****** キリスト教会は、ヘブル的ルーツとつぎ合わされることで回復し、完成します。******

はからずも

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90. はからずも

【聖書箇所】 ルツ記2章3節

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【読み】
ヴァイル ミクハー ヘルット ハッーデー レヴォー

【文法】
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【翻訳】

【新改訳改訂3】
それは、はからずも・・・ボアズの畑のうちであった。
【口語訳】
彼女ははからずも・・・ボアズの畑の部分にきた。
【新共同訳】
そこはたまたま・・・ボアズが所有する畑地であった。
【NKJV】
And she happened to come to the part of the field belonging to Boaz,
【NIV】
As it turned out, she found herself working in a field belonging to Boaz,
【LIB】
なんと、その畑はボアズの畑だったのです。

【瞑想】

べツレヘムに戻ったナオミとルツがいっしょに生きていくための唯一の道は、「落ち穂拾い」しかありませんでした。この「落ち穂拾い」は、貧しい人々(なんらかの理由で神から与えられた土地を失った人々、病気のためには働くことのできなくなった人々など)、寡婦、外国人、孤児のために神の律法が定めているところの福祉規定でした(レビ19:9~、23:9~、申命記24:19~参照)。つまり畑の収穫物をすべて刈り取ってはならず、その一部分を貧しい人々のために残しておかなければならないという規定でした。しかし現実には不親切な者たちもいたようです。

ルツが「落ち穂拾い」に行った畑は、「はからずも」、ボアズの畑でした。この「はからずも」と訳された「ミクレー」מִקְרֶה(miqreh)は、旧約聖書では10回使われています。そのうちルツ記ではここ2章3節のみですが、伝道者の書では7回使われており、すべてのことが神の御手の中にあることと関連して用いられています。動詞の「カーラー」קָרָהも偶然に出会うことを意味します。ここではルツが落穂拾いをした場所とボアズの所有地が出会ってしまったのです。NKJV訳は、ルツがそこに来たことで起こったーAnd she happened to come to ーと訳しています。NIV訳では、結局のところ、つまり、結果から見ればーAs it turned outーと訳しています。

日本語訳では、動詞の「カーラー」(קָרָה)と名詞の「ミクレー」(מִקְרֶה(miqreh))を合わせて、「はからずも」(新改訳、関根訳)、「臨むところ」(口語訳)、「たまたま」(新共同訳)、「なんと」(L.B)と訳されています。

偶然に、なんとも思わず、想定外のこととして、ルツはボアズの畑に入りました。人間的視点に立てば確かに偶発性の出来事、予期し得ないこととして説明されますが、その背後には神の見えない御手があることを含んだことばです。それが神の主権性と神の先取性をもって起こった、これが「カーラー」קָרָהと「ミクレー」מִקְרֶהなのです。

神にとって偶然はありません。ボアズの畑で落穂を拾い集めていたルツは、やがてボアズと結婚し、そこから救い主キリストが誕生します。異邦人のルツとユダヤ人のボアズとの結婚がやがて教会の奥義として使徒パウロに啓示されます。彼はその奥義を次のように語っています。
「神の知恵と知識との富は、何と底知れず深いことでしょう。そのさはばきは、何と知り尽くしがたく、その道は、何と測りがたいことでしょう。」(ローマ11章33節)


2013.5.15


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