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外からの試練に対処するネヘミヤ

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4. 外からの試練に対処するネヘミヤ

【聖書箇所】 4章1節~23節

ベレーシート

  • 神への奉仕に携わろうとする者にとって必ずや直面する問題があります。それは、神のみこころにそった働きが始まり、進んでいくと、さまざまな妨害や試練にぶつかるということです。
  • 使徒パウロも使徒の働き20章で、自分が三年半の間、手塩にかけて建て上げ、育ててきたエペソの教会の長老たちに対する決別説教の中で次のように語っています。
    「私が出発したあと、狂暴な狼があながたの中に入り込んで来て、群れを荒らし回ることを、私は知っています。あなたがた自身の中からも、いろいろと曲がったことを語って、弟子たちを自分の方に引き込もうとする者たちが起こるでしょう。ですから、「目をさましていなさい」と。つまり、外からも、内からも、試練があるということです。イエスも地上に残していかれる弟子たちに対して(これも訣別説教です)、「あなたがたは、世に会っては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」(ヨハネ16:33)と言われました。このようにさまざまな試練、反対や脅迫、妨害などは、神に仕える者にとっては決して避けて通れない問題だと知ることです。神はそうした試練を通して私たちに神を信頼するように促し、私たちを神にあってより強力な神の民とされるのです。
  • ネヘミヤ記4章では、外からの試練において、ネヘミヤはどのように対処していったかが瞑想の焦点です。

1. 敵のことばに対する対処

  • 城壁再建工事は、まだ半分も築かれていない時、神の働き人は敵からのあざけりという妨害を受けました。1節を見ると、「サヌバラテは私たちが城壁を修復していることを聞くと、怒り、また非常に憤慨して、ユダヤ人をあざけった」とあります。なぜサヌバラテは怒り、非常に憤慨したのでしょうか。それはユダヤ人たちが一致団結して工事を始めたことによって、サマリヤとユダヤとの力関係に大きな変化が起こると知っていたからだと思います。人はしばしば自分が置かれていた立場や権力を危うくなると、怒ったり憤慨したりするものです。サヌバラテにとって、自分の立場が危機にさらされたと考えられます。
  • 1~3節に「彼(サヌバラテ)はその同胞と、サマリヤの有力者たちの前で言った・・」(2節)。そして3節「彼のそばにいたトビヤもまた・・」とあります。ここて注目したいことは、批判は批判を呼ぶということです。悪意の連鎖の現実です。
  • 批判のすべてが悪いということではありません。正しい批判というものがあります。そうした批判がなければ、私たちは正しく軌道を修正することができないかもしれません。時には厳しい批判があってしかるべきです。しかしここ4章では、非常に破壊的なことばによる妨害が起こりました。この城壁再建工事は、ネヘミヤがペルシアの王の許可のもとに行われているので、敵も直接的な、武力による妨害をすることができません。ただできるのは言葉による暴力である「あざけり」によって、ユダヤ人たちの気力をくじこうとしたのです。3節の嫌味たっぷりなあざけりー「彼らの建て直している城壁なら、一匹のきつねがのぼっても、その石垣をくずしてしまうだろう。」ということばは容易には思い浮かびません。こうした辛辣なことばが向けられたのでした。
  • こうした敵のあざけりに対してネヘミヤはどのように対処したのでしょうか。この世では攻撃されたなら、すぐに報復するというのが常識です。売り言葉に買い言葉。しかしそのような敵の策略にネヘミヤは乗りませんでした。ネヘミヤがしたことは、敵に一言も答えず、議論することもなく、神に祈ったということです。
  • 人の上に立つ人は必ずだれかに批判されるものと覚悟すべきです。宿命です。しかしそのひとつひとつの批判に対して戦い、報復するなら、最悪の道に踏み込むことになります。ここはイエスが言われたように、「ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方に任せる」ことです(Ⅰペテロ2:23)。

2. 敵の陰謀に対する対処

  • 敵のあざけりも祈りの前では何の効果もあれませんでした。それでころか、祈りの結果として、神の民たちに働く気を起こさせ、城壁の修復工事は急速に進み、7節を見ると「割れ目もふさがり始めた」とあります。敵からすれば想定外です。サヌバラテを中心とする敵は危機感を強め、「エルサレムに攻め入って、混乱を引き起こそうと陰謀を企てました。」(8節)。つまり、暴力的行為による妨害の企みです。
  • これに対して、ネヘミヤの処置は「祈り」と、昼夜を分かたぬ「見張り」を置くことでした。しかし、内部から思わぬ事態がおこります。それは、「ちりあくたは山をなしている」という目に見える現実に対する失望落胆といつ奇襲されるかもしれないという「恐れ」です。この二つが組み合わさるだけでかなりの破壊力を持つことになります。そうした危機的な状況に加えて、工事に携わっている者たちの家族から、工事を中止して「私たちのところに戻って来てほしい」という懇願、「帰れコール」が交じり合います。聖書はその懇願が10回も続いたと記しています。超ヤバイ状況です。敵の妨害はまさに成功しようとしています。
  • ここでネヘミヤがしたことに注目しなければなりません。

    【新改訳改訂第3版】

    4:14 私は彼らが恐れているのを見て立ち上がり、おもだった人々や、代表者たち、およびその他の人々に言った。「彼らを恐れてはならない大いなる恐るべき主を覚え、自分たちの兄弟、息子、娘、妻、また家のために戦いなさい。」

  • ネヘミヤがここでしたことは、問題や現実に目を向けることから、恐るべき主を見、その方を覚えさせることでした。
  • 「恐れるな」。このメッセージは聖書全巻が繰り返しくりかえし語っているメッセージです。私たちが主から目を離して、目に見える現実に目を留めるとき、人を恐れ、不安に陥り、その結果として気落ちし、思い煩い、失望落胆に陥るのです。イエスが言われたように、「わたしにとどまりなさい」ということばを正しく悟る必要があるのです。


2013.10.30


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