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サウルから逃れるはじめるダビデ

16. サウルから逃れるはじめるダビデ

【聖書箇所】 19章1節~24節

はじめに

  • 19章ではっきりとサウルはダビデを自分の「敵」と呼びます。そのためにダビデは逃亡を余儀なくされますが、決して捕まることなく、難を逃れるのです。

1. ダビデの逃亡生活のはじまり

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  • ダビデがサウルから逃れることを余儀なくされはじめることです。第一サムエル記では19章から「逃げた」と訳される「バーラハ」(בָּרַח)という動詞と「難をのがれた(避難した)」と訳される「マーラト」(מָלַט)という動詞がしばしばセットでも使われています。この二つの語彙は同じような意味をもった語彙であり、ダビデの放浪生活を表わすキーワードです。
  • バーラハ」は旧約で65回、第一サムエルでは8回使われています(19:12, 18/20:1/21:10/22:17, 20/23:6/27:4)。ダビデの逃亡生活が始まるのです。それはサウルが妬みのゆえにダビデを殺そうしたしたからです。
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  • マーラト」は旧約で95回、第一サムルでは13回使われています(19:10, 11, 12, 17, 18/20:29/22:1, 20/23:13/27:1, 1,1/30:17)。すべてニファル態(受動)で使われます。
  • ダビデはサウルの音楽療法で立琴を奏でているとき、サウルがダビデを目掛けて投げつけた槍を、ダビデは三度も身をかわしています(18:11, 11, 19:10)。またダビデは妻のミカルによって難をのがれ、さらにはヨナタンによっても難をのがれますが、その背景には神の絶大な完全なセキュリティによる防御があるのです。それゆえ、サウルはダビデを捕らえることも、殺すこともできないのです。神に愛された「ダビデ」、彼に対する生存と防衛の保障は揺るぎないのですが、そのことをダビデは試されることになります。

2. 「愛した」と訳される語彙「ハーフェーツ」חָפֵץ

  • ヘブル語を学ぶ時、意味の似かよった類義語を覚えると良いです。まずは、19章1節の後半の文節に注目します。

    【新改訳】
    サウルの子ヨナタンはダビデを非常に愛していた

  • 18章1節の後半の文節に注目します。

    【新改訳】
    ヨナタンは、自分と同じほどにダビデを愛した

  • 18:1も19:1も、同じ「愛した」と訳されています。しかも主語はいずれもヨナタンです。ところが原語が異なります。
    18章1節の「愛した」は「アーハヴ」(אָהַב)
    19章1節の「愛した」は「ハーフェーツ」(חָפֵץ)
    訳としては同じですが、原語が異なっているとすれば、そのニュアンスの異なり具合はどのような違いがあるのでしょうか。

「ハーフェーツ」חָפֵץの「愛する」は、どちらかといえば感情的な面が強い語彙です。たとえば、主が私のことを喜びとされる、喜ばれる、気に入る(お気に入り)、御心にかなう、好む(好き)、欲する、と訳されます。この動詞が最初に使われているのは創世記の34章19節、シェケムはヤコブの娘デイナを「愛した」という場面です。結婚したいと思うほどに好きになったということです。

ちなみに「ハーフェーツ」は旧約で74回の使用頻度です。なかでも詩篇は18回といわば特愛用語です。

一方の「アーハヴ」אָהַבは旧約聖書で215回の使用頻度です。人が人を愛する場合も、神が人や民を愛する場合にも使われます。サムエル記第一では10回使われていますが、そのうちの9回は愛する対象がダビデに向けられています。

ちなみに、名詞は「アハヴァー」(אַהֲבָה)で旧約では33回の使用頻度です。後にヨナタンが死んだ時にダビデは「弓の歌」を作りました。その中にこうあります。
「あなたのために私は悲しむ。私の兄弟ヨナタンよ。あなたは私を大いに喜ばせ、あなたへのは、女のにもまさって、すばらしかった。」(Ⅱサムエル1:20)

人と人のかかわりおいて、(1)ヨナタンがダビデを愛した例、(2) ルツが姑のナオミを愛した例、(3)ミカルがダビデを愛した例、などがあります。

「アーハヴ」(אָהַב)が神と人とのかかわりにおいて使われる場合、(1) 神の人に対する「愛」、(2) 人の神に対する「愛」にもこの「アーハヴ」が使われます。

(1) 神の人に対する「愛」は「無条件的な愛」です。

それは、愛する者の主体的意志にのみ基づきます。したがってそれはいかなる契約の条件によっても制限されません。神の人に対する「アーハヴ」は神の選びの愛に示されます。契約の愛は「ヘセド」(חֶסֶד)という言葉が用いられますが、それは契約に対する不断の愛、不変の愛、忍耐的な愛、誠実な愛を表わします。相手に関係なく常に愛する者の側の一方的な選び、あるいは、かかわりへの意図的な決断に基づく「アーハヴ」の愛は、「ヘセド」の契約的な愛とは区別されるべきです。

(2) 人の神に対する「愛」は「神に対する意志的・自覚的・主体的な愛」です

申命記6章5節の「心を尽くし、精神を尽くして、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい」(אָהַב)の命令形。この神に対する愛は、イスラエルの民が神との契約が破棄された捕囚の民の中に培われたものです。神の無条件的な選びの愛に目覚めた者たちのうちに生まれた神への愛です。それが「アハヴァー」であり、その愛は詩篇119篇の底辺に流れています。心を尽くして神を求める愛、神のご計画に参与しようとする愛、これは神の「アーハブ」に起因しているのです。


2012.6.16


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