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わたしのほかに、神々があってはならない

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105. わたしのほかに、ほかの神々があってはならない

【聖書箇所】 出エジプト記20章3節

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【読み】
ー イヒイェ・レー エローーム アヘーーム アル・ーナイ

【文法】
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※「アル・パーナイ」の直訳は「わたしの顔の上に」ですが、「顔」は存在を表わすので、ここは「わたしのほかに(追加の意味で)」という意味になります。

【翻訳】

【新改訳改訂3】
あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。
【口語訳】
あなたはわたしのほかに、なにものをも神としてはならない。
【新共同訳】
あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。
【岩波訳】
他の神々が、あなたのためにわたしの面前にあってはならない。
【フランシスコ会訳】
おまえはわたしのほかになにものをも神としてはならない。
【NKJV】
You shall have no other gods before Me.
【NIV】
You shall have no other gods before {[3] Or <besides>} me.

【瞑想】

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十戒の第一戒が、もしコンテキストを無視して聞くならば、なんと横暴で、排他的な神かと思われても致し方ないフレーズです。しかし今や神と向き合っているイスラエルの民が、自分たちはどのような境遇から連れ出されのか、またそこから救い出された後も、いかに必要な生存と防衛の保障を与えてくれる方を思い起こすならば、決して排他的で、横暴な神とみなすことはできないはずです。ましてや今、向き合う神と民との関係の中に、他の神々が存在する余地など全くあり得ないのです。「あってはならない」と強い否定的・禁止的表現がなされていますが、それはあまりに当然のことであり、あり得ない話なのです。

2節の序文で、主は「わたしはあなたの神、主である(エジプトの地から、奴隷の家から連れ出したところの)」と宣言した後で、両者の最も基本的なかかわりを示す憲章の第一の事柄として、「わたしのほかに、ほかの神々があってはらない」というのはあまりに当然のことで、神の救いの論理的な帰結でもあります。したがって、両者の間に他の神々が存在していることは、本来、あり得ないこととして第一戒は示しています。一見、厳しい戒めのように思えますが、結婚する二人が永遠のパートナーとしての誓いを立てようとするその場に、愛人としての他の異性がもし存在しているとすれば、親密な愛のかかわりを築くことは到底できません。

第一戒は、人間の罪性のゆえの警告的意味合いが込められています。なぜなら、神から離れた人間はその本来的なニーズのゆえに、そのニーズを満たしてくれるものを優先し、それを自分の神としてしまう傾向をもっていることを神は知っておらるからです。人間の最も基本的なニーズは生存と防衛の保障です。主なる神としてはその保障を唯一もたらす方は主ご自身だというかかわりを築きたいのです。それゆえ、神の真実をあかしするためのかかわりの排他性を求められるのです。

世界中には多くの神々が存在します。そうした中で、最も確かで、最も真実、最も十全な必要を供給できる方こそ主なる神であることをこの世に証しするために、イスラエルの民は選ばれたのです。したがって、神に選ばれ、召された者が、自分の必要を求めて主以外のものを神とすることは、その使命と目的を失うことになるのです。

神は神と人間との本来のかかわりを回復するために、アブラハムを選び、イスラエルの民を召されたのです。それゆえ、神の民は神からの召しを正しく受け止める必要がありました。「あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。」とする第一戒には、そうした神の限りない熱い期待が込められているのです。

【付記】「十戒」の区分
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2013.6.3


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