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レビ人の存在と彼らに与えられた務め

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民数記の目次

3. レビ人の存在と彼らに与えられた務め

【聖書箇所】 3章1節~51節

はじめに

  • 民数記3章、4章はレビ人の存在について学ぶ絶好の機会です。そこには、レビ人と祭司の関係、レビ人とイスラエルの民との関係、レビ人おける三つの氏族のかかわりが記されているからです。
  • レビ人の存在は、イスラエルの歴史において常に登場してきますし、イエスが登場する時代まで世襲制として存続しています。ですから、彼らの存在を整理して知っておかなければ、「聖書を横に読む」うえで妨げとなるほどです。
  • まずは、3章に記されている事柄を整理しながら、その上で神が定められた事実がどんな霊的真理をあかししているかを瞑想したいと思います。

1. レビ族の存在とその務め

  • レビ族とは、ヤコブの第三番目に生まれた息子から始まっている一族です。民数記1章、2章にはイスラエルのそれぞれの部族の人口調査がなされ、それぞれの氏族、父祖の家にしたがって登録されました。しかしそのとき、主はモーセに「レビ族だけは、他のイスラエル人といっしょに登録してはならない。」(1:49)と言われました。その理由は、レビ族だけは神にとって特別な存在だったからです。つまり、彼らは神のために聖別された存在であったからです。
  • 主はモーセにこう告げられました。「わたしはイスラエル人のうちで最初に生まれたすべての初子の代わりに、今これからイスラエル人の中からレビ人を取ることにした。レビ人はわたしのものである。初子はすべてわたしのものだからである。」 (3:12~13) と。つまり、レビ人はイスラエル人の初子の身代わり的存在なのです。イスラエル人の初子はすべて神のものですが、実際にはその初子を神にささげるかわりとして初子一人につき一人のレビ人によって贖われた(代わりとされた)のです。
  • そのために、神はレビ族の各氏族(ゲルション族、ケハテ族、メラリ族)の一か月以上のすべての男子を数えて、レビ人として登録するように命じられました。すると、レビ人の数は2万2千人でした。しかし、イスラエル人の初子の数は2万2千273人であったため、237人分の初子のかわりに贖いの代金が支払われました(3:39~51)。
  • レビ人の重要な務めは「聖所の任務を果たす」ことでした。レビ人の三つの氏族、つまり、ゲルション族、コハテ族、メラリ族は、聖所の任務のそれぞれの務めが神によって与えられました。

    (1) ゲルション族の任務

    聖所の幕に関する部分(天幕のおおい、会見と入口の垂れ幕、幕と幕をつなぐひもなど)の管理と運搬

    (2) ケハテ族の任務

    聖所にある器具の一切(契約の箱、机、燭台、祭壇、それらに関する用具など)の管理と運搬

    (3) メラリ族の任務

    聖所を支える部分(板、横木、柱、台座、釘など)

  • 各部族に与えられた任務はそれぞれ独立したものであり、他の部族の任務を兼用したり、替ったりすることは許されませんでした。それぞれが専門職として割り当てられたのです。

2. 祭司とレビ人の関係

  • 祭司とレビ人はもともと同じ族長レビから派生していますが、祭司とその職は、レビの二番目の息子であるケハテから生まれた最初の子からの子アロンの家系の者たちで、いわば、特別職です。祭司たちはすべてアロンの家系で世襲制でした。祭司たちは会見の天幕における礼拝を実際に取り仕切っていく者たちでした。
  • この祭司と聖所に仕えるレビ人との関係は、レビ人が祭司に仕える立場でした。つまりレビ人は祭司の指導の管理下にありました。礼拝を取り仕切る祭司のもとで仕える存在、それがレビ人たちでした。民数記3章6節で神はモーセに次のように告げています。「レビ部族を近寄らせ、彼らを祭司アロンにつき添わせ、彼に仕えさせよ。彼らは会見の天幕の前で、アロンの任務と全会衆の任務を果たして、幕屋の奉仕をしなければならない。」(3:5~7)。レビ人は神に仕え、祭司に仕え、そしてイスラエルの人々に仕える者たち(奉仕者)だったのです。また、彼らが祭司職にかかわることは一切許されませんでした。3章10節、および38節には「ほかの人でこれに近づく者は殺される」という表現がありますが、それほどに祭司職は特別な職であったということです。

3. 民数記第3章における霊的真理

  • さて、3章に記されているレビ人とその任務内容、および祭司職とのかかわりにおいて、どんな霊的真理が見えてくるかが瞑想の焦点です。
  • レビ人はイスラエル人の初子の代理人であり、神のために聖別された存在です。そしてレビ人はまず祭司に仕える存在でした。神の権威によって建てられた祭司のもとで仕える存在です。ですから、自分の分をわきまえる必要がありました。権威の下に服しながら、神に仕え、人に仕えるという立場が与えられました。
  • 後に、一部のレビ人がこのことを不服として自分の上にいる祭司たちのことで反乱を起こす事件が起こります。コラの反乱です。自分に与えられている立場をわきまえず、祭司もレビ人も同族だとして(確かにそうですが)、民主制を訴え、神にさばかれた事件です。そのことを考えると、自分に与えられた働き、賜物をわきまえることがいかに難しいかということがわかります。他の者と自分を比べ始めるとき、秩序の混乱が起こるのです。神から与えられた賜物や召し、働きを受けとめることがないところには、必ずこのような問題が起こるということです。
  • 重要なことは、神が自分に与えられた務めはなにかということを知ることにあります。メラリ族に与えられた務めのひとつは「釘」をもって台座を地にしっかりと打ち付ける務めでした。いつもそうです。もしこのメラリ族のひとりが、ケハテ族が担うべきところの器具に関心を示したらどうなるでしょうか。混乱が起こります。ゲルション族の務め、コハテ族の務め、メラリ族の務め、これらの務めはすべて独立しており、その託された務めがしっかりなされることによって、幕屋そのものが成り立つのです。それぞれの務めだけを見るならば、見栄えのしない務めであったとしても、それぞれの部分の務めが果たされることによって、はじめて全体が調和を保てるのです。釘の一本が全体を構成する上でなくてはならない大切な部分なのであり、すべてが一つの共通の目的のために存在しているのです。神のための奉仕者にとってこの自覚はきわめて重要です。そのためには自分が神からどのような務めを与えられているのか(召命)、そしてそのためにどんな賜物が与えられているのかを知る責任があるということです。
  • この真理は、新約聖書でエペソ人への手紙の中に啓示されています。

    「キリストによって、からだ全体は、一つ一つの部分がその力量にふさわしく働く力により、また、備えられたあらゆる結び目によって、しっかりと結び合わされ、成長して、愛のうちに建てられるのです。」(4:16)

  • 主にある者たちが、それぞれ自分の役割を守り、おのおのが神の定められた領分においてその務めを果たすならば、そこに神の栄光が現されることを信じていきたいと思います。

2012.1.13


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