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ひとりひとり数えて、その家系を登記した

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52. ひとりひとり数えて、その家系を登記した

【聖書箇所】 民数記1章18節

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【読み】
ヴァイトヤレドゥ アル ミシェペホーム レヴェート アヴォーター ベ・ミスパール シェーモート ミン エスーム シャーー ヴァーマア
レグレゲローーム

【文法】
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【翻訳】

【新改訳改訂3】
(第二月の一日に全会衆を召集した。)そこで氏族ごとに、父祖の家ごとに、二十歳以上の者の名をひとりひとり数えて、その家系を登記した。
【口語訳】
(二月一日に会衆をことごとく集めたので) 彼らはその氏族により、その父祖の家により、その名の数にしたがって二十歳以上のものが、ひとりびとり登録した。
【新共同訳】
(第二の月の一日、共同体全体を召集し、) 二十歳以上の男子を氏族ごとに、家系に従って一人一人点呼し、戸籍登録をした。
【NKJV】
and they recited their ancestry by families, by their fathers' houses, according to the number of names, from twenty years old and above, each one individually.

【瞑想】

民数記1章18節の後半のフレーズの中の「家系を登記する」ということばに注目したいと思います。「家系を登記する」という動詞は「ヤーラド」יָלַדです。この動詞は、本来「産む、生む」を意味しますが、強意形のヒットパエル態で使われる場合には「家系を登記する」という意味になります。

ヤコブの家族がエジプトへ行ったときには70名でした。しかしエジプトで彼らは増え広がり、エジプトを出る頃には何百万人と膨れ上がっていました。シナイの山の麓で神との合意に基づく契約を交わし、神は彼らの神となり、彼らは神の民となりました。そして、神の臨在する幕屋を中心として宿営し、約束の地に向けて彼らはこれから進んで行こうとしています。どんな敵が攻めてくるかわかりません。烏合の民から整えられた民へと組織化される必要がありました。その最初に神が命じられたことは、民のうち、20歳以上の男子を、氏族ごとに(民1:2)、父祖の家ごとに(1:2)、部族ごとに(1:4)―これらの語彙はすべて同義―ひとりひとり調べて、その「家系を登録する」ことでした。しかしここで、20歳以上の男子が、部族ごとに、氏族ごとに、そして父祖の家(家族のこと)ごとにひとりひとりの名前が登記されたのにはもっと深いが意味があるように思います。

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ちなみに、1:18の中に「氏族ごとに」(「レ・ミシュパーハー」
לְמִשְׁפָּחָה)、「父祖の家ごとに」(「レ・ヴェイト・アーヴ」לְבֶית אָב)とあります。ヤコブには12人の息子たちがおり、その息子たちは「部族」מַּטֶהを形成します。「氏族」とはその「部族」の中にある息子たちを意味します。「父祖の家」とは「家族」のことです。「部族」「氏族」「父祖の家(家族)」の総称が「家系」という言葉で表わされています。

「家系を登記する」ということは、神の民のひとりひとりが自分のどこに所属しているのかを明確に意識させるだけでなく、神がアブラハム、イサク、ヤコブと結んだ契約とその保障の中にあることを確信させるためなのです。

民数記にある「20歳以上の者のひとりとひとりを数える」とは、単なる年齢だけのことではなく、この世との戦いに信仰をもって立ち向かうことのできる「一人前としての自覚」を意味します。そうした者が建て上げられていく祝福を求めたいと思います。

「氏族ごとに、・・家系を登記する」ことの目的は、アブラハム、イサク。ヤコブを通して与えられた神の約束が次の世代に受け継がれ、さらに次の世代へと継承していく大きな課題と責任を自覚させることにあったと言えます。

イエスが遣わされた70人の弟子たちが喜び勇んでイエスに報告したとき(ルカ10章)、「そんなことで喜んではなりません」と言われました。「そんなこと」とは、弟子たちがイエスの名前を使うと悪霊たちが彼らに従ったというものでした。それは弟子たちにとっては驚くべき出来事であり、喜ぶのも無理はありません。しかしイエスは、その報告を聞いた時、むしろ「あなたがたの名が天に記されていることを喜びなさい」と言われたのです。

「あなたがたの名が天に記されている」という事実がいかに重要度の高いものであるかということを知る必要があります。「名が天に記されている」ということは、神のあらゆる豊かな祝福を受けることのできる者として登録されている」ということです。しかもそれは、「神を親しく知り、神と親しく交わることのできる特権」を意味します。イザヤ書49章15, 16節には神の民を意味する「シオン」が、「主は私を見捨てた。主は私を忘れた」と言った時に、主は「女が自分の乳飲み子を忘れようか。自分の胎の子をあわれまないだろうか。たとい、女たちが忘れても、このわたしは忘れない。見よ。わたしは手のひらにあなたを刻んだ。」と言われたことが記されています。これは「あなたがたの名が天に書き記されている」ことの旧約版と言えます。

モーセの次の指導者となるヨシュアは、その生涯の終わりにおいて「私と私の家とは主に仕える」(ヨシュア記24:15)という信仰告白をしています。この告白ができるクリスチャンホームは日本においてどれほどいることでしょうか。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」(使徒16:31)と使徒パウロは言いましたが、「あなたの家族」とは今ある家族だけでなく、その家族の子どもたちがやがて結婚して造り出していく新しい家族をも含んでいるのです。信仰の継承の祝福がこのみことばのうちに約束されています。日本の教会においては、信仰の継承それ自体が大事業(難事業)です

まず家庭教育から始めなければなりません。地道な取り組みであり、すぐにはその実りは見えません。しかしそのことに取り組むことは、大きな祝福を得ると信じます。私たちの神は「アブラハム、イサク、ヤコブの神」です。バビロン捕囚を経験したユダの民が三世代かけて神の民としてのアイデンティティをリセットしたように、私たちも、三、四世代を射程に入れて取り組む必要のある課題であると信じます。


2013.4.7


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