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バビロンについての五つのあざけりのことば

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4. バビロンについての五つのあざけりのことば

【聖書箇所】 2章6~20節

ベレーシート

  • 「心高ぶる」(4節、新改訳第二版)者の素性を描いた定理的フレーズ(5節)、その後に続く6~20節では、心高ぶる者の悲嘆な運命を嘲笑する「五つの災い」が記されています。また同時に、そこに天からの光が差し込んだ「珠玉のフレーズ」(14節、20節)も記されています。
  • 「五つの災い」は、それぞれの冒頭が「ああ」で始まっています。「ああ」と訳しているのは新改訳ですが、原語は「ホーイ」(הוֹי)で、口語訳では「わざわいなるかな」、新共同訳は「災いだ」、フランシスコ会訳は「因果なことだ」と訳しています。「因果」とは「原因と結果」を意味し、そのことについて触れているということです。これは実に妙訳です。
  • 感嘆詞であるこの「ホーイ」(הוֹי)という語彙は、元来、死者に対する哀悼の叫びとして用いられていましたが、預言書では避けられない神のさばきを宣告する時に使われる語彙として使われています。イェシュアも宗教指導者である律法学者とパリサイ人たちに対して、直接「わざわいだ」(改訂第三版、第二版では「忌わしいものだ」、ヘブル語訳では「オーイ」אוֹי)として八度も語っています(マタイ23:13, 14, 15, 16, 23, 25, 27, 29)。こうした「わざわい」シリーズは、イザヤ書5章8~23節、アモス書6章にも見られます。

1. 第一の「ホーイ」(הוֹי)

(1) 箇所; 6~8節
(2) 対象; 「自分のものでないものを増し加える者。その上に担保を重くする者」
(3) 結果; 「あなたをかむ者が突然起き上がり、あなたを揺り動かす者が目ざめる。あなたは彼らに奪い取られる。」
(4) 原因; 「あなたが多くの国々を略奪した」ゆえに


●金や貴重なものを略奪し、困っている者にそれを悪用して自分の富を築く者に対して、遅かれ早かれ、略奪された者が謀反を起こして略奪する側になる。そのようにして神の正義が行なわれるということです。


2. 第二の「ホーイ」(הוֹי)

(1) 箇所; 9~11節
(2) 対象; 「自分の家のために不正な利得をむさぼり、わざわいの手からのがれるために、自分の巣を高い所に据える者」
(3) 結果; 「石は石垣から、梁は家から」(神に)叫んでいる。
(4) 原因; 「あなたは自分の家のために恥ずべきことを計り、多くの国々を滅ぼした。あなたのたましいは罪を犯した」ゆえに。


●王家がより高い安全な場所に自分の家を建てようとしますが、恥ずべき不義な方法によって得た安全などは存在せず、ただ危険度が増すだけだということを嘲笑しています。


3. 第三の「ホーイ」(הוֹי)

(1) 箇所; 12~14節
(2) 対象; 「血で町を建て、不正で都を築き上げる者」
(3) 結果; 「火で焼かれる」
(4) 原因; 「国々の民を労させ、疲れ果てさせた」ゆえに


●真の都を建て上げるのは主ご自身だけです。都を建設するために実に多くの諸国の民が労させられます。そのために多くの人のいのちが奪われるのです。そのような血で築かれた都はやがて崩れ落ちる運命にあります。そのためのすべての労苦は無に帰すのです。


4. 第四の「ホーイ」(הוֹי)

(1) 箇所; 15~17節
(2) 対象; 「自分の友に飲ませ、毒を混ぜて酔わせ、その裸を見ようとする者」
(3) 結果; 「恥があなたを覆う」
(4) 原因; 「人の血を流し、暴力をふるった」ゆえに


●友好関係にある者に対しても常に疑いの目をもっています。それは自分の権力を奪われまいとする恐れのゆえです。そのために権力が濫用され、ついには歯止めが利かなくなります。権力を保つための暴力はやがていつかは打ち負かされ、恥がその者を覆うようになります。

●これに関連して、やがて「終わりの日」には、恥と偽りの栄光ではなく主の栄光が地を覆い、すべてが主にあって信頼し合える世界が地を覆うようになることをハバククは語っています。


5. 第五の「ホーイ」(הוֹי)

(1) 箇所; 18~20節
(2) 対象; 「物言わぬ偽りの神々を造った者、木や石に向かって起きろと言う者。」
(3) 結果; 「それに頼っても何の役にも立たない」
(4) 原因; 「それは何の息もないただの像」だから。


●ここは、第一から第四までの「ホーイ」を総括する位置にあると考えられます。第一の富、第二の安全、第三の都、第四の権力は、すべて「偶像」につながります。人間が造った偶像はすべて無益であり、それに語りかけて崇拝する者も愚かであることを嘲笑しているのです。

●それに関連して、天の聖なる神殿におられる主はすべてを見通し、高ぶる者に対して必ずさばきをなされる方です。したがって、ハバククを通して語られているメッセージは、この主の前に静まること、換言すれば「待つ」こと。信頼して主を「待ち望む」ことなのです。これは主の主権に対する信仰がなければできないことなのです。

●主の審判が必ずあることを信じることによって、この世の「バビロン」(象徴的な意味でのバビロン=悪しき者サタン)の力に対して、決して揺り動かされることなく、むしろ神に対する不動の信仰姿勢を保つことができるのです。これがハバククが見た「幻」の意義です。そしてこの幻を悟った者が「急使として走る」ことはきわめて必然なのです。主にある私たちは、この定められた時の、終わりについての「幻」を、いよいよ深く知る必要があるのです。


2015.6.17


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