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イザヤの黙示録(世の終わりの啓示)

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18. イザヤの黙示録(世の終わりの啓示)

【聖書箇所】24章1節~27章18節

ベレーシート

  • 以下のチャートに見るように、13~23章の「諸国民に対する神の宣告」と24~27章の「世の終りについての預言」を一括りとみなします。特に、24~27章は「イザヤの黙示録」とも呼ばれ、ヨハネの黙示録で記されている内容とかぶっています。ですから、特に、ヨハネの黙示録の6~19章の内容についての知識がないと読み解くことは難しいと思われます。

画像の説明

  • 神のご計画のマスタープラン(俯瞰的全体像)について私たちは学ぶ必要があります。十字架と復活の福音にあずかるだけでは、それを知ることができません。使徒パウロが「神の恵みの福音」と「御国の福音」を明らかに意識してそれを宣べ伝えたように、私たちもそのことを意識して知る必要性があります。そうでなければ、聖書のさまざまなピースがただそこに散在しているままであって、神のご計画というパズルを組み立てることができないのです。
  • 私たちは今日、世界で起っている様々なニュースをテレビ等のメディアを通して見聞きしています。しかしそれらの出来事が写し出される映像やリポーターによる視点(観点)によって伝えられている事実を何の疑問を抱かずに受け入れています。そして、多くの人はそうしたメディアを通して受け取った情報を真実だと思っています。この世界がこれからどうなって行くかということにおいても、メディアが伝える情報を通してしか知るすべはないかのようです。
  • しかし聖書の神は、これから起こることにおいてのご計画をすでに明らかにしておられます。神はすべての歴史を見通しておられるだけでなく、神のみこころを歴史という場において実現される方でもあるのです。今日のクリスチャンは、神が預言者を通して語っておられることばに耳を傾け、それを通して得られる情報を知っていなければなりません。そうでなければ、おのずと偽預言者たちの語ることばに惑わされ、教えの風に吹き回され、さまざまな新しいムーブメントに流されるままになります。今一度、聖書の語る神のご計画について真剣に学び、神の視点をもって、今起こっている出来事を検証していく力を身に付けなければならない時代を迎えています。

1. イザヤ書における「その日」という語彙

  • イザヤ書には「その日」、あるいは「その日には」という語彙が多く使われています(「バッヨーム・ハフー」בַּיּוֹם הַהוּא)。⇒イザヤ書における「その日」の箇所
    イザヤはその生涯のすべてをユダのエルサレムで過ごした人ですが、全世界的展望と全歴史的展望をもって神のことばを預言した預言者です。そのイザヤが「その日(には)」という語彙をもって語る内容は、さほど遠くない将来から、歴史における「終わり」の時、つまり、終末に起こる出来事をも含んでいます。「その日」という語彙はイザヤ書の中では47回使われていますが、今回取り上げる24~27章の範囲でも7回使われています。ちなみに、イザヤ書2章2節に終末を意味する「終わりの日に」ということばが使われていますが(イザヤ書ではその箇所のみ)、旧約では全部で11回、新約では9回です。
  • その日」という語彙と連動して、「見よ」という語彙も、イザヤ書ではほとんど似た意味をもって使われています。それゆえ今回は「その日」、および「見よ」という語彙をキーワードとして、24~27章に記されている「終わりの日」に起こる様々な出来事のピースを、以下の六つにまとめてみたいと思います。


2. 「その日」に起こる出来事

(1) 全地に対する神のさばき(自然災害)が起こる

  • 24章1節には「見よ。主は地を荒れすたらせ、その面をくつがえして、その住民を散らされる」とあります。4節では「地は嘆き悲しみ、衰える。世界はしおれ、衰える。天も地もともにしおれる。」とあります。ここでの「地」(「ハーアーレツ」הָאָרֶץ)は全世界(「全地」とも訳す「テーヴェール」תֵּבֵל)と同義です。つまり、全世界の政治、宗教、社会システムの崩壊を意味しています。神のさばきは社会的地位や富の有無にかかわりなく、あらゆる社会の階層に及びます。ちなみに、4節にあるすべての動詞は預言的完了形で記されています。つまり、それは必ず起こることを意味します。
  • ヨハネの黙示録6章から始まる神のさばきにおいて、まず七つの封印が解かれ(6章)、七つのラッパが吹き鳴らされ(8, 9, 11章)、そして激しい神の怒りの七つの鉢が投げつけられます(16章)。そのさばきの規模も最初は全地の1/4ですが、やがて1/3に、そして次第に激しさを増して拡大して行きます。⇒「ヨハネの黙示録6章16章までの構造」を参照。黙示録6章以降はキリストの空中再臨後の七年間におよぶ大患難時代に起こる戦争と自然災害によって「地は荒れに荒れ、全くかすめ奪われる。」(イザヤ24:3)のです。これらはすべて人間の罪に対する神の怒りとしてのさばきです。多くの者たちが殺され、世界の人口は激減するのです。
  • 24章18節後半~20節にこう記されています。

    【新改訳改訂第3版】イザヤ書24章18b~20節
    18b 天の窓が開かれ、地の基が震えるからだ。
    19 地は裂けに裂け、地はゆるぎにゆるぎ、地はよろめきによろめく。
    20 地は酔いどれのように、ふらふら、ふらつき、仮小屋のように揺り動かされる。そのそむきの罪が地の上に重くのしかかり、地は倒れて、再び起き上がれない。

  • 大患難の時代の特徴は、天体と地球に大異変が起き、大災害がもたらされることです。今日、人々は地震や異常気象を自然災害と呼んでいますが、大患難時代では災害は自然に起こることではなく、この背後に神の警告と神の怒りがあることが明らかにされます。しかしそれでも多くの人々は神に立ち返ろうとはしないのです。ヨハネの黙示録16章では第七番目の御使いが鉢を空中にぶちまけます。

【新改訳改訂第3版】ヨハネの黙示録16章18~21節
18 すると、いなずまと声と雷鳴があり、大きな地震があった。この地震は人間が地上に住んで以来、かつてなかったほどのもので、それほどに大きな、強い地震であった。
19 また、あの大きな都は三つに裂かれ、諸国の民の町々は倒れた。そして、大バビロンは、神の前に覚えられて、神の激しい怒りのぶどう酒の杯を与えられた。
20 島はすべて逃げ去り、山々は見えなくなった。
21 また、一タラント(=35kg)ほどの大きな雹が、人々の上に天から降って来た。人々は、この雹の災害のため、神にけがしごとを言った。その災害が非常に激しかったからである。


(2) 主は天の軍勢と地上の王たちを罰せられる

【新改訳改訂第3版】イザヤ書24章21~22節
21 その日、【主】は天では天の大軍を、地では地上の王たちを罰せられる。
22 彼らは囚人が地下牢に集められるように集められ、牢獄に閉じ込められ、それから何年かたって後、罰せられる。


【新改訳改訂第3版】イザヤ書27章1節
1 その日、【主】は、鋭い大きな強い剣で、逃げ惑う蛇レビヤタン、曲がりくねる蛇レビヤタンを罰し、海にいる竜を殺される。

  • その日」は、神に逆らう人間たちだけでなく、人間を神に逆らわせようとするサタンとそのしもべたちである悪霊たちに対するさばきが執行される日でもあります。黙示録12章には地上に落とされた悪魔は御使いによって捕縛されて、千年王国の間中、底知れぬ穴の中に閉じ込められます。

【新改訳改訂第3版】ヨハネの黙示録12章7~10節
7 さて、天に戦いが起こって、ミカエルと彼の使いたちは、竜と戦った。それで、竜とその使いたちは応戦したが、
8 勝つことができず、天にはもはや彼らのいる場所がなくなった。
9 こうして、この巨大な竜、すなわち、悪魔とか、サタンとか呼ばれて、全世界を惑わす、あの古い蛇は投げ落とされた。彼は地上に投げ落とされ、彼の使いどもも彼とともに投げ落とされた。
10 そのとき私は、天で大きな声が、こう言うのを聞いた。「今や、私たちの神の救いと力と国と、また、神のキリストの権威が現れた。私たちの兄弟たちの告発者、日夜彼らを私たちの神の御前で訴えている者が投げ落とされたからである。・・・」


【新改訳改訂第3版】ヨハネの黙示録20章1~3節
1 また私は、御使いが底知れぬ所のかぎと大きな鎖とを手に持って、天から下って来るのを見た。
2 彼は、悪魔でありサタンである竜、あの古い蛇を捕らえ、これを千年の間縛って、
3 底知れぬ所に投げ込んで、そこを閉じ、その上に封印して、千年の終わるまでは、それが諸国の民を惑わすことのないようにした。サタンは、そのあとでしばらくの間、解き放されなければならない。


【新改訳改訂第3版】ヨハネの黙示録20章7~10節
7 しかし千年の終わりに、サタンはその牢から解き放され、
8 地の四方にある諸国の民、すなわち、ゴグとマゴグを惑わすために出て行き、戦いのために彼らを召集する。彼らの数は海べの砂のようである。
9 彼らは、地上の広い平地に上って来て、聖徒たちの陣営と愛された都とを取り囲んだ。すると、天から火が降って来て、彼らを焼き尽くした。
10 そして、彼らを惑わした悪魔は火と硫黄との池に投げ込まれた。そこは獣も、にせ預言者もいる所で、彼らは永遠に昼も夜も苦しみを受ける。


(3) 患難の中でも「残される者」がいる

  • 大患難の時代には多くの者が殺されるか、あるいは災害で死にます。しかしそうした中にあっても、神によってイスラエルの「残される者」たちがいるのです。

【新改訳改訂第3版】イザヤ書24章13~16節
1 「見よ。・・・
13 それは、世界の真ん中で、国々の民の間で、オリーブの木を打つときのように、ぶどうの取り入れが終わって、取り残しの実を集めるときのようになるからだ。
14 彼らは、声を張り上げて喜び歌い、海の向こうから【主】の威光をたたえて叫ぶ。
15 それゆえ、東の国々で【主】をあがめ、西の島々で、イスラエルの神、【主】の御名をあがめよ。
16 私たちは、「正しい者に誉れあれ」という地の果てからのほめ歌を聞く。

  • ここにはイザヤ書の重要な思想のひとつである「残りの者」たちがいます。ヨハネの黙示録7章にある神の特別なしるしをつけられたイスラエルの民14万4千人、あるいは信仰のゆえに殉教した異邦人たちがそうです。神の特別な守りによって患難時代を耐え忍んで生き延びる者たちです。たとえ殉教して死んだとしても、やがてメシアの再臨後のメシア王国(千年王国)の時には死からよみがえります。そうした者たちがイザヤ書24章14節にあるように、「声を張り上げて喜び歌い、海の向こうから主の威光をたたえて叫ぶ」ようになるのです。

(4) 万軍の主がシオンの山(エルサレム)で王となり、主の民は集められる

【新改訳改訂第3版】イザヤ書24章23節
21 その日
23 月ははずかしめを受け、日も恥を見る。万軍の【主】がシオンの山、エルサレムで王となり、栄光がその長老たちの前に輝くからである

  • ここで語られていることは、メシアが再臨してエルサレムにおいて王として全世界を支配することが記されています。旧約の預言者たちが語ってきた御国の到来です。イェシュアが語った「御国の福音」の成就です。メシアであるイェシュアは王としてこの地上を支配します。世界の中心はその方のおられるエルサレムです。
  • イザヤ書において、このように神が王として支配する(統治する)ことを直接的に預言していることは多くありません。神が王として統べ治めるという統治用語がヘブル語には二つあります。
    ①「マーラフמָלַךְ)
    旧約の中では詩篇が最も多く使われています(47:8/93:1/96:10/97:1/146:10)が、イザヤ書では24章23節と52章7節です。
    ②「マーシャル」(מָשַׁל)
    詩篇(22:28/59:13/66:7/89:9/103:19)、イザヤ書では40章10節にあります。
    ③「ラーダー」(רָדָה)
    詩篇110篇2節、初出箇所は創世記1章26節で、神が人に地上にあるすべてのものを支配させようとした語彙です。
  • 御国に王だけがいるわけではありません。御国には王と共に民たちがいなければなりません。その民たちは王であるメシアが集められるのです。

    【新改訳改訂第3版】イザヤ書27章2~3節
    2 その日、麗しいぶどう畑、これについて歌え。
    3 わたし、【主】は、それを見守る者。絶えずこれに水を注ぎ、だれも、それをそこなわないように、夜も昼もこれを見守っている。


    【新改訳改訂第3版】イザヤ書27章12~13節
    12 その日、【主】はユーフラテス川からエジプト川までの穀物の穂を打ち落とされる。イスラエルの子らよ。あなたがたは、ひとりひとり拾い上げられる。
    13 その日、大きな角笛が鳴り渡り、アッシリヤの地に失われていた者や、エジプトの地に散らされていた者たちが来て、エルサレムの聖なる山で、【主】を礼拝する。

  • 主なる神にとってイスラエルの民は特別な存在です。罪のゆえに、ひとたびは「追い立て」「追い出し」「争い」「追放された」イスラエルの民の残りの者たちを、主は再び「その日」に「ひとりひとり拾い上げ」られます(27:12)。主は異国の地から「失われていた者」や「散らされていた者」たちを、大きな角笛を鳴らして集められるのです。それは、彼らがエルサレムに戻り、聖なる山で主を礼拝するためです。

(5) 喜びの宴会が催される

【新改訳改訂第3版】イザヤ書25章6節
万軍の【主】はこの山の上で万民のために、あぶらの多い肉の宴会、良いぶどう酒の宴会、髄の多いあぶらみとよくこされたぶどう酒の宴会を催される。


【新改訳改訂第3版】イザヤ書25章9節
その日、人は言う。「見よ。この方こそ、私たちが救いを待ち望んだ私たちの神。この方こそ、私たちが待ち望んだ【主】。その御救いを楽しみ喜ぼう。」


千年王国が実現した折には、想像のできないほどの、盛大な婚宴がエルサレムにおいて(おそらく「仮庵の祭り」)祝われます。

  • ヨハネの黙示録19章にもそのことが記されています。

    【新改訳改訂第3版】ヨハネの黙示録19章6~9節
    6 また、私は大群衆の声、大水の音、激しい雷鳴のようなものが、こう言うのを聞いた。「ハレルヤ。万物の支配者である、われらの神である主は王となられた。
    7 私たちは喜び楽しみ、神をほめたたえよう。小羊の婚姻の時が来て、花嫁はその用意ができたのだから。
    8 花嫁は、光り輝く、きよい麻布の衣を着ることを許された。その麻布とは、聖徒たちの正しい行いである。」
    9 御使いは私に「小羊の婚宴に招かれた者は幸いだ、と書きなさい」と言い、また、「これは神の真実のことばです」と言った。


    この箇所には小羊の「婚姻」と「婚宴」のことが語られています。7節の「小羊の婚姻の時が来て」の「来て」はアオリスト時制で、すでに「来た」という意味です。「用意ができた」とあるのもアオリスト時制で、過去のある時点ですでに用意ができたという意味です。8節のキリストの花嫁が「光輝く、きよい麻布を着ることを許された」もアオリスト時制です。しかし9節にある「小羊の婚宴(婚姻の祝宴)」はこれからのことです。つまり、キリストが地上に再臨した後のことです。とはいえ、この婚宴に招かれる幸いな者たちはすでに決まっているのです。婚姻と婚宴は別の事柄として理解しなければなりません。キリストの花嫁はすでに空中携挙によって天において結婚式を挙げているからです。しかし、キリストが地上再臨した後でないと、この地上での婚宴は開かれないということです。「これは神の真実のことばです」と御使いはヨハネに語っています(9節)。


(6) 全き平安(シャーローム)の祝福が約束されている

  • メシア王国(千年王国)においては、神の完全な「シャーローム」(שָׁלוֹם)を味わうことができます。最後の「その日」に目を向けてみることにしましょう。

【新改訳改訂第3版】イザヤ書26章1~3節
1 その日、ユダの国でこの歌が歌われる。
私たちには強い町がある。神はその城壁と塁で私たちを救ってくださる。
2 城門をあけて、誠実を守る正しい民を入らせよ。
3 志の堅固な者を、あなたは全き平安のうちに守られます。その人があなたに信頼しているからです。


●1節の「強い町」とはメシア王国の中心となるエルサレムを意味します。2節の「城門」は「シャアル」(שַׁעַר)の複数形「シェアーリーム」(שְׁעָרִים)で、救いのために「城壁」と「塁」が築かれます。その門を通って入ることができるのは「誠実を守る正しい民」であり、「志の堅固な者」です。

●「志の堅固な者」の「堅固な者」はヘブル語動詞の「サーマフ」(סָמַךְ)の受動態の分詞です。「サーマフ」(סָמַךְ)は、本来、詩篇3篇5節に「私は身を横たえて、眠る。私はまた目をさます。主が私をささえてくださる(からだ)。」とあるように、「支える」「養う」という恩寵用語です。しかし同時に、この「サーマフ」は身代わりとなるいけにえの頭の上に手をしっかりと置くこと(按手すること)によって、そのいけにえと一つにされることを意味しています。つまり、祭司たちの罪が若い雄牛に移される(転化される)ことを象徴的に示していました。しかしこの「サーマフ」が受動態で用いられる場合には、「寄りかかる」「寄りすがる」「拠り頼む」という神への信頼関係を表わす礼拝用語となります。

●「全き平安」の原文は「シャーローム・シャーローム」(שָׁלוֹם שָׁלוֹם)です。ヘブル語は最上級の概念を表わすために、同じ言葉を重ねます。「大いなる平安」とも訳され、「シャーローム」にあるあらゆる面が含まれた表現なのです。


シャーロームが意味すること.JPG
  • 神の平安・平和である「シャーローム」は神がその民に与えられる祝福の総称です。
    この「平安」の祝福は、「志の堅固な者」に、つまり、「主を信頼する者」に与えられるのです。メシア王国に住む者たちは「主を信頼する者」であり、完全にシャ―ロームの祝福の中にいるのです。そんな世界が来ることを待ち望める私たちは、何と幸いなことでしょうか。
  • イェシュアが弟子たちに教えられた「主の祈り」の冒頭に、「天にまします我らの父よ」があります。この呼びかけて何を祈るかと言えば、「御国が来ますように」です。「みこころが天になるごとく、地にもなりますように」です。「みこころ」とは壮大な神のご計画のことです。壮大な神のご計画とは「御国の実現」「御国の完成」です。そのためにイェシュアは再びこの地に来られるのです。そしてこの地上で王として君臨し、治め、支配するところ、そこが「御国」「天の御国」「神の国」「メシア王国」です。英語は「キングダム」(kingdom)、ギリシア語は「バシレイア」(βασιλεια)、ヘブル語は「マルフート」(מַלְכוּת)です。いろいろな呼びかたがなされようとも、そこは決して揺り動かされることのない王国であり、全き平安が支配する世界なのです。そんな約束の中に、私たちが招かれていることを心から感謝しつつ、その約束が実現することを待ち望みたいと思います。

「シャーローム、シャーローム、シャーローム。主を愛する人々に!!」

2014.8.30


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