****** キリスト教会は、ヘブル的ルーツとつぎ合わされることで回復し、完成します。******

あかしの天幕である幕屋をおおった雲

文字サイズ:

87. あかしの天幕である幕屋をおおった雲

【聖書箇所】 民数記9章15節

画像の説明

【読み】
ウーヴェヨーム ハーキーム エット ハッミシュカーン キッサー ヘアーナーン
エット ハッミシュカーン レオーヘル ハーエードゥト
ウーヴァーエレヴ イフイェー アル ハッミシュカーン
ケマドゥエー エーシュ アド ボーケル

【文法】
画像の説明
画像の説明

【用語】

【幕屋】「ミシュカーン」(מִשְׁכָּן)
主がイスラエルの民の中に住むために建造させた「幕屋」を、聖書ではいろいろな言葉でも言い換えられています。「主の幕屋」「あかしの幕屋」「会見の天幕」「会見の天幕である幕屋」「あかしの天幕」「聖所」「主の聖所」「主の家」など。後の時代には「ミシュカーン」は「神殿」となります。「ミシュカーン」という語の語源は「住む、とどまる」という意味の「シャーハン」(שָׁכַן)という動詞で、神の栄光の臨在を表わす「シェキナー」と同語根です。

【天幕】「オーヘル」(אֹהֶל)
「落ち着く」「住む」という動詞「アーハル」(אָהַל)から来た語で、神の住まいとしての天幕を「幕屋」と呼んでいます。

【翻訳】

【新改訳改訂3】
幕屋を建てた日、雲があかしの天幕である幕屋をおおった。それは、夕方には幕屋の上にあって火のようなものになり、朝まであった。
【口語訳】
幕屋を建てた日に、雲は幕屋をおおった。すれはすなわち、あかしの幕屋であって、夕には、幕屋の上に、雲は火のように見えて、朝にまで及んだ。
【新共同訳】
幕屋を建てた日、雲は掟の天幕である幕屋を覆った。夕方になると、それは幕屋の上にあって、朝まで燃える火のように見えた。
【NKJV】
Now on the day that the tabernacle was raised up, the cloud covered the tabernacle, the tent of the Testimony; from evening until morning it was above the tabernacle like the appearance of fire.
【NIV】
On the day the tabernacle, the Tent of the Testimony, was set up, the cloud covered it. From evening till morning the cloud above the tabernacle looked like fire.
【LIB】
神の天幕ができた日、天幕はすっぽり雲におおわれました。 夕方になると雲は火のように赤くなり、夜通しあかあかと輝いていました。

【瞑想】

幕屋建造の目的は、「彼らがわたしのために聖所を造るなら、わたしは彼らの中に住む」(出エジプト記25:8)ということでした。神の指示通りに造られたこの幕屋の中に神が住んでくださることにより、神がイスラエルの民と共に歩んでくださるしるしです。

主がモーセに命じられたとおりに、幕屋が組み立てられた時、「雲は会見の天幕をおおい、主の栄光が幕屋に満ちた」(40:34)のです。「雲」は神の臨在の象徴です。

神の臨在の象徴

出エジプト記40章34~35節には「栄光の雲」についての記述があります。

34 そのとき、雲は会見の天幕をおおい、【主】の栄光が幕屋に満ちた。35 モーセは会見の天幕に入ることができなかった。雲がその上にとどまり、【主】の栄光が幕屋に満ちていたからである。

同じく、ソロモンが神殿を奉献した時にも同じように栄光の雲がおおいました(Ⅰ列王記8章10~11節)。

10 祭司たちが聖所から出て来たとき、雲が【主】の宮に満ちた。11 祭司たちは、その雲にさえぎられ、そこに立って仕えることができなかった。【主】の栄光が【主】の宮に満ちたからである。


ところで、主が臨在されるところには多くの御使いたちも仕えています。従って、雲は御使いの存在の象徴でもあります。御使いたちはイスラエルの民たちを導き、そして守護する務めを神から与えられているのです。

昼間は「雲」ですが、夜になると「火」のように赤々と輝きました。民数記9章16節には、「いつもこのようであって、昼は雲がそれ(幕屋)をおおい、夜は火のように見えた」と記されています。神の臨在のあるところに、御使いもいます。そして御使いが神の民を導き、そして守っていたのです。

今日、神の幕屋はキリストを信じる者たちの中にあります。あるいは、私たちの身体が神の住まわれる幕屋なのです。とすれば、そこに御使いもいて私たちを守っていてくださるのは至極当然なことです。詩篇91篇11~12節では、人称なき存在である聖霊が「まことに主は、あなたのために、御使いに命じて、すべての道で、あなたを守るようにされる。彼らは、その手で、あなたをささえ、あなたの足が石に打ち当たることのないようにする。」と語っています。


2013.5.12


a:6718 t:1 y:2

powered by Quick Homepage Maker 5.2
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional