家庭教育・信仰継承の骨頂
箴言は「父から子への知恵」、主にある家庭教育の根幹を学ぶ最高のテキストです。
聖書を横に読むの目次
39. 家庭教育・信仰継承の骨頂
【聖書箇所】29章17節
ベレーシート
- 箴言のテーマは「知恵」です。それは天と地の創造以前からあったものであり、いわば、天と地はこの「知恵」によって創造されたと言えます。神の天地創造の究極的プランは、神の住まいが人とともにあることです。これこそが神の究極の「幻」(ヴィジョン)です。「幻がなければ、民はほしいままにふるまう。」(29:18)とあるように、このヴィジョンから外れた人間的なヴィジョンは必ずや神の真理から外れたものとなり、多くの逸脱を生み出すことになります。この逸脱は、個人の領域からイスラエルの民全体、あるいはキリスト教の歴史の中にも広がっています。そうした逸脱から本来の神のご計画にある「幻」に立ち返るためには、おのずと「真理のための戦い」が余儀なくされるのです。
- 今回注目する箇所(29:17)には、神のご計画の究極的ヴィジョンから「家庭教育」あるいは「信仰継承」が考えられている、という秘密が隠されているのを見ることができます。
1. 子が知恵を得、知恵を愛するようになるための主にある教育
- 箴言においては、子に対する教育観は一貫して、子を訓練する(懲らしめ、叱責し、諭す)ことです。これは神がイスラエルの民を育てるためになされた方法です。しかしその神の心を悟ることのできない愚かな者は「怒りをぶちまける。しかし知恵のある者はそれを内におさめる」(29:11)のです。21節には「自分のしもべを幼い時から甘やかすと、ついには彼は手におえない者になる。」とあります。このように聖書の教育観は徹底しています。しかし、その結果としてもたらされる結実はきわめて麗しいのです。
2. 知恵を得、知恵を愛する子がもたらす祝福
- 主にある厳しい教育によって知恵を得、知恵を愛する者となった子は、父や母に麗しい天的祝福をもたらします。そしてこれは御国の「型」なのです。
【新改訳改訂第3版】箴言29章15節、3節、17節
15
むちと叱責とは知恵を与える。
わがままにさせた子は、母に恥を見させる。3
知恵を愛する人は、その父を喜ばせ(る)17
あなたの子を懲らせ。
そうすれば、彼はあなたを安らかにし、
あなたの心に喜びを与える。
●特に、17節を原語で味わってみたいと思います。
(1) 「あなたの子を懲らす」
●「あなたの子」の「子」(「ベーン」בֵּן)は、単数形です。そして、その子を「懲らせ」と訳された原語は「ヤーサル」(יָסַר)の命令形です。「懲らしめる、しつける、訓練する、指図する、たしなめる、教える」といった意味です。もっともこれが効を奏するには愛が根底になければなりません。もしそうでなければ、虐待となり、良い結果をもたらすことは決してありません。
●「ヤーサル」(יָסַר)の初出箇所はレビ記26章18節です。「もし、これらのことの後でも、あなたがたがわたしに聞かないなら、わたしはさらに、あなたがたの罪に対して七倍も重く懲らしめる。」(【新改訳改訂第3版】)。「これらのことの後でも」とは、主のおきてを拒んだ結果、敵に打ち負かされ、踏みつけられて逃げ出すというようなことを経験した後でもという意味ですが、それでもなお主の教えを聞かないならば、その罪に対して七倍も重く、つまり「完全に、徹底的に」懲らしめるとあります。神の民イスラエルは神の愛によって選ばれた民であり、祭司の王国、聖なる民として歩むことを神から期待されていたゆえに、とりわけ厳しい取り扱いを受けたのです。それは神のご計画を実現するためでした。
●やがて神の御子イェシュアが身代わりとして、イスラエルの罪に対する完全なさばきを受けることになります。それは神の完全なご計画を実現する上で不可欠なことでした。子が懲らしめを徹底的に受けることで、父を安らかにし、父の心に喜びをもたらすのです。このように、箴言の教育法は神のご計画のヴィジョンと深くかかわっているのです。
(2) 「父をやすらかにする」
●「やすらかにする」と訳された原語は「ヌーアッハ」(נוּחַ)の使役形「ナーヴァハ」(נָוַח)で「安らかにする、安息を与える、憩わせる」の他に、「置く、安置する、据える」の意味で使われます。この使役形で聖書で最初に使われている箇所は、創世記2章15節の「神である主は人を取り、エデンの園に置き、そこを耕させ、また、そこを守らせた。」です。ちなみに、創世記2章8節の「神である主は東の方エデンに園を設け、そこに主の形造った人を置かれた」の「置かれた」には、15節の「置かれた」とは異なる動詞が使われいます。8節の「置かれた」は「スィート」(שִׂית)ですが、15節の「置かれた」は「ナーヴァハ」(נָוַח)なのです。前者は単にその場所に置いたという意味ですが、後者は安らかに住まわせたという意味合いなのです。
(3) 「あなたの心に喜びを」
●「喜び」と訳された原語は複数形の「マーダニーム」(מַעֲדַנִים)で、この語彙の動詞は「ほしいままに楽しむ」という意味「アーダン」(עָדַן)です。そしてその名詞が「エーデン」(עֵדֶן)です。普通「エデン」と表記されますが、「贅沢極まりないほどの楽しさ」を意味します。
●このように、厳しい訓練を通して知恵を得、知恵を愛する者に育った子は、まさにエデンの喜び、エデンの楽しさを父や母に味合わわせる者となるのです。
- 今回の瞑想は、箴言における家庭教育の土台が神のご計画の実現と深いかかわりを持っていることを気づかせてくれます。今日の日本のキリスト教会において、すべての主にある教育の根幹としての家庭教育が、神の永遠のご計画から見直されて、緊急に取り組むことが求められているのです。
●最後に・・・、この信仰の継承の課題は「千年王国」においてまでです。なぜなら、そこにはまだ朽ちるからだをもち、結婚もし、子孫を与えられる者たちがいるからです。すでに朽ちないからだを与えられている者たちにはこの課題はありません。さらに、永遠の御国である「新しいエルサレム」においてはこの課題そのものがありません。
2016. 2.9
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