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パウロに大きな影響を与えた人物ーバルナバとの出会い


9. パウロに大きな影響を与えた人物ーバルナバとの出会い

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ベレーシート

●サウロの回心後、彼に影響を与えた人物としてバルナバが挙げられます。バルナバはサウロという人を信頼し、隠れていた神の逸材を表舞台に引き出した人物です。サウロとの出会いはエルサレムでした。

1. サウロとバルナバとの出会い

(1) ダマスコからエルサレムへ

籠で逃亡.PNG

●ダマスコで回心したサウロは、エルサレムに戻らずに、祈りの瞑想のためにアラビアに行きました。そこで過ごした後ダマスコに戻りました。それから3年間、サウロは「イェシュアこそメシアであること」、「イェシュアこそ神の子であること」を聖書によって論証しようとしました。それよってユダヤ人たちは怒り、サウロを捕らえて殺そうと計画しました。サウロは彼らの陰謀を知りますが、逃げようにもダマスコの門は昼も夜も見張られていました。そこで弟子たちは、夜中にサウロを籠に乗せ、城壁伝いにつり降ろし、町から逃亡させたのです(使徒9:23~25)。

(2) エルサレム訪問の意図

●ガラテヤ1章18節に「私はケファを訪ねて・・彼のもとに十五日間滞在しました」(新改訳2017)とあるように、サウロがエルサレムに行ったのは、ある目的があったようです。「訪ねて」と訳された「ヒストレオー」(ἱστορέω)は、「調査する、調べて知る、訪問して知り合いになる」という意味があります。おそらく自分の知らないイェシュアの公生涯の活動について、ペテロから直接聞こうとしたと思われます。このようにイェシュアについての貴重な情報を得たのは、サウロのこれからの働きに不可欠だったと考えられます。後に、「わたしが主から受けたこと」(Ⅰコリント11:23)というパウロの表現は、ケパ(ぺテロ)を通して得たものではないかと推察されます。

(3) エルサレムでサウロを紹介したバルナバ

●サウロはエルサレムに行って弟子たちの仲間に入ろうと試みますが、多くの者はサウロを恐れて近づ来ませんでした。つまり、サウロは信用されなかったのです。そのとき、この両者の間に立って、エルサレムの群れに彼を紹介する者がいたのです。それがバルナバという人物でした。

【新改訳2017】使徒の働き9章27~28節
27 しかし、バルナバはサウロを引き受けて、使徒たちのところに連れて行き、彼がダマスコへ行く途中で主を見た様子や、主が彼に語られたこと、また彼がダマスコでイエスの名によって大胆に語った様子を彼らに説明した。
28 サウロはエルサレムで使徒たちと自由に行き来し、主の御名によって大胆に語った。

●バルナバという仲介者によって、エルサレムの使徒たち、および弟子たちに紹介されることで、初めてサウロは受け入れられたのです。しかしガラテヤ書1章18~20節によれば、バルナバが引き合わせることのできた使徒はケパ(ペテロ)とイェシュアの兄弟ヤコブだけでした。しかしいずれにしても、サウロは正式に「使徒たちと自由に行き来」することができたのです。つまり、エルサレムの弟子たちの仲間入りを果たしたのです。これはひとえにバルナバのおかげだったということができます。バルナバとサウロのかかわりはこれで終わったのではなく、ここから始まったのです。

(4) エルサレムから故郷タルソへ

●エルサレムでの15日間の滞在中に、サウロはギリシア語を話すユダヤ人に、主の御名によって大胆に語ったり、論じたりしたことで、ユダヤ人たちをひどく怒らせました。そして、サウロを殺害する陰謀が謀られたので、エルサレムの兄弟たちは急いでサウロを「カイサリアに連れて下り、タルソへ送り出した」(使徒9:30)のです。こうしてサウロは生まれ故郷のタルソを中心として10年余(ガラテヤ書2:1の「14年」から回心後のダマスコでの3年間を引いて10年余)の生活を過ごします。その間、「シリアおよびキリキアの地方」(ガラ1:21)にも行っています。

●回心後の最初のエルサレム行きは短い期間でしたが、バルナバとの出会い、そして使徒のペテロと主の兄弟ヤコブとの親交を結んだことは有益な収穫でした。

2. バルナバという人物

●ここでバルナバという人物の紹介をしたいと思います。

【新改訳2017】使徒の働き4章36~37節
36 キプロス生まれのレビ人で、使徒たちにバルナバ(訳すと、慰めの子)と呼ばれていたヨセフも、
37 所有していた畑を売り、その代金を持って来て、使徒たちの足もとに置いた。

●上記がバルナバについての最初の言及箇所です。「キプロス生まれのレビ人で、使徒たちにバルナバ(訳すと、慰めの子)と呼ばれていたヨセフ」とあります。彼の名前は「ヨセフ」であり、使徒たちから「バルナバ」という愛称で呼ばれていたことが分かります。彼はユダヤ人であり、キプロス生まれのレビ人です。バルナバのギリシア語表記は「バルナバス」(Bαρναβᾶς)、ヘブル語表記は「バルナバー」(בַּר־נַבָּא)で、「バル」(בַּר)は「子」を意味し、「ナヴァー」(נַבָּא)は「ものを言う、勧告する」という意味です。おそらく彼の言葉は人に慰めと励ましを与えるものだったのかも知れません。そういうわけで、「慰めの子」(υἱὸς παρακλήσεως)(בֶן־הַנֶּחָמָה)と呼ばれるようになったのかもしれないと言われています。事実、バルナバはサウロを主の働き人としての器と認め、励ました人でした。

●バルナバは「所有していた畑を売り、その代金を持って来て、使徒たちの足もとに置いた。」とありますから、心の広い、「与える賜物」を与えられていたのかも知れません。また彼は自分よりも人を活かす賜物があったようです。

3. 使徒としてサウロと共に働き、第一次伝道旅行の時に主導権を譲った人

●サウロがタルソに隠棲している間、アンティオキアでは教会が⽬覚ましく発展していました。その知らせがエルサレム教会に届き、使徒たちはバルナバを派遣しました。 バルナバがアンティオキア教会で指導に当たっていたとき、彼はサウロのことを思い出し、アンティオキアからタルソに出向 き、サウロと会い、彼を説得しアンティオキアに連れて来て、宣教の奉仕に当たらせようとしたのです(使徒11:19~26)。

●そのころ、世界中で⼤飢饉が起こり、アンティオキア教会はユダヤに住んでいる兄弟たちに救援物資を送ることを決定し、バルナバとサウロの⼿に託しました(使徒11:27~30)。

(1) 第一次伝道旅行

●アンティオキア教会は迫害によって散らされた無名の信徒たちの伝道によって始まった最初の異邦人教会でした。そこにバルナバがエルサレム教会から派遣され、またバルナバが新しい信者たちをしっかりと根づかせるためにサウロを捜し出して連れてきました。そのような教育的配慮がなされることで、アンティオキア教会の弟子たちは「キリスト者」(「クリスティアノス」)と呼ばれるようになったのです。

●使徒の働き13章では、アンティオキア教会としての新たな段階を迎えます。それは「バルナバとサウロを聖別して、新しい任務(福音の宣教の働き)につかせよ」という聖霊の声を吟味して従い、彼らを按手して「送り出した」のです。このことによって教会の歴史は新しい段階へと展開していきます。

(2)キプロス島での伝道

●伝道の務めをゆだねられたバルナバとサウロは、バルナバの故郷であるキプロスの地に行き、パポスという場所で最初の伝道の働きをしようとします。その地ではローマの地方総督であるセルギウス・パウルスという人が救われたことが報告されています。彼はバルナバとパウロを招いて、神のことばを聞きたいと思っていました。まさに、神に選ばれし者でした。しかしバルイエスという名のユダヤ人のお抱え魔術師はそのことに反対し、妨害しようとしました。ところが、サウロは聖霊に満たされ、その魔術師をにらみつけ、結果的に、目を見えなくしてしまいました。そのことで、総督が信仰の道に入ることができたのです。

●キプロスでの「霊的戦い」、および次の宣教地での説教を通して、バルナバとパウロの順位が「バルナバとサウロ」から「パウロとバルナバ」に変わります(13章43節参照)。さらに、14章4節と14節では二人が初めて「使徒」と言われています。13章1節ではバルナバは「預言者」、サウロは「教師」と呼ばれていたようです。

2019.3.12


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