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主のすばらしさを味わい、これを見つめよ

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78. 主のすばらしさを味わい、これを見つめよ

【聖書 詩篇34篇8節 前半

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【読み】
タアー ウーレー キー・ーヴ アドーイ

【文法】
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【翻訳】

【新改訳改訂3】
【主】のすばらしさを味わい、これを見つめよ。
【口語訳】
主の恵みふかきことを味わい知れ、
【新共同訳】
味わい、見よ、主の恵み深さを。
【岩波訳】
味わいかつ見よ、まことに、ヤハウェは善き方。
【関根訳】
ヤハウェの恵み深きことを味わい知れ。
【バルバロ訳】
【NKJV】
主の慈しみを見つめ味わえ
Oh, taste and see that the Lord is good;
【NIV】
Taste and see that the LORD is good;

【瞑想】

「主のすばらしさを味わい、これを見つめよ」(新改訳)というフレーズ、新共同訳では節が1節ずれて9節に「味わい見よ、主の恵み深さを」と訳されています。ヘブル語の「トーヴ」טוֹבという一つの形容詞が、以下のようにいろいろな言葉で訳されています。
「すばらしさ」(新改訳)、「恵みふかきこと」(口語訳)、「恵み深さ」(新共同訳)、「善き方」(岩波訳)、「慈しみ」(バルバロ訳)・・・。

ちなみに、詩篇34篇には四つ「トーヴ」טוֹבが使われており、以下のように、それぞれの箇所においてもその訳はまちまちです。

① 08節「すばらしさ」(共9節「恵み深さ」)
② 10節「良いもの」(共11節「良いもの」)
③ 12節「しあわせ」(共13節「幸い」)
④ 14節「善」(共15節「善」) 

このように、「トーヴ」という語彙がいろいろなニュアンスを持っていることがわかります。私は、この「トーヴ」ということばこそ神の恩寵の総称を表わす語彙だと考えています。私たちは、日ごとに、この神の「トーヴ」を自分自身のものとして味わい、楽しむことが重要です。罪を犯す前の人間は、エデンの園においてすることと言えば、そこにあるものすべてを楽しむことでした。神のトーヴは神の創造されたすべてにおいて満ち満ちていたのです。「見よ、見つめよ」(ラーアーרָאָה)ということばは、その神のトーヴに目を留め、それに注目(フォーカス、注視)することを通して、神の恩寵の世界に目が開かれることを呼びかけています。なぜなら、神は良いお方であり、私たちに良いものを与えることを最も喜びとされる父だからです。

しかし、神が「トーヴ」であることを見出すことは決して易しい事ではありません。結論的に言うなら、「主のすばらしさを味わい、これを見つめよ」という呼びかけは、苦悩の炉によって練きよめられて出てきた告白だということです。決して楽観的な、軽々しい事柄ではないのです。

詩篇34篇の表題に「ダビデによる」とあります。そしてその後に「彼がアビメレク(これはアキシュの別名、1サム21:11~16)の前で気狂いを装い、彼に追われて去った時」と記されています。原文では「彼(ダビデ)の判断、分別を狂わせた時」となっています。イスラエルの王となることを預言者サムエルから告げられ、油注ぎを受けた後、ダビデはサウル王の嫉みによっていのちからがら逃亡し、以後、10余年の苦難の生活を余儀なくされます。つまり、不条理な苦難の生活がはじまるのです。しかしそれは、ダビデがやがてイスラエルの王としてふさわしくなるための神の特別な訓練でした。ここに神のすばらしいミシュパート(統治理念)が隠されています。

再度、表題にのみ目を向けてみます。

ダビデによる。彼がアビメレクの前で気が違ったかのようにふるまい、彼に追われて去ったとき

ここには「・・を去ったとき」(新改訳)、あるいは「追放されたときに」(新共同訳)と訳されていて、いかにもその時に作られたかのように見えますが、そうではありません。「時」と訳された原語は「べ」(בְּ)という前置詞で、ここでは「・・した経験をもとに(踏まえて)」というニュアンスです。サウルに追われたダビデが、アキシュのもとで自分の判断力、分別を狂わせた経験を踏まえて、その経験をもとにこの34篇の詩篇が作られていると言えます。

詩篇34篇には分別を失った姿はなく、むしろ主に対する確かな分別があります。しかしその背景に分別を失ったダビデの経験があることを忘れてはならないのです。これはひとつの型です。ダビデの荒野の放浪はやがてイスラエルが経験する捕囚の出来事と重ね合わせられているのです。つまり、神の民が自分たちの国を失い、しかもバビロンの地に捕囚となるという辱めの経験、破局、崩壊、滅亡の経験、零点状況、氷点状況(尤も、バビロン捕囚の経験は不条理な出来事ではなく、神への背反がその理由です)、そうした状況から神の民としてのアイデンティティを回復していくイスラエルの民の信仰の息遣いが、この詩篇の中に隠されているのです。そうした視点から「主のすばらしさを味わい、これを見つめよ」というフレーズを見るなら、神の「トーヴ」を強調するこの詩篇は一段と深みを増してものと信じます。

神の恩寵の総称を表わす神のトーヴは聖書全体をおおっています。神の創造からはじまって、神の民の父祖であるアブラハムの選び、イスラエルの失敗と回復の歴史において、メシアの到来とその完成に至るまで、神のトーヴは永遠です。

主に感謝せよ。 
主はまことにいつくしみ深い。
その恵みはとこしえまで。

【付記】
「主に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い。」⇒楽譜
ヘブル語「ホドゥ・ラ・アドナイ」⇒楽譜

2013.5.3


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