バビロンを襲う突然の破滅(改)
17. バビロンを襲う突然の破滅(改)
【聖書箇所】イザヤ書47章1~13節
ベレーシート
●今回はイザヤ書47章のバビロンを襲う突然の破滅、その予告的出来事(ダニエル書5章)、その預言が啓示する終わりの日の出来事(ヨハネの黙示録17、18章)を学びます。「バビロン」のヘブル表記は「バーヴェル」(בָּבֶל)、つまり「バベル」のことで、創世記10章10節が初出箇所です。その地を治めたのは「二ムロデ」であり、神に敵対する「地上で最初の権力者」です。二ムロデはノアの子ハムの子孫クシュから生まれています。「バベル」は創世記11章にあるように、東の方へ移動した人々がシンアルに定住して、「さあ、われわれは自分たちのために、町と、頂が天に届く塔を建てて、名をあげよう。われわれが地の全面に散らされるといけないから」と言ったことに対して、神が「彼らは一つの民で、みな同じ話しことばを持っている。このようなことをし始めたのなら、今や、彼らがしようと企てることで、不可能なことは何もない」という想定から、それを阻止するために「彼らのことばを混乱させた」ことに由来しています。
1.イザヤ書13章、14章に記された「バビロン」
●「バビロン」の滅びがなされるのは、ユダの王アハズの治世に預言者として神のことばを語ったイザヤの時代(B.C.734)から約200年後のことです。事実、バビロンの最期の王であったベルシャツァルがB.C.539年にメディア・ペルシアの連合軍によって倒され滅びます。そのことをイザヤは13章で語っています。以下の①は終末的な預言でもあります。
①「見よ(ヒンネー:הִנֵּה)、主の日が来る。憤りと燃える怒りの、残酷な日が。地は荒廃に帰し、主は罪人どもをそこから根絶やしにする」(13:9)。
②「見よ、わたしは(ヒン二ー:הִנְנִי)彼らに対してメディア人を奮い立たせる」(同17節)。
③「こうして、諸王国の誉れ、カルデア人の輝かしい誇りであるバビロンは、神がソドム、ゴモラを滅ぼしたときのようになる」(同19節)。
●イザヤ書14章ではバビロンの滅びの理由について述べられています。
【新改訳2017】イザヤ書14章12~15節
12 明けの明星、暁の子よ。どうしておまえは天から落ちたのか。国々を打ち破った者よ。どうしておまえは地に切り倒されたのか。
13 おまえは心の中で言った。『私は天に上ろう。神の星々のはるか上に私の王座を上げ、北の果てにある会合の山で座に着こう。
14 密雲の頂に上り、いと高き方のようになろう。』
15 だが、おまえはよみに落とされ、穴の底に落とされる。
●12節の「明けの明星、暁の子」とはバビロンの王のことを指しています。彼は「国々を打ち破った者」です。そのバビロンの王が「天から落ちた」とは「栄光の座から落ちた」ことを意味しています。なぜ栄光の座から「よみ」にまで落ちたのか。その理由は、彼が心の中で、「私は天に上ろう。神の星々のはるか上に私の王座を上げ、・・・いと高き方のようになろう」と考えたからです。「天」とは王座のあるところであり、「自分が神のようになろう」としたことです。バビロンの王は絶対専制君主であり、「私は天に上ろう。・・いと高き方のようになろう。」という思いの中に、サタンが働いていることは明らかです。サタンは、サタンになる前に御使いのかしらでした。「明けの明星、暁の子」と呼ばれ、御使いの中で最も美しい、また力ある存在だったのです。この御使いが高慢になり、神になろうと企みました。そのために神は、彼をその地位から「よみに落とされ、穴の底に落とされた」のです。
●バビロン王(=サタン)が「天から落ちた」理由が、以下の五つの「私は・・しよう」に表されています。
①「私は天に上ろう」(אֶעֱלֶה)・・「アーラー」(עָלָה)
②「私は、私の王座を上げよう」(אָרִים)・・「ルーム」 (רוּם)
③「私は・・ 座に着こう」(אֵשֵׁב)・・「ヤーシャヴ」(יָשַׁב)
④「私は、・・・上ろう」(אֶעֱלֶה)・・「アーラー」(עָלָה)
⑤「私は、いと高き方のようになろう」(אֶדַּמֶּה)・・「ダーマー」(דָּמָה)(Hith/似るようになる)

●サタンはいろいろな面で神を真似ようとしますが、絶対に真似られないことがあります。それは「謙遜」です。「バビロンの王」とは単にバビロンの特定の王を指すことばではありません。「バビロンの王」とはサタンの象徴であり、神のさばきの対象です。それは終わりの日に出現する「獣と呼ばれる反キリスト」の型であり、新約では「大きな都」「大バビロン」ということばでヨハネの黙示録にのみ登場します。これについては、後ほど述べることにしたいと思います。
2. イザヤ書47章に記された「バビロン」
●47章はバビロンに臨む審判が預言されています。それは転落した女王のみじめな姿です。
(1)「だれ一人容赦しない主の復讐」
【新改訳2017】イザヤ書47章1~11節
1 「おとめ、娘バビロンよ。下って行って、土の上に(=ちりの上に:アル・アーファール:עַל־עָפָר)座れ。娘カルデア人たちよ。王座のない地面に座れ(שְׁבִי־לָאָרֶץ)。
(כִּי)あなたはもう、優しい上品な女と呼ばれることはないからだ。
2 ひき臼を取って粉をひけ。ベールを取り去り、裾をまくってすねを出し、川を渡れ。
3 あなたの裸はあらわにされ、恥もさらされる。わたしは復讐をする。だれ一人容赦しない。」
●ヘブル語の「国、町、都」のすべては女性名詞で「おとめ」「娘」「女」にたとえられます。バビロンの雅名である「カルデア人」も「おとめ」「娘」「優しい上品な女」と表現されます。特にバビロンが「おとめ」と表現されているのは、外敵によって侵略されたことがないことを意味しています。またバビロンが「あなたはもう、優しい上品な女と呼ばれることはない」とあるのは、敵軍の侵略によって「贅沢な都が完全に破壊されてしまって、もう回復されることがない」ことを意味しています。
●「下って行って」とは、王座のあった都が失われ、奴隷としての低い状態にされたことを意味します。そして「土の上に座れ」とありますが、原文では「ちりの上に座れ」(アル・アーファール:עַל־עָפָר)」です。この場合の「ちり」はすべてが剥ぎ取られた恥辱のしるしであり、「裸はあらわにされ、恥もさらされる」とは、彼らを潤すすべての源泉が枯渇した蔑(さげす)みを意味します。
(2) バビロンがわざわいに見舞われる二つの理由
4 私たちを贖う方、その名は万軍の主、イスラエルの聖なる方。
5 「娘カルデア人たちよ。黙って座り、闇に入れ。あなたはもう、国々の女王(ゲヴェレット: גְּבֶרֶת)と呼ばれることはないからだ。
6 わたしは、わたしの民を怒って、わたしのゆずりの民(イスラエルの民)を汚し、彼らをあなたの手に渡したが、あなたは彼らをあわれまず、老人にも(老人に対して/עַל־זָקֵן)、ひどく重いくびきを負わせた。
●4節の「私たちを贖う方、その名は万軍の主、イスラエルの聖なる方」の挿入は唐突です。これを語っているのはイザヤで、その「私たち」という人称は「イスラエルの民」(ユダヤ人)のことです。一方、6節の「わたし」はイスラエルの神のことです。神がバビロンに対して語る中で4節が挿入されている目的は、「わたしの民」「わたしのゆずりの民(=所有の民)」イスラエルと、「あなた」「娘カルデア人たち」「国々の女王」(ゲヴェレット:גְּבֶרֶת) であるバビロン」との関係を明確化するためです。6節の人称を分かりやすく表記するなら、「わたし(イスラエルの神)は、わたしの民(イスラエルの民)を怒って、わたしのゆずりの民(イスラエルの民)を汚し、彼ら(イスラエルの民)をあなた(バビロン)の手に渡したが、あなた(バビロン)は彼ら(イスラエルの民)をあわれまず、老人にも(老人に対して/עַל־זָקֵן)、ひどく重いくびきを負わせた」となります。この箇所は、バビロンに対する神のさばきの第一の理由が明示されています。つまり、①「怒った」(カーツァフ:קָצַף)のも②「汚した」(ハーラル:חָלַל)のも、主体は神であるゆえに、バビロンのさばきの第一の理由としては、①「あわれまない」、②「くびきを負わせた」となるのです。
●神はイスラエルの罪のさばきを執行すべく、彼らをバビロンの手に渡された(נָתַן)のです。バビロンは神のさばきの道具として用いられたに過ぎませんでした。しかしバビロンはそのことを理解せずに、この時とばかりに自分たちの残虐性を満足させる行為を行いました。神はそのことに対して激しい怒りをもって復讐(報復)されるのです。バビロンは彼らに全くあわれみ(ラハミーム:רַחֲמִים)を示すことなく、残酷に取り扱い、老人さえも奴隷のくびきを負わせて苦しめたことが、神のさばきがもたらされる要因としています。
●バビロンに対する神のさばきの第二の理由は、「いつまでも女王でいよう」「私だけは特別だ」という高慢です。
7 あなたは『いつまでも女王でいよう』と考えて、これらのことを心に留めず、自分の終わりのことを思うことさえしなかった。
8 だから今、これを聞け。楽しみにふけり、安心して住む女よ。
心の中で、『私だけは特別だ。私はやもめにはならないし、子を失うことも知らなくてすむ』と言う者よ。
●「いつまでも女王でいよう」とは「わたしは永遠に王女である」という意味です。ヘブル語は「レオーラーム・エイェ・ゲヴァーレット(לְעוֹלָם אֶהְיְה גְבָרֶת)です。「エイェ・アシェル・エイェ」(אֶהְיֶה אַשֶׁר אֶהְיֶה)と言えば、「わたしは『わたしはある』という者」(口語訳「わたしは、有って有る者」出3:14)という神の自己称号ですが、その称号に似せて「わたしは・・である」(אֶהְיֶה)を使っています。バビロンは自らを過信し、神が歴史を支配しておられることを理解していません。これはバビロンだけのことではありません。多くの人は「人の目にはまっすぐに見えるが、その終わりが死となる道がある。」(箴言14:12)ということを知らないのです。
●「これらのことを心に留めず」とはどういうことでしょうか。それは第一の理由と第二の理由のことです。つまりイスラエルの罪のさばきを執行すべく神から渡されたにもかかわらず、彼らをあわれまなかったということ。さらに神が歴史の支配者であることを信じることなく、「いつまでも女王でいよう」と考えたことです。いずれも高慢と横柄な態度ですが、これゆえに自分の終わりのことを思うことさえしなかったのです。むしろ、心の中で、『私だけは特別だ。私はやもめにはならないし、子を失うことも知らなくてすむ』と言っています。「やもめになる」とは「一国の王を失うこと」を意味します。また「子を失う」とは「国土と住民を失うこと」を意味します。しかし、彼らはそのようなことは決して起こらないと豪語していたのです。ところが、この二つのことが「瞬く間にやって来る」「突然見舞う」と主は言われたのです。「だから今、これを聞け」ということばが語られているのです(預言が成就する150年前に)。
(3) 突然にやって来る破滅
9 子を失うことと、やもめになること、この二つが一日のうちに、瞬く間にあなたのところにやって来る。あなたがどんなに多く呪術を行っても、どんなに呪文の力が強くとも、これらは突然あなたを見舞う。
10 あなたは自分の悪に拠り頼み、『私を見ている者はいない』と言う。あなたの知恵と知識、これがあなたを迷わせた。だから、あなたは心の中で言う。『私だけは特別だ。』
11 しかし、わざわいがあなたを見舞う。それを払いのける呪文をあなたは知らない。災難があなたを襲うが、あなたはそれを避けることができない。破滅は知らないうちに、突然あなたにやって来る。
●「私だけは特別だ」と思っているバビロンに対する破滅は、突然にやって来ることが語られています。破滅は「突然」に来ることが強調されています。しかしそれを払いのけることは決してできないのです。鍵語となる「突然」という用語は9節と11節にありますが、以下に見るように、原語がみな異なっています。
●11節の訳語は中沢訳を除いてどの聖書も同じですが、9節の後半に使われている「ケトゥッマーム」(כְּתֻמָּם)の訳がまちまちです。この語は本来「完全」を意味する「ターム」(תָּמ)に、「~のように」を意味する前置詞「ケ」(כְּ)がついたものです。ですから、「余すところなく」「ことごとく」と訳すべきです。時の速さを表す副詞で、11節の「ピトゥオーム」(פִּתְאֹם)は、【新改訳2017】のイザヤ書29章5節では「突然」、30章13節では「瞬く間に」、48章3節では「にわかに」として訳されています。いずれにしても、バビロンの破滅は「突如」として、「瞬く間に」「突然」なされるのです。
2.バビロン、最後の日の出来事
●イザヤ書を離れて、ダニエル書5章を見てみましょう。ここにはバビロンの最後の日の出来事が記されています。至上最強の絶対専制君主を誇ったバビロン帝国は、今や静かにその87年の歴史を閉じようとしていました。ダニエルはこの時、すでに80歳前後になっていました。バビロンの初代の王はナボポラッサル(B.C.626~605)。しかし、B.C.605年8月15日にナボポラッサルが死去します。少々複雑な継承を省略すると、息子のネブカドネツァルは急遽バビロンへ帰還して王位を継ぎバビロンの王となります(B.C.604~562)。彼はネブカドネツァル2世とも呼ばれます。そしてバビロンの最後の王はベルシャツァルです。
(1) 宮殿の壁に神の指によって記された文字
●ベルシャツァル王が千人の貴人たちのために大祝宴会を催しました。そのときに、かつてネブカドネツァルがエルサレムの神殿の本堂から取ってきた金や銀の器を持って来させて、その器でぶどう酒を飲み、かつ偶像の神々を賛美したのです。そのときです。突然、人間の手の指が現れ、王の宮殿の塗り壁に文字が書かれました。「指」とは神の霊を象徴しています。聖なるトーラーは「神の指で」書かれました(出31:18、32:16)。
●王が壁に現れた手の先を見たとき、その「顔色は変わり、いろいろと思い巡らして動揺し、腰の関節はゆるみ、膝はがたがた震えた」と記されています(5:6)。王はバビロンの知者たちを集めて、その文字を読み、その解き明かしをするように命じましたが、だれもその文字を読むことも、解き明かすこともできませんでした。このことを聞いた王母は、宴会の広場に入って来て、息子のベルシャツァルに「あなたの王国には、聖なる神の霊の宿る人がいます」と言って、ダニエルを紹介しました。すでに60年以上の年月が経過しており、ダニエルのことを知っている者はいなかったようです。王母が彼女の父ネブカドネツァルの時代に用いられたダニエルを思い出して、王に進言したのでした。そしてダニエルが呼び出されました。ダニエルはこの文字を解き明かす前に、なぜこの文字が書かれたのかを説明したのです。要点はこうです。父祖のネブカドネツァルの心が高ぶり、高慢にふるまったので、神はその王座から彼を退け、その王座を奪いました。そのためにネブカドネツァルは獣と等しくなり、精神の病を引き起こしました。それゆえ、彼は七年間、理性を失って動物のようになり、牛のように草を食べたと記されています。
【新改訳2017】ダニエル書4章34、37節
34その期間が終わったとき、私ネブカドネツァルは目を上げて天を見た。すると私に理性が戻ってきた。私はいと高き方をほめたたえ、永遠に生きる方を賛美し、ほめたたえた。その主権は永遠の主権。その国は代々限りなく続く。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
37 今、私ネブカドネツァルは、天の王を賛美し、あがめ、ほめたたえる。そのみわざはことごとく真実であり、その道は正義である。また、高ぶって歩む者をへりくだらせることのできる方である。
(2) ダニエルを通して語られた神のさばきのことば
●ダニエルがベルシャツァルに語ったのは神からの警告ではなく、神からのさばきでした。そのさばきの理由は、ベルシャツァルはネブカドネツァルの孫です。ベルシャツァルがネブカドネツァルに起こった事をすべて知っていながら、心を低くしなかったのです(5:22)。そのように宣告して、壁に書かれた文字の意味を解き明かしたのです。
メネ、メネ、テケル、ウ・パルスィーン・・・これはアラム語ですが、解き明かしは以下です。
①「メネ」は、動詞「メナー」(מְנָה)の分詞受動態単数で「数えられた」という意味です。5章26節では「神があなたの治世を数えて終わらせたということ」だと明かされます。
②「テケル」は名詞「テケール」(תְּקֵל)で、ヘブル語の「シェケル」(שֶׁקֶל)のことで、5章27節では「あなたが秤で量られて、目方の足りないことが分かった」の意味だと明かされます。
③「ウ・パルスィーン」の「ウ」は接続詞。「パルスィーン」は動詞の完了形受動態単数の「ペラス」(פְּרַס)で、これはヘブル語の「パーラス」(פָּרַס)で「分割される」ことを意味します。つまり5章28節では「あなたの国が分割され、メディアとペルシアに与えられる」ということだと明かされます。
●バビロンは難攻不落を誇る頑丈な二重の城壁に囲まれており、その上、大ユーフラテス川の水によって堀が巡らされ,いかなる敵の侵入をも阻むことができると考えていたようです。ところがメディア・ペルシアの連合軍は、ユーフラテス川の上流に支流を開いて、川の水の流れを変えてしまいました。そのため城壁の堀に流れていた水は干上がり、メディア・ペルシアの連合軍は難なくその乾いた所を通ってバビロンの城壁内に侵入したのです(無血入城)。87年間続いたバビロン帝国の支配は、あっけなくその幕を閉じたのでした。ダニエル書5章30~31節には「その夜、カルデア人の王ベルシャツァルは殺された。そして、メディア人ダレイオスが、・・その国を受け継いだ」とあります。まさに神のさばきは「ノアの日」のように思いがけない時にやってきます。バビロンはそのようにして終局を迎えたのです。終わりの日に獣と呼ばれる反キリストが築く「大バビロン」が一瞬のうちに滅ぶことになる型となっているのです(黙示録17・18章)。バビロンは全人類の縮図なのです。
3. 黙示録の「⼤淫婦へのさばき」と「⼤バビロンに対するさばき」
【新改訳2017】ヨハネの黙示録17章1~6節
1 また、七つの鉢を持つ七人の御使いの一人が来て、私に語りかけた。「ここに来なさい。大水の上に座している大淫婦に対するさばきを見せましょう。
2 地の王たちは、この女と淫らなことを行い、地に住む人々は、この女の淫行のぶどう酒に酔いました。」
3 それから、御使いは私を御霊によって荒野へ連れて行った。私は、一人の女が緋色の獣に乗っているのを見た。その獣は神を冒瀆する名で満ちていて、七つの頭と十本の角を持っていた。
4 その女は紫と緋色の衣をまとい、金と宝石と真珠で身を飾り、忌まわしいものと、自らの淫行の汚れで満ちた金の杯を手に持っていた。
5 その額には、意味の秘められた名、「大バビロン、淫婦たちと地上の忌まわしいものの母」という名が記されていた。
6 私は、この女が聖徒たちの血とイエスの証人たちの血に酔っているのを見た。私はこの女を見て、非常に驚いた。
●「⼤淫婦」は「⼥」、「⺟」、「⼤バビロン」と同義です。すべて単数形で、一つの世界的組織を表していると考えられます。それは宗教、経済、政治の巨⼤な⼒をもっている組織と⾔えます。「地の王たちは、この女と淫らなことを行い、地に住む人々は、この女の淫行のぶどう酒に酔いました」(2 節)とあります。また、「この女が聖徒たちの血とイエスの証人たちの血に酔っている」(6 節)ともあります。それは神の⺠を抑圧する偽りの組織の根源とも⾔えます。反キリストの⽀配する都は巨⼤な世界統⼀機構なのです。
&color(,paleturquoise){''(2) 大バビロンの滅びの宣告
''};
【新改訳2017】ヨハネの黙示録18章1~3節
1 その後、私は、もう一人の御使いが、大きな権威を持って天から下って来るのを見た。地はその栄光によって照らされた。
2 彼は力強い声で叫んだ。「倒れた。大バビロンは倒れた。それは、悪霊の住みか、あらゆる汚れた霊の巣窟、あらゆる汚れた鳥の巣窟、あらゆる汚れた憎むべき獣の巣窟となった。
3 すべての国々の民は、御怒りを招く彼女の淫行のぶどう酒を飲み、地の王たちは彼女と淫らなことを行い、地の商人たちは、彼女の過度のぜいたくによって富を得たからだ。」
●⼤バビロンは贅沢極まりない世界です。しかし、贅沢の滅びはバビロンと同様、⼀瞬にしてやって来ます。この18章には「一瞬にして」が三度繰り返されています。
(3) 聖徒たちよ、この都のことで喜べ
●神はついに、神の⺠のために⼤バビロンをさばかれるのです。18章22節「竪琴を弾く者たち、歌を歌う者たち、笛を吹く者たち、ラッパを鳴らす者たちの奏でる音が、おまえのうちで、もはや決して聞かれることはない。あらゆる技術を持つ職人たちも、おまえのうちで、もはや決して見出されることはない」とは、カインから始まる人間のあらゆる文明文化(創4:21~22)が喪失するのです。かつてサタンはイェシュアを誘惑しようとして、世界の国々の繁栄を⾒せて、⾃分を拝むなら、ひれ伏すなら、これらの国々を治める権⼒と栄光を与えようと⾔いました。イェシュアはこの誘惑を跳ね除けましたが、多くの者たちがこのサタンのことばを信じてそれを⼿にしてきました。しかしそれを掴むや否や、必ず崩れ落ちるのです。サタンは「偽りの⽗」です。この世の華やかさ、豪華さ、繁栄などに⼼動かされるならば、やがて失望に終わるのです。そのことを「王なる祭司」は聖書の歴史から深く学ばなければなりません。
三一の神の霊が、私たちの霊とともにあります。
2025.12.21
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