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主は大いなることをなされた

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3. 主が大いなることをされた

【聖書箇所】 ヨエル書2章18~27節

ベレーシート

  • 「心を尽くして、・・わたしに立ち返れ。」と語った主のことばに応答するユダ(シオン)の民たちに対して、「主が大いなることをされた」というのが2章18~27節の内容です。「主が大いなることをされた」というフレーズが二回(20節と21節)出てきます。しかしそれはまだ実現していません。しかしやがてそれが必ず実現することを預言的に語っているのです。「大いなること」とは、神にしかできない「不思議なこと」(26節)です。それを一言で言うならば、「ゆずりの地の荒廃からの回復」であり、神に立ち返った者たちに対する神の「償い」(25節)なのです。

1. いなごが食い尽くした年々の償い

【新改訳改訂第3版】ヨエル書2章25節
いなご、ばった、食い荒らすいなご、かみつくいなご、わたしがあなたがたの間に送った大軍勢が、食い尽くした年々を、わたしはあなたがたに償おう。

【新改訳2017】ヨエル書2章25節
いなご、あるいは、バッタ、その若虫、噛みいなご、わたしがあなたがたの間に送った大軍勢が食い尽くした年々に対して、わたしはあなたがたに償う。

  • ヨエル書1章4節には「かみつくいなごが残した物は、いなごが食い、いなごが残した物は、ばったが食い、ばったが残した物は、食い荒らすいなごが食った。」とあります。ヨエル書における「いなご」は出エジプト記(10章)ように実際のいなごではなく、その大群は神が神の民をさばくための道具として用いられる異邦(バビロン、ペルシア、ギリシア、ローマ)の大軍勢(1:6. 2:2,4~11)と言えます。
  • 悔い改めた民に対する神の祝福は「大軍勢が、食い尽くした年々を、わたしはあなたがたに償おう」というものです。この箇所を置換神学で読んでしまうと、「あなたのこれまでの不幸な出来事を、神は償ってくださる」と解釈してしまいます。これは決して間違ってはいませんが、神のご計画から離れてしまうだけでなく、神のご計画に無関心な読み方になってしまうのです。さて、「償う」と訳された原語は「シャーラム」(שָׁלַם)です。ここではピエル態で「回復する、完成する、報いる、償う、(誓いを)果たす」の意味です。ヨエル書にはもう一つ「シャーラム」が使われていますが、そこでは「報復すること」の意味で使われています(3:4、新共同訳は4:4)。「シャーラム」は「シャーローム」と同じ語源であり、完全な状態への復帰を意味しています。神の回復には永遠性も獲得されます。
  • 「わたしがあなたがたに償う」とはなんという恩寵でしょう。神による完全なる復興(回復)です。その背景にあるものは、神の民に対するゆるぎない神の愛です。

2. ねたむほどの神の愛

【新改訳2017】ヨエル書2章18節
【主】はご自分の地をねたむほど愛し、ご自分の民を深くあわれまれた。

  • 神の償いの背景にあるものは神の強い愛です。新改訳は強意形ピエル態の「カーナー」(קָנָא)を「ねたむほど愛し」と訳しています。神は十戒の中で「わたしは、ねたむ神」と語られましたが、それは「ねたみを引き起こすほどの愛」で愛しているという表現です。ただし18節の「ねたむほどの愛し」ているのは、神が神の民に与えた「ゆずりの地」に対してのものですが、その後半では「ご自分の民をあわれまれた」とあります。同義的パラレリズムと考えるなら、神がご自分の地をねたむほどに愛することと、神がご自分の民をあわれまれることは同義なのむです。本来は、「ゆずりの地とそこに住む民」は一つでなければならないのです。
  • ちなみに、神はご自身のご計画において約束の地に最後までこだわり続けます。特に「エルサレム」は、地上における唯一の臨在の場として神ご自身が選ばれたがゆえに、ことのほか重要な場所です。メシアの再臨によってなされるメシアの地上統治の中心地は、それはエルサレムです。

3. 神の祝福のしるし

【新改訳改訂第3版】ヨエル書2章21~24節

21 地よ。恐れるな。楽しみ喜べ。【主】が大いなることをされたからだ。
22 野の獣たちよ。恐れるな。荒野の牧草はもえ出る。木はその実をみのらせ、いちじくの木と、ぶどうの木とは豊かにみのる。
23 シオンの子らよ。あなたがたの神、【主】にあって、楽しみ喜べ。主は、あなたがたを義とするために、初めの雨を賜り、大雨を降らせ、前のように、初めの雨と後の雨とを降らせてくださるからだ。
24 打ち場は穀物で満ち、石がめは新しいぶどう酒と油とであふれる。

(1) 「楽しみ」と「喜び」はメシア王国の基調

  • 悔い改めた神の民に対する神の祝福のしるしは、すべて地の回復と神の民にかかわるものです。21節では「地よ」と呼びかけ、23節では「シオンの子らよ」と呼びかけ、「楽しみ喜べ」と命じています。なぜなら、主が大いなることをされたから、主があなたがたを義とするためだとしています。
  • 「楽しむ」(「ギール」גִּיל)と「喜ぶ」(「サーマハ」שָׂמַח)はメシア王国の基調です。このフレーズが出て来るところはほとんどメシア王国に関するものと考えることができます。詩篇にもしばしばこの「楽しみ」と「喜び」が一つとなったフレーズがあります。神のマスタープランの行き着く所には「楽しみ」と「喜び」が満ち溢れているのです。

(2) 「初めの雨」(秋の雨)と「後の雨」(春の雨)

  • 「初めの雨」(秋の雨)は「モーレ」(מוֹרֶה)と言って、10~11月頃に降る雨です。穀物に欠かすことができないもので「先の雨」とも言います。一方の「後の雨」(春の雨)は「マルコーシュ」(מַלְקוֹשׁ)と言って、これも穀物の収穫には欠かすことのできない雨です。その「先の雨」と「後の雨」を降らせると神は約束しています。イスラエルにおいては秋の雨と春の雨の間が雨季と呼ばれます。反対に5~9月は乾季と呼ばれ雨が全く降らないという、日本とは全く異なる気候です。雨は「聖霊が降り注ぐ」象徴です。雨が降ることで以下の産物が生じます。

(3) 地の産物

  • 悔い改める神の民に対する祝福のしるしとしての地の産物が示されています。それは「穀物」(小麦、大麦)、新しいぶどう酒、油(オリーブ油)です。「いちじくの木」と「ぶどうの木」は、イスラエの民の象徴です。したがって「木の実」(22節)が「豊かにみのり」「あふれる」とあるのは、彼らは神の民として完全に回復することを意味しているのです。それゆえ「あなたがたは飽きるほど食べて満足する」(26節)のです。これが神の「償い」(「シャーラム」שָׁלַם)と言えます。まさにエデンの園の回復を意味します。

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2015.1.17


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