****** キリスト教会は、ヘブル的ルーツとつぎ合わされることで回復し、完成します。******

ギデオンという人物の諸相

士師記の目次

7. ギデオンという人物の諸相

【聖書箇所】 8章1節~35節

はじめに

  • 人は本来とても複雑でいろいろな面を合わせ持っている実に不可解な存在です。一筋縄では理解できません。13万5千人というミデヤンの大軍を屈伏させたギデオンも決して例外ではありません。8章からは、6, 7章では見られなかったギデオンの新しい面を見ることができます。

1. ギデオンのさまざまな面

(1) 冷静さ

ギデオンが大きな働きを成し遂げた時、同じ部族のエフライムは彼に対して「激しく責め立て」ました。それはこの戦いにおいて、当初、自分たちに対しての呼びかけがなかったからでした。呼び寄せられたのは戦いが終わってからでした。それは同族のエフライムの人々の自尊心を傷つけました。そして大勝利を収めたギデオンに対する嫉妬心もあったと言えます。

この「激しい責め立て」に対するギデオンの対応はきわめて謙虚で冷静でした。ギデオンはエフライムに逃げ込んだミデヤン人のふたりの首長オレブとゼエブを捕らえたことをほめちぎって、彼らの憤りを和らげたのです。

(2) 最後までやり遂げようとする精神

ギデオンはひとたび与えられた働きをいい加減なところで終えることなく、最後まで遂行しようとする精神の持ち主でした。その証拠は、ヨルダンの東側へ逃げ延びたミデヤン人の二人の王と一万五千人の残党を追撃して捕らえて殺したことに現われています。

ギデオンはひとたび与えられた働きをいい加減なところで終えることなく、最後まで遂行しようとする精神の持ち主でした。その証拠は、ヨルダンの東側へ逃げ延びたミデヤン人の二人の王と1万5千人の残党を追撃し、捕らえて殺したことに現われています。神のみこころは敵を徹底的に滅ぼすことでした。ですから、単に自分の親族が殺されたという個人的な理由から、怒りの感情で追撃としたのではないと思います。

ギデオンは敵の陣営を打ちましたが、敵の「陣営は油断していた」とあります(8:11)。それは敵が「カルコル」という所までギデオンが追撃してくるとは全く予想していなかったことを表しています。

(3) 非協力的な者たちに対する義憤

ギデオンにとってミデヤン人との戦いはイスラエルのための戦いだという認識がありました。ですから追撃を続ける三百の精鋭たちのためにパンを求めた時、スコテとペニエルに住むガド族の人々がそれを拒んだことに怒りをいだきました。スコテとペニエルのつかさたちは、パンを求めるギデオンに対して「セバフとツァルムナの手首を、今、あなたは手にしているのでしょうか。私たちがあなたの軍団にパンを与えなければならないなどとは。」と拒絶しました。ギデオンに対する冷淡な態度、かつ「あたなの軍団」と言われたことはギデオンにとってかなりのショックを与えたようです。

スコテとペニエルギデオンの義憤は、主の戦いに対する非協力的な態度に対するものであり、厳しいものでした。結局、スコテのつかさたち77人は殺され、ペニエルの人々も同様に殺されるという刑罰を受けました。

(4) 権力の座への誘惑に打ち勝った

ギデオンは人々が王となってほしいと頼まれた時、それわはっきりと断っています。なぜなら、イスラエルの真の王は神であることを認識していたからです。この点はギデオンの実に立派なすばらしい面だと評価できます。多くはこの誘惑に負けてしまうからです。

(5) 物資的・性的な面における弱さ

しかし人には強い面もあれば、弱い面もあります。ギデオンの場合には物質的な面と性的な面においての弱さがあったようです。多くの妻がおり、彼から生まれた子どもだけでも70人いたとあります。彼らを養うためには物質的なものが必要であったはずです。ですから、戦利品に目が奪われたとしてもおかしくありません。しかし、彼にはそばめもいたのです。その息子の名はアビメレク(「私の父は神」という意味)ですが、彼が後に妻の子どもたちすべてを殺害していしまうという惨劇を起こすことになります(9章参照)。

ギデオンが死んだ後、彼がイスラエルに尽くした善意のすべてにふさわしい真実を、イスラエルの人々は彼の家族に尽くさなかったのは、それなりの理由があったと言えます。

(6) ギデオンが残した汚点

ギデオンは分捕りもので、「一つのエポデを作り、彼の町オフラにそれを置いた」(27節)とあります。とせんな意図でそのようなものを作ったのかは記されていませんが、偶像礼拝につながる門を開いてしまったことは確かなようです。本来、エポデは本来、祭司だけがつけるものですが、ギデオンはなんらかの主の働きをしたいと考えのか、あるいは、従来の伝統的な祭司の働きが十分な機能をは果たしていなかったのかも知れません。いずれにしてもギデオンの意図とは別に偶像への道を自ら開いてしまったことは、まさに皮肉としか言えません。


2. 士師記8章のもつ意味

  • 士師記7章でギデオンの話が終わっているならば、ギデオンはすばらしい勇士の一人として人々の心に刻みつけられるはずです。しかし聖書はすばらしい主の働きをした人物に対しても、赤裸々らな面を隠そうとはしません。それはすぐれた指導者も一介の人間でしかないことを教えるためであり、完全な真の指導者は神ご自身しかいないことをあかしするためなのかもしれません。歴史はやがてイスラエルの国をより強力にリードしてくれる王を求めるようになります。しかしそれ以前に、ギデオンに見られるような弱さを人間は抱えもっていることを伏線として警告しているのかもしれません。

2012.4.21


a:7874 t:2 y:0

powered by Quick Homepage Maker 5.2
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional