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アダムから始まる神を礼拝する民の系図

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1. アダムから始まる神を礼拝する民の系図

【聖書箇所】Ⅰ歴代誌 1章1~54節

ベレーシート

  • 歴代誌第一の1~9章は「系図」が記されています。「聖書で系図が登場するタイミングは、救済史的に大変大きな意味があります。何故なら系図は、救済史の新たな転換期や分岐点を迎える度に整理されているからです。聖書の系図では、最も重要な人物が最後に記録され、その人物を起点に新しい時代がスタートしています。」(朴潤植著「神の救済史的経綸の中から見る創世記の系図」、イーグレース発行、2009、76頁参照)

1. 歴代誌の中心は「礼拝者ダビデ」

  • 一見、無味乾燥とも思える系図の中に、実は秘められたメッセージが隠されています。アダムからはじまって10章の最後の節で、初めて「ダビデ」が登場します。
  • 歴代誌第一の11章から29章までに(24, 26,27章を除く)、各章の冒頭には「ダビデ」という名前が必ず登場します(19章だけは2節)。つまり、この歴代誌の意図はダビデに焦点を当てることを通して、「ダビデのように」礼拝の民として生きようという意図をもって、歴史が見直されているということです。そうした視点から、アダムから始まる系図がダビデを目指していると言えます。ここにこの歴代誌が記された大きな目的があるのです。それは、バビロン捕囚から帰還した民たちが、神を礼拝する民としての明確なアイデンティティを確立して歩む必要を神から与えられたということなのです。
  • ダビデは、戦士であり、詩人であり、音楽家であり、一家の父親であり、イスラエルの王でしたが、結局の所、彼は礼拝者であったということです。彼の業績はまさに、礼拝を改革し、イスラエルの民を礼拝の民へと導いたことでした。そのダビデに焦点を当てる必要があります。なぜなら、真の礼拝は千年王国における「御国」において、全世界的規模でなされるからです。主にある者であるならば、主のおられるところに必ずいなければなりません。
  • キリストが地上再臨された後にこの地に可視的な形で「千年王国」が実現されますが、それは神がⅡサムエル7章においてダビデに対してなされた約束(ダビデ契約)によるものです。復活された栄光の主は、その千年王国においては、王の王、主の主としてエルサレムの神殿から全世界を統治します。その統治形態は、エルサレムの君主としてダビデ(ダビデがよみがえります)を立て、そして12部族の頭たちが王の憲章をもって御国を治めるようになります。主にあって救われた異邦人も、世界のそれぞれの諸国の中で、なんらかの形で統治するようになると考えられます。しかし千年王国における世界の中心はあくまでもエルサレムであり、そこから主の教えが広がり、海をおおう水のように、地は、主を知ることで満たされます。

2. 系図の本流と支流を見分ける

  • 一見して分かるように、1章の系図には創世記5章と同様に、カインの系図はありません。以下のような流れで記されています。

画像の説明

  • 第1章ではアダムから始まった系図がアブラハム、イサク、エサウ、イスラエルまで記されています。注目すべき点は、ヤコブではなく、イスラエルとなっていることです。第2章ではそのイスラエルの12人の息子たちの名が連ねられた後に、ユダの系図がダビデに至るまで記されています。

3. 歴代誌の礼拝神学

2013.12.10


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