****** キリスト教会は、ヘブル的ルーツとつぎ合わされることで回復し、完成します。******

さらにすぐれた大祭司

第12日 「さらにすぐれた大祭司」 

メルキゼデクに等しい大祭司イエス

はじめに

  • 詩篇15章1節に「主よ。だれが、あなたの幕屋に宿るのでしょうか。だれが、あなたの聖なる山に住むのでしょうか。」とあります。「宿る」、「住む」、この二つの動詞は神との親しい交わりを表わすかかわりの語彙です。神はモーセを通して移動式の幕屋を作らせましたが、後にその幕屋は神殿となります。幕屋にしても、神殿にしてもその建造の目的は、神が人と住むためです。親しく交わるためのものです。幕屋や神殿で仕える祭司と呼ばれる者たちの務めも、この目的のために神がお立てになった制度でした。へブル人への手紙の中心的なメッセージは、この神の目的―つまり神が人と共に住むーを完全に実現することのできる永遠の大祭司イエスから目を離すなということですが、詩篇15篇に戻って、主の幕屋に招かれ、そこに近づき、主の家に住み、そこにとどまりつづけることのできる者はだれかと問うています。大きな問いです。
  • この問いを、へブル人への手紙のことばで言い換えるならば、「幕の内側に入る」ことのできるものはだれかということになるかと思います。旧約では大祭司だけが、しかも年に一度しか至聖所に入ることができませんでしたが、今や、私たちはいつでもこの至聖所、つまり、「幕の内側に入る」ことができるという望みがあるのです。この望みは確実にできるという確かな希望です。しかし、旧約においてはこの希望は一般の人々には皆無でした。

1. 主に対するかかわりの「完全さ」

  • さて、詩篇15篇の2節以降には、1節の条件を満たす項目が8項目記されております。その8項目というチェックリストを、分かりやすいLB訳で言いますので、私が質問することに対して「はい」という項目がいくつあるかを数えてみてください。次にあげる項目はすべて人とのかかわりにおけるチェックリストです。

    ① 口が裂けても人を中傷しない。 
    ② うわさ話に耳を貸さない。 
    ③ 決して隣人を傷つけない。
    ④ 大胆に罪を告発し、それを明るみに出す 
    ⑤ 主に忠実な者をほめる 
    ⑥ たとい危害を受けても約束は破らない。
    ⑦ 高い利息で負債者を窮地に追い込むようなことをしない。
    ⑧ 賄賂を受け取って無実の人に不利な証言をまちがってもしない。

  • 以上、一つでもカウントしたものがあったとすれば、あなたは間違いなく、残念ながら、主の幕屋に宿ることはできません。そこに住むこともできません。
  • 神の私たち人間についての評価は詩篇14篇にすでに記されています。それによれば、「善を行う者(神のみこころを、神が良しとすることを行う者)はいない。ひとりもいない。-だれもかれも、みな腐り果てている」から、というのがその理由です。
  • だとしたら、だれも主の家に住む者はいないということになります。これが人間の現実です。絶望です。人間の努力で神に近づくことなど、ましてや、神と親しくなることなど、あり得ないのです。それが私たちの姿です。そこで、神はそんな私たち人間が神に近づくことができる方法というものを教えてくれました。それは私たちの罪の身代わりとして、傷のない、欠陥のない動物のいけにえをささげることによって罪が赦され、神に受け入れられるという道です。神は完全な方ですから、神に近づく者にも完全を求められます。
  • 詩篇15篇2節に「正しく歩み」とありますが、この「正しく」と訳されたへブル語は「ターミーム」(תָּמִים)で、「完全な、傷のない、非難されることのない、罪のない、潔白な」を意味する形容詞です。
  • かつてイスラエルがエジプトから脱出する前に、エジプトのパロが断固としてイスラエルを解放しないために、神はエジプト中に大変恐ろしいさばきが起こることを知らせました。そのさばきとは、エジプト全土にいるすべての長子(初子)、人間も動物も最初に生まれた者はすべて死ぬというさばきでした。しかしそのことが起こる前に、神はイスラエルの人々に、それぞれの家の門柱に1歳になる子羊の血を塗っておけば、そのさばきのときにその家を過ぎ越すという約束をされました。ただし、過ぎ越すためにはいけにえとなる子羊に決して傷があったり、病気もちであったり、欠陥があったりしてはなりませんでした。もしそのような傷や病気、欠陥のある羊をほふって血を門柱に塗ったとしても、その効果は全くなく、さばきを招くことが告げられました。そこで、人々は5日間にわたって、いけにえとなる羊をよく調べなければなりませんでした。それほどに、神が要求するのは常に「ターミーム」(תָּמִים)、つまり「完全さ」でした。傷あるものの血には、罪を赦したり、罪を覆って神のさばきを過ぎ越させる力がなかったのです。
  • 聖書の中で、神から「完全な者、全き人」だと言われた人物がおりました。その人の名は「ノア」です。ところが、彼は酒によって醜態を子どもたちの前でさらしてしまいました。信仰の父アブラハムに対して、神は「わたしは全能の神である。あなたはわたしの前を歩み、全き者であれ。」(創世記17:1)と言われました。ここでも神が求めておられるのは「ターミーム」(תָּמִים)、「全き」「完全な」者です。
  • やがて、イスラエルの民はエジプトを出てシナイ山で神との合意に基づく契約を結びますが、神に近づくための礼拝規定が定められました。それによれば、神へのいけにえ、神へのささげものは、傷のないもの、完全なものが必要でした。自分にとっていらないものをささげることは決してゆるされませんでした。むしろ、自分にとって惜しいと思うような価値あるもの、腹が痛むほどのものでなければなりませんでした。そのようないけにえなしには、神と親しくかかわることは許されませんでした。それは人が犯す罪の大きさや小ささによって完全さは変わることはありませんでした。また貧しいということも関係がありませんでした。貧しくても、常に、完全なものが要求されたのです。

2. 廃棄された古い祭司職(祭司制度)

(1) リストラされた古い祭司たち (廃棄された祭司制度の伝統)

  • モーセの幕屋における礼拝規定の中で、人が神に近づくために、その仲立ちの務めをしたのが祭司たちでした。旧約の祭司職は世襲制です。それはイスラエルの12の部族の中で唯一、レビ部族に与えられた務めでした。モーセの律法が定められ、礼拝規定にしたがって祭司たちは礼拝を司ってきましたが、バビロン捕囚の期間を別としても、約1,500年間、連綿と続けられてきたのです。しかしこの祭司制度は、私たち人間を神が求めるような完全な者にすることはできませんでした。なぜなら、この祭司制度ははじめからさまざまな欠陥をもっていたからです。
  • その欠陥とは、

    死があるので、一時的であるということ(7:23)
    祭司たちの場合は死ということがあるために、やがて天に設けられる真実の幕屋である聖所では仕えることができないから、通用しない、地上だけという限定付で永遠の保証がありません。

    弱さをもった人間であるゆえに、不完全であるということ(7:19, 27)
    祭司たち自身がまず自分のために、その次に民の罪のために、毎日のように罪のいけにえをささげる必要があったからです。何度も繰り返すしか能のないいけにえ制度。祭司制度によっては、神が目的としたことー真に生きた神との交わりーは何も全うできなかったからです。

  • そのために、長い間にわたって連綿と続けられてきた祭司制度は完全に廃止され、全く新しいことが神によって立ち上げられたのです。それまでの流れを根底からひっくり返すような新しい祭司が起こされたのです。その結果、旧約の祭司制度における祭司たちはすべて神によってリストラされてしまったかたちです。1500年間、続けられてきた伝統とは全く別の系譜から全く新しい大祭司が立てられたためです。全く別の系譜というのは、レビ部族からではない大祭司。ではどの部族からといえば、それは王の職務を司っていたユダ部族からでした。

(2) 祭司職の二つの系譜

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  • 律法で定められた系譜とは異なる別の系譜があります。そのルーツとしてメルキゼデクという人物が登場します。サレムの王であり、アブラハムを祝福した祭司です。アロンをルーツとするレビ部族による祭司制度が始まったのは、出エジプトの出来事のすぐ後ですから、だいだいB.C.1,500年頃です。メルキゼデクが登場したのは、アブラハムが主からの命令を受けてからそう年数は経っていませんが、およそB.C.2,000年としましょう。メルキゼデクと同じく1,000年後にサレム(今のエルサレム)で王となったダビデの登場年代はB.C.約1,000年。そのダビデから約1,000年後にイエス・キリストが誕生します。
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  • ダビデはユダ部族の王でしたが、彼は礼拝改革をし、祭司しての務めもしていたのです。その祭司としての務めは、本来の祭司たちのように動物をほふったりすることではなく、音楽による賛美のささげものをした祭司でした。しかも、祭司が着る「亜麻布のエポデをまとっていた」ことが聖書に記されています(Ⅱサムエル6:14)。
  • 王であることと同じに祭司であることは、本来、律法の規定では許されていません。その意味ではダビデは律法違反をしています。サウル王がサムエルの到着を待たずに祭司の務めをしてしまったことで、彼は神から王位を剥奪されることとなりました。しかしダビデ王がしたことは、やがて遣わされる救い主の預言的啓示と言えます。王でありながら、祭司としての務めをなす、その予型がメルキゼデクであり、イエス・キリストを指し示していました。この系譜によって、律法が定めた祭司制度が廃棄されたのです。

3. さらにすぐれた大祭司とその務め

  • へブル人への手紙にはその手紙を特色づけているキーワードがあります。それは「さらにすぐれた」ということばです。「よりまさった」という表現もあります。同義と考えてよいと思います。「さらにすぐれた」というからには、それと比較されるものがあってのことです。
  • へブル書の中には10回、「さらにすぐれた」という表現があります。そのうち、大祭司であるイエスについて言われているのは、7回もあるのです。

    ① 1章4節 
    御子は、御使いたちよりもさらにすぐれた御名を相続されたように、それだけ御使いよりもまさるものとなられました。
    ② 7章19節 
    ――律法は何事も全うしなかったのです。――他方で、さらにすぐれた希望が導き入れられました。私たちはこれによって神に近づくのです。
    ③ 7章22節
    そのようにして、イエスは、さらにすぐれた契約の保証となられたのです。
    ④ 8章6節
    しかし今、キリストはさらにすぐれた務めを得られました。それは彼が、さらにすぐれた約束に基づいて制定された、さらにすぐれた契約の仲介者であるからです。
    ⑤ 9章23節 
    ですから、天にあるものにかたどったものは、これらのものによってきよめられる必要がありました。しかし天にあるもの自体は、これよりもさらにすぐれたいけにえできよめられなければなりません。

  • 「さらにすぐれた務め」をなしておられる大祭司イエス。どの点が「さらにすぐれた」面なのでしょうか。

    (1) 完全なー罪も汚れもない大祭司。そのために自分のために、また人々のために毎日いけにえを捧げる必要のない方。(過去完了)つまり、一回的な完全な贖いがなされた。しかも、永遠に有効。


    (2) キリストご自身が私たちのための罪のいけにえとなられた。(過去完了)それゆえキリストを持つことにより、大胆に、神に近づくことができる。


    (3) キリストはいつも生きていて、神に近づく者のためにとりなしをしておられる。(現在)


    (4) 神の律法を私たちの思いの中に入れ、私たちの心に書きつける。(現在⇒将来)

  • それぞれ「さらにすぐれた務め」をイエスは、すでに、また現在も、そして将来にわたってなしておられます。ここでは④の「神の律法を私たちの思いの中に入れ、私たちの心に書きつける。」ということについて考えてみたいと思います。これこそ、神の新しい契約の内実であり、神の約束の目指すところだからです。

【新改訳改訂第3版】ヘブル人への手紙8章6節~11節

6 しかし今、キリストはさらにすぐれた務めを得られました。それは彼が、さらにすぐれた約束に基づいて制定された、さらにすぐれた契約の仲介者であるからです。
7 もしあの初めの契約が欠けのないものであったなら、後のものが必要になる余地はなかったでしょう。
8 しかし、神は、それに欠けがあるとして、こう言われたのです。「主が、言われる。見よ。日が来る。わたしが、イスラエルの家やユダの家と新しい契約を結ぶ日が。
9 それは、わたしが彼らの父祖たちの手を引いて、彼らをエジプトの地から導き出した日に彼らと結んだ契約のようなものではない。彼らがわたしの契約を守り通さないので、わたしも、彼らを顧みなかったと、主は言われる。
10 それらの日の後、わたしが、イスラエルの家と結ぶ契約は、これであると、主が言われる。わたしは、わたしの律法を彼らの思いの中に入れ、彼らの心に書きつける。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。
11 また彼らが、おのおのその町の者に、また、おのおのその兄弟に教えて、『主を知れ』と言うことは決してない。小さい者から大きい者に至るまで、彼らはみな、わたしを知るようになるからである。

  • 10節の「神の律法を私たちの思いの中に入れ、私たちの心に書きつける。」とはどういう意味でしょうか。それは、私たちが強いられてではなく、自ら、自発的に主を愛し、喜んで主に従うようになること。しかも、神との親しいかかわりの中でより深く主を知るようになるため、互いに「主を知れ」と言うこともないことを意味します。古い祭司制度がなしえなかった点がここにあります。
  • 「さらにすぐれた偉大なる大祭司イエス・キリスト」に栄光がありますように。私たちがこの方を持てるようにしてくださった御父と聖霊に心から感謝いたします。そして、三位一体なる神の御名が、今も、そして後々までも、とこしえにあがめられますように。


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