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「義の要求と犠牲の死」

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13. 「義の要求と犠牲の死」

聖書箇所 21:1~22:30

はじめに

  • 申命記21章、22章には約束の地で起こるであろう、様々な問題に対して、神がよしとされる解決法が記されています。殺人事件で犯人がわからない時、戦争の捕虜を妻として迎える場合、財産の分割に関して、良心に逆らう青年に対して、死刑の執行について、紛失物(迷った牛や羊の場合)を見つけた場合に知らぬふりをせず努力してその所有者に連れ戻すこと、性の混同や純潔に関する規定、着物の四隅にふさをつけること、新しい家を建てるときは屋上に欄干を設けるといった建築の規定など、細かな事柄のひとつひとつにも、神の民として生きる深い意味が隠されています。こうした規定の中から、ここでは最初にある21章1~9節にある「未解決の殺人事件に関する神のよしと見られる解決」について、その意図するところを思い巡らしてみたいと思います。

1. 義の要求

  • 現代社会においても、殺された死体が発見された場合、その死体がだれであったとしてもニュースとなり、警察がその犯人を逮捕しようと捜査を開始します。ひき逃げ事件ではかなりの確率で犯人は検挙されます。それは捜査技術が優れているからでしょう。しかし古代においては、おそらく多くの殺人事件は未解決になったと思われます。犯人がだれかわからない場合、だれかが無実の罪をかぶせられる(えん罪)か、時効で捜査打ち切りということになります。故意のものであれ、過失致死であれ、殺人という事実は消えないのです。罪のない者の血を流した犯罪は厳然としてあるのです。もし、神が与える約束の地においてこうした罪が犯された場合、神の正しいと見られる解決とは何かが記されています。
  • 申命記21章1~9節の聖書箇所のポイントは9節です。「あなたは、罪のない者の血を流す罪をあなたがたのうちから除き去らなければならない。【主】が正しいと見られることをあなたは行わなければならないからである。」という視点に基づいてなされる具体的な処置はきわめて重要です。罪によって神の与える地が汚された場合の神の処置で、長老たち、さばきつかさたち、そして祭司たちまでもが動員されています。
  • 自分たちは知らなかったから関係ないでは済まされませんでした。神の民として、何らかの連帯責任が問われているのです。

【新改訳改訂第3版】 申命記21章1~9節

1 あなたの神、【主】があなたに与えて所有させようとしておられる地で、刺し殺されて野に倒れている人が見つかり、だれが殺したのかわからないときは、
2 あなたの長老たちとさばきつかさたちは出て行って、刺し殺された者の回りの町々への距離を測りなさい。
3 そして、刺し殺された者に最も近い町がわかれば、その町の長老たちは、まだ使役されず、まだくびきを負って引いたことのない群れのうちの雌の子牛を取り、
4 その町の長老たちは、その雌の子牛を、まだ耕されたことも種を蒔かれたこともない、いつも水の流れている谷へ連れて下り、その谷で雌の子牛の首を折りなさい。


2. 犠牲の死

  • だれかの罪の贖い(償い)のために、高価な雌の子牛がその代価として殺されます。罪が赦されるためには、先ず罪がさばかれなければなりませんでした。神のあわれみの声が聞かれる前には、正義は完全に満足させられなければなりません。「その義は永遠に堅く立つ」(詩篇111:3)のです。義の要求が子牛による犠牲の死によって答えられた時、はじめて、祭司たちがそこに進み出て、主の名によって祝福することができます。
  • 祭司たちの前で、刺し殺された者に最も近いその町の長老たちはみな、谷で首を折られた雌の子牛の上で手を洗い、次のように 証言しなければなりませんでした。手を洗うべきところは、贖い(身代わり)の血が流されたところです。「私たちの手は、この血を流さず、私たちの目はそれを見なかった。【主】よ。あなたが贖い出された御民イスラエルをお赦しください。罪のない者の血を流す罪を、御民イスラエルのうちに負わせないでください。」と祈ることで、彼らは血の罪を赦されるのです。犯人かだれか分からずとも、長老たちは自分たちの罪として、共同体の罪として、その罪の贖いをしなければならなかったのです。
  • ここに見られる子牛による贖いと長老たちの祈りは、やがてゴルゴタの十字架の上で祈られた神の御子イエス・キリストの祈りにつながります。「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」(ルカ23:34)  キリストの十字架上で流された血潮は、すべての人の罪を覆い、赦すことができることを私たちは信じています。しかし、その神の恵みが注がれる前に、神の義は堅く立たなければなりませんでした。罪のさばきとしてのキリストの身代わりの死(血による贖い)を心から感謝したいと思います。


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