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恩寵用語Ps32(2)

詩32篇(2)「取り囲む」 סָבַב サーヴァヴ

〔カテゴリー防衛〕

7節「・・・あなたは苦しみから私を守り、救いの歓声で、私を取り囲まれます。」
10節「・・・しかし、主に信頼する者には、恵みが、その人を取り囲む。」

Keyword; 「取り囲む、囲む、抱き締める」surround, embrace,

  • 「取り囲む」と訳されたサーヴァヴ(סָבַב)は、旧約では162回、詩篇では22回使われています。しかし、詩篇の中で神の恩寵としての「取り囲み」の意味で使われているのは、詩32篇の7節、10節の2箇所だけです。他の20箇所は、敵、強い者、恐れ、よみの綱といった勢力が回りを取り囲んでいます。この比率は、私たちの多くが、良いものではなく、悪いものによって取り囲まれている現実を表しているのかもしれません。
  • もし、罪責感、罪悪感、あるいは恨み辛みが取り囲んでいるならば、そのような人の心は痛みが多いことでしょう。その人から良いものは流れてきません。しかし、主の特別待遇の恵み、主に愛されている喜びがいつもその人を取り囲んでいるならば、その人から流れてくるものは、人をいやし、明るくし、生きる喜びを与えてくれるはずです。
  • サーヴァヴ(סָבַב)には「取り囲む」という訳だけでなく、「覆う」(典礼訳)「抱き締める」(embrace)という意味もあるようです。さまざまな罪の重荷に苦しんでいる者たち、だれにも言えないでひとりで悶々と呻いている者たち、もしそれを告白するならば、すべて建て上げたものが一瞬にして崩れ去っていくような恐れの中にいる者たちが、その苦しみから解放される道があるとすれば、それは神のほかにおりません。
  • 神に自分の罪を告白することによって、神はその罪を赦し、覆い、神とのかかわりを新しく築く力を与えてくれます。神がより親しくかかわってくださるとによって、その人の人生が神の恵みによって取り囲まれるようになるのです。ただし、自分の犯した罪は償いが求められます。しかしそんな重い問題も神は共に背負ってくれることを信じることです。
  • 自分の罪を悔いて父のもとに帰ってきた放蕩息子に待ち受けていたものは、父の「恵みによる祝福でした。息子は自分の罪の告白を父にしましたが、そうする前に、すでに父の方が彼を見つけ、かわいそうに思い、走り寄って彼を抱き締め、口づけをしました。この抱擁こそ赦しの証です。自分の罪を悔い改めたことが、赦しを得られる条件ではありません。赦しはすでにあったのです。しかし、悔い改めて自分が父のもとに帰るまではそのことは分かりませんでした。走り寄って息子を抱き、口づけしたのは父の方でした。父は自分の息子に息子としての身分に一番ふさわしい良い着物を着せ、指輪をはめさせ、足にはくつをはかせ、最大級の歓迎をしました(ルカ15章11~24節)。まさにこれこそ「恵みによる取り囲み」です。「神の恵みによって、私は今の私になりました」(Ⅰコリント第一、15章10節)と告白した使徒パウロも「キリストの愛が私を取り囲んでいる」(Ⅱコリント5章14節)と告白しています。

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