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エゼキエルの召命 (2)「見張り人の務め」

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4. エゼキエルの召命 (2)「見張り人の務め」

【聖書箇所】 3章4節~27節

ベレーシート 

  • エゼキエルに対する召命について、主は彼に「巻き物を食べ、腹を満たし、そして行って告げよ」と呼びかけました。しかも、遣わされるイエスラエルの家にはあなたの言うことをだれも聞こうとはしない、でも彼らの顔を恐れるな、というものでした。彼らが聞いても、聞かなくても、彼らに語れというのがエゼキエルの召命です。
  • 多くの者が主のことばに耳を傾けて多くの人々が主を信じて救われる、そんな実りある働きをしたいと多くの主の働き人は思っています。もし、だれも聞いてくれないし、だれも信じてくれない、それでも語り続けなければならないとしたら、そのような働きに耐えられる者がどれほどいるでしょうか。これはイザヤにしても、エレミヤにしても同じ課題でした。それは今日の時代に似ています。これからの時代はますますユダの人々がそうであったように、顔は鉄面皮、額は金剛石、心は固くなな状態になっていきます。それでも主にしっかりととどまり、主のことばを蜜のように甘く感じるほどに味わい、ますます主のご計画の深いところに入り、主の思いを知っていくことは、ある意味において、覚悟が要ります。これからの時代、主のみことばに浸っていくことは時代の流れに逆行していく生き方です。そうした主の召しの呼びかけに答えるために、預言者たちの生き方に今一度、目を向ける必要があります。

1. エゼキエルの反応ー「茫然自失」 

  • 主の呼びかけ(召命)に対する、エゼキエルの反応は私たちを慰めてくれます。「エゼキエル」という名前は「神は強い」「神は力づける」「神によって力づけられた者」という意味ですが、3章15節のエゼキエルの状態を見ると本当にそう思います。

    【新改訳2017】エゼキエル書3章15節
    私はテル・アビブの捕囚の民のところへ行った。彼らはケバル川のほとりに住んでいたが、私は彼らが住んでいるその場所で、七日間、茫然として彼らの中に座っていた。

  • 15節には「ヤーシャヴ」(יָשַׁב)という動詞が3回も使われていていますが、それ以上に、七日間も「茫然として」いたということばに注目したいと思います。神に召された者たちの中でこのような反応を示した者としてエズラがいます(エズラ9:3「色を失ってすわってしまった」)。訳文は異なっていますが、原語は同じです(「シャーマム」שָׁמַם)。
  • エゼキエルの場合、新改訳、新共同訳、岩波訳、バルバロ訳は「ぼう然(呆然、茫然)として」と訳していますが、そのヘブル語は「マシュミーム(מַשְׁמִים)」です。「マシュミーム」は動詞「シャーマム」שָׁמַםの使役形の分詞です。口語訳は「驚きあきれて」、関根訳は「茫然自失」と訳していますが、まさにエゼキエルは、神の召命のことばを聞いて「茫然自失」と「尻込み」を合わせたような状態に陥ったのでした。つまり、神からの召命のことばはエゼキエルにとってかなり衝撃的だったということです。その状態から立ち直るまで七日間を要したのです。

2. 「イスラエルの家の見張り人」の務めとは

  • 立ち直ったエゼキエルの上に、「わたしはあなたをイスラエルの家の見張り人とした」(17節)という主のことばが臨みました。ここでいう「見張り人(ツォーフェ)צֹפֶה」とはエゼキエルのもうひとつの名前です。ひとつの名前は「人の子(ベン・アーダーム)」です。原文では「ベン・アーダーム・ツォーフェ」となっています。
  • ところで、「見張り人の務め」とは何でしょうか。ここでは「警告すること」です。「警告する」と訳された原語は「ザーハル」(זָהַר)の使役形です。この動詞は旧約で24回の使われており、そのうちの15回がエゼキエル書の使用頻度です、いわばエゼキエル書の特愛用語なのです。それはエゼキエルが「見張り人」であることを物語っています。もし警告せずに、人が自分の不義のために死ぬことがあれば、その責任は見張り人であるエゼキエルが問われるのです。相手が聞こうと聞くまいと、見張り人の務めは神から託せられた言葉を隠すことなく、神の代弁者として語り、神の民に警告する責任が常に求められているということです。

3. 「人の子」とは

  • エゼキエルに対するもう一つの神の呼びかけは、「人の子」(「ベン・アーダーム」בֶּן־אָדָם)です。この呼びかけはエゼキエル書の中で90回以上も使われています。それは「滅ぶべもの」「有限なもの」という意味ですが、ダニエル書の場合では「終末的なメシアの呼称」として用いられ、イェシュアも同じ意味で自己呼称として用いています。


2013.5.1


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