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恩寵用語Ps28

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詩28篇「携え行く」 נָשָׂא ナーサー

〔カテゴリー育成〕

9c節「どうか彼らの羊飼いとなって、いつまでも、彼らを携え行ってください。」(新改訳)

Keyword; 「携え行く、担う、養い育てる、支える」carry, bear, upholding, support,
25:1/32:1/32:5/85:3/99:8

  • へブル語の「ナーサー」(נָשָׂא)は、本来、「上げる、運ぶ」という意味です。その主体が人間である場合「(手を、目を、頭を、声を、心を)上げる、lift up」という礼拝用語として使われます。しかし、このナーサーの主体が神となる場合には、担う、荷う、負う、運ぶ、携える、ふところにいだく、かかえる、支える、赦す、と言った意味になります。また、神の顔を上げることは、「御顔を照らす」という意味になります。
  • このような恩寵は、詩28篇9節で主なる神を「彼らの羊飼いとなって」と表現しているように、「羊飼い」のイメージにぴったりです。イザヤ書40章11節に「主は羊飼いのように、その群れを飼い、御腕に子羊を引き寄せ、ふところに抱き、乳を飲ませる羊を優しく導く」とありますが、「ナーサー」(נָשָׂא)を「ふところに抱き」(新改訳、新共同訳)と訳しています。口語訳では「ふところに入れて携え行く」、LB訳では「抱いて導く」と訳しています。
  • 申命記1:31でも「荒野では、あなたがたがこの所に来るまでの、全道中、人がその子を抱くように、あなたの神、【主】が、あなたを抱かれたのを見ているのだ。」とあります。親が子どもを抱きかかえて養い育てるように、神はご自身の民を抱くように導き、養い育んで下さる方です。子どもの養育法に「抱っこ法」というのがあります。これは単なるスキンシップではなく、身体、感情、言葉を一体化させた相互方向的コミュニケーションです。一見当たり前のような「抱っこ」は、親密な母子関係を築く上できわめて重要なかかわり方であり、そのルーツこそ神の「ナーサー」(נָשָׂא)、つまり、神の「抱っこ法」なのだと信じます。
  • また、この「ナーサー」(נָשָׂא)には「赦す」(forgive)という意味もあります。それは神ご自身が私たちの人間の罪の重荷を代わりに担ってくださるというところから来ているようです。主イエスが「すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます」との偉大な招きは、当然、罪の重荷で苦しんでいる人のために、イエスが代ってそれを担ってくださることで、その人を赦して解放させるという恩寵です。それによって人のたましいははじめて安息を得ることができるからです。
  • ちなみに、「ナーサー」(נָשָׂא)が、罪を「取り去る」「背きの罪を赦す」という意味で用いられている詩篇は25:18(取り去る)、32:1, 5, 85:3, 99:8の5箇所に見られます。へブル語では「赦し」を意味する類義語が他にも3つあります。


①「サーラハ」(סָלַח)―詩25:11/103:3、
②「カーファル」(כָּפַר)―詩63:3/78:38/79:9(本来は「贖う」という意味)、
③「ナーカ―」(נָקָה)-詩19:12, 13(本来は「罪を免れる」という意味)―です。

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