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彼は自分の苦しみのあとを見て満足する

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47. 彼は自分のいのちの激しい苦しみのあとを見て満足する

【聖書箇所】 イザヤ書53章11節前半

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【読み】
メーアル ナフショー イルー イスー ベダ'ートー

【文法】
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【翻訳】

【新改訳改訂3】
彼は、自分のいのちの激しい苦しみのあとを見て、満足する。
【口語訳】
彼は自分の魂の苦しみにより光を見て満足する。
【新共同訳】
彼は自らの苦しみの実りを見/それを知って満足する。
【岩波訳】
その生命の艱難辛苦の後、彼は見るだろう。彼は知ることで満足するであろう。
【NKJV】
He shall see the labor of His soul, and be satisfied, 


新共同訳と岩波訳は、「ベダートー」(彼が知ること」)、つまり後半に記されていることを「彼が満足する」に結びつけて訳しています。

【瞑想】

イエスは十字架にかかる前に弟子たちにこんな話をされました。
「女が子を産むときには、その時がきたので苦しみます。しかし、子を産んでしまうと、ひとりの人が世に生まれた喜びのために、もはやその激しい苦痛を忘れてしまいます。」と(ヨハネ16:21)。

イザヤ書53:11には、主のしもべがその使命を完遂した喜び、その満足を述べています。まさに、母が陣痛によって子を産んだあとの喜びのように。しもべの苦しみがもたらしものは計り知れません。神の究極の目的が主のしもべであるメシアによって成就したのです。しもべは無罪であるにもかかわらず、多くの人々の罪の身代わりとして壮絶な苦しみにかかわらず、贖罪のために自らのいのちをささげられました。このことによって、天と地が一直線につながったのです。

「彼は、自分のいのちの激しい苦しみのあとを見て、満足する」ーなんともいえない喜び、すでにここでは激しい苦痛さえもすでに忘れているしもべの姿を見ることができます。メシアにしか味わうことのできない喜びでしょうが、殉教者にもこの喜びが分かち与えられるようです。

【付記】

2013.4.2


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