある女の子どもよりも多くなるから
【新改訳2017】イザヤ書54章2~5節
2 あなたの天幕の場所を広げ、住まいの幕を惜しみなく張り、綱を長くし、杭を強固にせよ。
3 あなたは右と左に増え広がり、あなたの子孫は国々を所有し、
荒れ果てた町々を人の住む所とするからだ。
4 恐れるな。あなたは恥を見ないから。恥じるな。あなたは辱めを受けないから。まことに、あなたは若いときの恥を忘れ、やもめ時代の屈辱を再び思い出すことはない。
5 なぜなら、あなたの夫はあなたを造った者、その名は万軍の主。
あなたの贖い主はイスラエルの聖なる者、全地の神と呼ばれているからだ。
●2節で「あなたの天幕の場所を広げ、住まいの幕を惜しみなく張り、綱を長くし、杭を強固にせよ」とあります。置換神学で聖書を読むなら、このみことばが教会会堂建築のスローガンとして解釈され用いられることがあります。これは誤った解釈です。聖書の預言は、自分たちの願望をかなえてくれる約束ではありません。「あなたの天幕の場所を広げ、住まいの幕を惜しみなく張り」とは、メシア王国におけるエルサレムのことを指して預言されているのです。
●「広げる」(ラーハヴ:רָחַב)の初出箇所は創世記26章22節で、そこでは「イサクはそこから移って、もう一つの井戸を掘った。その井戸については争いがなかったので、その名をレホボテ(レホーヴォート: רְחֹבוֹת)と呼んだ。そして彼は言った。『今や、主は私たちに広い所を与えて、この地で私たちが増えるようにしてくださった。』」とあります。つまり「争いがないために広い所を与えられて、そこで増えるようにしてくださった」という意味です。平和なメシア王国でも争いがないために、天幕の場所を広げ、住まいの幕を惜しみなく張りめぐらすことが可能となるのです。
●イェシュアの初臨後、A.D.70年にエルサレムはローマによって壊滅し、ユダヤ人たちは離散の民(ディアスポラ)となりました。一見、神に見捨てられたように見えますが、主なる神は「大いなるあわれみをもって、あなたを集める」(54:7)という驚くべきことが預言されています。つまりメシア王国においては、離散したイスラエルの民が世界中からエルサレムに集められることによって、その数は必然的に多くなるのです。また大患難を通過してメシア王国に入ったイスラエルの残りの者は朽ちるからだのままであるゆえに子を産むことができるため、千年の期間においてその数が星のように爆発的に増え広がります。それゆえに母なるシオンは広大な天幕を必要とするのですが、「あなたの天幕の場所を広げ、住まいの幕を惜しみなく張り、綱を長くし、杭を強固にせよ」とは、どんなに広げても収容しきれないということはないという意味で語られています。シオンにおける人口増加は「右と左に増え広がり」とあります。
●聖書のいう「右と左」は「南と北」を意味します。エルサレムの天幕は南と北に広がっていくことを示していると言えます。しかし、創世記28章14節のヤコブに与えられた預言では、「あなたの子孫は地のちりのように多くなり、あなたは、西へ、東へ、北へ、南へと広がり、地のすべての部族はあなたによって、またあなたの子孫によって祝福される」とあります。「右(南)と左(北)」の広がりを、メリズモ修辞法によって「地の全土の広がり」と解釈することができます。メシア王国では戦いがないため、平和裡のうちに、天幕が広がっていくことが可能となります。このことは「バビロン捕囚からの帰還」においては見ることのできなかったことです。
●3節では「あなたの子孫は国々を所有し、荒れ果てた町々を人の住む所とする」とあります。これはシオンの天幕が「右と左に増え広がり」を言い換えたことばです。つまり、あなたの子孫である「イスラエルの残りの者」は国々(ゴーイム:גּוֹיִם)の地を所有し、荒れ果てた町々を人の住む所とするということです。メシア王国において、彼らは地上のすべての民の中で支配的な位置を回復します。それはアブラハム契約「地のすべての部族は、あなたによって祝福される」という預言が成就するからです。
② 神の愛は永遠に不変であるゆえに
【新改訳2017】イザヤ書54章6~10節
6 主はあなたを、夫に捨てられた、心に(原文は「霊:רוּחַ」に)悲しみのある女と呼んだが、若いころの妻をどうして見捨てられるだろうか。──あなたの神は仰せられる──
7 わたしはほんの少しの間、あなたを見捨てたが、大いなるあわれみをもって(בְרַחֲמִים גְּדֹלִים)、あなたを集める(קָבַץ)。
8 怒りがあふれて、少しの間、わたしは、顔をあなたから隠したが、永遠の真実の愛をもって(ヴェへセド オーラーム:בְחֶסֶד עוֹלָם)、あなたをあわれむ(רָחַם)。──あなたを贖う方、主は言われる。
9 これは、わたしにはノアの日のようだ。ノアの洪水が、再び地にやって来ることはないと、わたしは誓った。そのように、わたしはあなたを怒らず、あなたを責めないと、わたしは誓う。
10 たとえ山が移り、丘が動いても、わたしの真実の愛(חֶסֶד)はあなたから移らず、わたしの平和の契約(ベリート シェローミー
:בְּרִית שְׁלוֹמִי)は動かない。──あなたをあわれむ方、主は言われる。
●6~8節では、神は妻であるイスラエルの民を罪のゆえに一時捨てられます(アーザヴ:עָזַב)。それは妻の霊が機能不全を起こしている悲しむべき状態であるからです。だからと言って、その妻を神は決して見捨てることがないことが語られています。神が妻を遠ざけることは、神の側では「ほんの少しの間」(ベレガ カートーン:בְּרֶגַע קָטֹן)、あるいは「少しの間」(レガ:רֶגַע)という感覚のようです。むしろ、神は大いなるあわれみをもって(ヴェラハミーム・ゲドーリーム: בְרַחֲמִים גְּדֹלִים)、集める(カーヴァツ: קָבַץ)のです。これは今現在、進行中です。主の妻であるイスラエルの民を世界中からシオンに「集める」(=引き寄せる)のは、「永遠の真実の愛」(8節)、「真実の愛」(10節)のゆえです。この愛をヘブル語は「ヘセド」(חֶסֶד)で表します。「ヘセド」とは「契約における確固とした愛」です。英語では以下の訳語が使われています。

●9節では「ノアの洪水」のことが引き合いに出されます。ノアの洪水が、再び地にやって来ることがない(創世記9:11)のと同様、神は妻であるイスラエルを二度と捨てないことが強調されています。人の目には不動のように見える山や丘も、移りかつ動きます。しかし、神の真実の愛(ヘセド)と契約(ベリート)は移ることも、動くこともありません。不動であり、必ず実現し、成就します。「あなたをあわれむ方、主は言われる」の「言われる」が預言的完了形です。ということは、神が「言われた」ことは必ず実現するという意味であり、これこそがシオンに対する慰めに満ちたことばです。「シオン」と「イスラエルの残りの者」は常に一体なのです。
2. 神の都エルサレムの再建
●54章11節以降では、シオンの将来の(=メシア王国の)栄光の姿が預言されています。
【新改訳2017】イザヤ書54章11~17節
11 苦しめられ、嵐にもてあそばれ、慰められなかった女よ。見よ(ヒンネー:הִנֵּה)。わたしはアンチモンであなたの石をおおい、サファイアであなたの基を定める。
12 あなたの塔を紅玉にし、あなたの門をきらめく石にし、あなたの境をすべて宝石にする。
13 あなたの子たちはみな、主によって教えられ、あなたの子たちには豊かな平安がある。
14 あなたは義によって堅く立てられる。虐げから離れていよ。恐れることはない。恐怖から離れていよ。それが近づくことはない。
15 見よ(ヘーン:הֵן)。攻め寄せる者があっても、それはわたしから出たのではない。あなたに攻め寄せる者は、あなたの前に倒れる。
16 見よ(הֵן)。炭火を吹きおこし武器を作り出す職人を創造したのは、わたしである。それを壊す破壊者を創造したのもわたしである。
17 あなたを攻めるために作られる武器は、どれも役に立たなくなる。また、あなたを責め立てるどんな舌も、さばきのときに、あなたがそれを不義に定める。これが、主のしもべたちの受け継ぐ分、わたしから受ける彼らの義である。──主のことば。」
(1) シオンの外的栄光
①【新改訳2017】イザヤ書54章11~12節
11 苦しめられ、嵐にもてあそばれ、慰められなかった女よ。見よ(ヒンネー:הִנֵּה)。わたしはアンチモンであなたの石をおおい、サファイアであなたの基を定める。
12 あなたの塔を紅玉にし、あなたの門をきらめく石にし、あなたの境をすべて宝石にする。
●回復されたシオン、すなわち地上のエルサレムの栄光の美しさが、「アンチモン」「サファイア」「紅玉」「きらめく石」といった宝石で表されています。「アンチモン」(プーフ: פּוּךְ)とは、黒光りする鉱石のようで、これを粉末にして混ぜると、アイシャドーに使われる目の縁(ふち)に塗る黒い粉末となります(Ⅱ列王9:30、エレミヤ4:30)。しかしここでは石と石とを接着するためのモルタルの類を意味し、石垣を堅固に据えるためにも用いられた貴重品のようです(Ⅰ歴代誌29:2)。「新しいエルサレム」においての宝石は、イスラエルの民の造り変えられた栄光の姿です(黙示録21:19~20)。メシア王国はその本体である「新しいエルサレム」の写しと影に過ぎませんが、シオンの外的栄光が聖霊によって造り変えられている姿が容易に想像できます。
(2) シオンの内的栄光
●シオンの外的栄光に対して、13~14節はシオンの内的栄光が語られています。
②【新改訳2017】イザヤ書54章13~14節
13 あなたの子たちはみな、主によって教えられ、あなたの子たちには豊かな平安がある。
14 あなたは義によって堅く立てられる。虐げから離れていよ。恐れることはない。恐怖から離れていよ。それが近づくことはない。
●エルサレムに住む者たちはみな、王なるメシアから直接に教えを受ける者となります。そのうえ御霊を豊かに受けることで、想像を絶する神の知恵と知識を持つことができ、神の祝福の総称である豊かなシャーロームがあります。神の祝福の総称を「平和」(שָׁלוֹם)で表すのはイザヤ書、エレミヤ書、詩篇の特徴です。イザヤ書26章3節には、「志の堅固な者を、あなたは全き平安のうちに守られます。その人があなたに信頼しているからです」とありますが、「志の堅固な者」とは「王なる祭司」のことを指しています。「王なる祭司」とは「主に信頼する者」のことです。その者を、神である主は「全き平安のうちに守られる」のです。神に「すがる」(ダーヴァク:דָּבַק)者を、神が「支える」(ターマフ:תָּמַךְ)のです。これは「二つで一つ」であり、「王なる祭司の特権」なのです。当然、「イスラエルの残りの者」も、神にすがり、神が支える「王なる祭司」です。神の都エルサレム(シオン)の美しさと栄光とその安定さは、そうした「義」(ツェダーカー:צְדָּקָה)という信頼の土台の上に堅く立てられるのです。それゆえに、シオンには「恐れ」が無いのです。「恐怖から離れていよ。それが近づくことはない」と命じられていますが、シオンにはその恐怖が決して無いということを表しています。すべて主ご自身がそのようにして下さるので、「シャーローム」が訪れるのです。
③【新改訳2017】イザヤ書54章15~17節
15 見よ(ヘーン:הֵן)。攻め寄せる者があっても、それはわたしから出たのではない。あなたに攻め寄せる者は、あなたの前に倒れる。
16 見よ(הֵן)。炭火を吹きおこし武器を作り出す職人を創造したのは、わたしである。それを壊す破壊者を創造したのもわたしである。
17 あなたを攻めるために作られる武器は、どれも役に立たなくなる。また、あなたを責め立てるどんな舌も、さばきのときに、あなたがそれを不義に定める。これが、主のしもべたちの受け継ぐ分、わたしから受ける彼らの義である。──主のことば。」
●15節の「ヘーン」(הֵן)は、その後に語られることばに留意せよという意味です。これはメシア再臨の情景の預言です。つまり「攻め寄せる者があっても、それはわたしから出たのではない。あなたに攻め寄せる者は、あなたの前に倒れる」ということです。「攻め寄せる者」とは「ゴール ヤグール」(גּוֹר יָגוּר)で、これは「不定詞+未完了形構文」です。「ゴール:גּוֹר」とは「攻め寄せるために集まる」という意味です。つまり「必ず彼は攻め寄せるために集まる、彼は必ず攻撃するために集まる」という意味です。これは、未曾有の大患難に姿を現す「獣」と呼ばれる反キリストによってハルマゲドンに集められる軍勢のことですが、「それはわたしから出たのではない」とは、神の扇動によるものではないということです。獣はシオンに攻め寄せるために世界中から軍勢をハルマゲドンに集めます。しかしその軍勢はシオンである「あなたの前に倒れる」とあります。その理由は書かれていませんが、主のしもべであるメシアが再臨されることで、シオンの前に倒れると考えることができます。
●16節の「見よ」も15節と同じく「ヘーン」(הֵן)です。「炭火を吹きおこし武器を作り出す職人を創造したのは、わたしである。それを壊す破壊者を創造したのもわたしである」とは何を言おうとしているのでしょうか。ここでは、「わたし」(アーノーヒー: אָנֹכִי)という独立人称代名詞が使われていることから、神の主権性が強調されています。原文は「アーノーヒー バーラーティー」(אָנֹכִי בָּרָאתִי)となっています。「バーラーティー」(בָּרָאתִי)だけでも、「わたしは創造した」という意味になるにもかかわらず、さらに「アーノーヒー」(אָנֹכִי)の「わたし」が使われているのは、神の主権性を強調するために他なりません。これが2回使われているのも強調するためです。
●17節の「あなたを攻めるために作られる武器は、どれも役に立たなくなる」とは、どんな武器もシオンを攻めるのに何ら役に立たないということです。なぜなら、「馬に乗っている方の口から出る剣によって殺される」(黙示録19:21)からです。また「あなたを責め立てるどんな舌も、さばきのときに、あなたがそれを不義に定める」とは、シオンに対して(=イスラエルの残りの者に対して)、不義に定めようとして、どんな非難がなされようとも、勝利はシオン側にあるからです。というのは、「主のしもべたち(=イスラエルの残りの者)の受け継ぐ分」「わたしから受ける彼らの義(=救い)」がすでにあるからです。つまり、メシアによる救い(=義)が恵みとして彼らに与えられるからです。その確かさを「主のことば」(ネウム・アドナイ:נְאֻם־יהוה)で印を押してくださっているのです。
ベアハリート
●イザヤ書51~52章でエルサレム(シオン)のことが語られていたにもかかわらず、突如として第四のしもべの歌が挿入されたのはなぜか。その理由が54章を読むことで初めて理解できます。エルサレムとそこに住む主のしもべたち(イスラエルの残りの者)に対する非難の舌が、偽りとして罪に定められるのは、主のしもべなるメシアが彼らに代わって代償のささげ物となってくださったからに他なりません。確かにシオンもイスラエルの残りの者も、獣をメシアとして信じて偶像礼拝の罪を犯しました。滅ぼされる三分の二のユダヤ人と何ら変わりません。ところがイスラエルの残りの者は、神からの一方的な恵みの賜物である「恵みと嘆願の霊」が注がれたことで、彼らの霊の目が開かれ、イェシュアこそメシアであると悟ることができたのです。それは彼らのゆえではありません。あくまでも神の「真実の愛」によるあわれみです。そのあわれみによって彼らは義とされた(=救われた)のです。ですからどんな武器もシオンを攻めるのに役立たず、彼らを非難するすべての舌は偽りとして罪に定められます。
●「真実の愛」(ヘセド:חֶסֶד)、「永遠の真実な愛」(ヘセド・オーラーム: חֶסֶד עוֹלָם)による主の「あわれみ」(ラハミーム:רַחֲמִים)が、終わりの日に、エルサレムとイスラエルの残りの者の上に豊かに臨むのです。
子を産まない不妊の女よ、喜び歌え。産みの苦しみを知らない女よ、喜び叫べ。
夫に捨てられた女の子どもは、夫のある女の子どもよりも多いからだ。
──主は言われる──
●私たちエックレーシアは、イスラエルの残りの者に対する主の「あわれみ」に接ぎ木されるのです。
三一の神の霊が、私たちの霊とともにありますように。
2026.5.10
a:93 t:2 y:0
