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パウロのとりなしのkeyword<2>Worthy Life

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B-10. パウロのとりなしのkeyword <2> 

Worthy Life

召しにふさわしく歩むことができるように

  • パウロの感謝の内容を見るとき、エペソ教会、テサロニケ教会、ピレモンに対して、主に対する信仰とすべての聖徒たちに対する愛との<バランスの良さ>に対して感謝をささげている。このバランスをもった歩みこそ、すべてのクリスチャンに求められるものである。
  • 使徒パウロは比較的早く書かれたテサロニケ教会に宛てた手紙の中で、「・・私たちはいつも、あなたがたのために祈っています。どうか、私たちの神が、あなたがたを召しにふさわしい者に・・・してくださいますように。」(Ⅱテサロニケ1章11節)と記している。
  • 「召しにふさわしく生きる」―これはクリスチャンたちに対するとりなしにおいて、すべての嘆願を包括するキー・ワードであると考える。「Worthy life」、つまりバランスの取れた成長こそ、すべてのクリスチャンに対する祈りでなければならない。奉仕がうまく行くように、生活が守られるように、試験に合格できるように、健康が守られるように・・・そうした類の祈りがしばしばあるが、果たして、自分のために、あるいは人のために、神によって召された者として「ふさわしく」生きることのためにどれだけ祈っているだろうか。
  • 「あなたがたは召されたその召しにふさわしく歩きなさい。」(エペソ4章1節) これはパウロ自身の生涯の重い課題であった。それはエペソ教会にとっても一番大切な勧告であった。「ふさわしく」という語は、同じ価値、同じ値打ち、という意味を持った言葉である。したがって「あなたがたは、主イエス・キリストがあなたがたを召してくださった、その召しと同等の価値、尊さをもった歩き方で生活するように努めなさい」と言う意味である。召されたからには、召しの中にある大きな価値を心に留めて、それにふさわしく生きなさいというのである。
  • このように、あなたがたが召し入れられた状態や身分に釣り合うように歩めというのは、<帝王学の勧め>である。「殿ッ! そのような事をされては、ご身分に差し支えますぞーッ!」という式の戒め方である。その召しの尊さをしっかり受け止めるべきであり軽々しく受けてはならない。
  • 「ふさわしい」ということばを見てみよう。このことばには基本的に二つの意味をもっていて、そのどちらも重要である。
  • 第一の「ふさわしく」(アクシオース)は、もともと「秤の他の竿を持ち上げる、重さを測る」(アゴー)から由来した副詞で、値積もりをし、代価を払うために天秤を釣りあわせて測ったところからきた言葉である。「均衡(バランス)を保たせる」「重さが等しい」という意味である。
  • 使徒パウロは、今ここで、聖書の教理と実践とが生活の中でいつも同じ重さを持って見られるようにと命じ、勧告しているのである。教理を重要視し、実践を軽んじてはならないし、その逆であってもならない。そのようなことをすれば均衡を失い、どちらか一方に傾いた状態になってしまう。このはかりが完全な均衡を保たなければならない。頭が知識でいっぱいであっても、実生活で誤りに陥れば、その人自身が神の国の進展の障害となりうる。そのために互いにふさわしく生きることができるように祈らなければならない。
  • 第二は、「似合う」ということである。「召された召しに似合うように歩みなさい」と。「キリストの福音に似合うように生活しなさい」(ピリピ1章17節)。何かに似合う。それは洋服の色を合わせて着ることであり、また、適合すること、あるいは、他の部分と釣り合いがとれるようにするという意味である。クリスチャン一人ひとりが「神にかたどり造り出された新しい人を身に着る」(エペソ4章24節)することができるよう祈らなければならない。
  • 〔ポイント〕・・お互いに「召しにふさわしく」生活できるように祈ろう。そして、こうも祈ろう。

    ①「神に愛された子どもらしく」(エペソ5章1節)・・・
    ②「聖徒にふさわしく」(同、5章3節)・・・・
    ③「光の子どもらしく」(同、5章7節)・・・・
    ④「賢い人のように」(同、5章15節)・・・・ 歩めるように。


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