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恩寵用語Ps46

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詩46篇「まなかにいます」 קֶרֶב ケレヴ

〔カテゴリー統治〕

5節「神はそのまなかにいまし、その都はゆるがない。」(新改訳)
5節 God is within her, she will not fail. (NIV)

Keyword; 「真中」 among , within, in the midst of, inner part

  • 「まなかにいます」と訳れたことばの原文には、動詞はなく、前置詞の「べ」(בְּ)と名詞の「ケレヴ」(קֶרֶב)とが結びついた語彙です。「真中」「ただ中」「最中」「心」「心の中」「(私の)うち」を表わします。詩110篇22節では「私の心は、私のうちで傷ついています」とあり、「心」と「うち」を別のものとしています。詩74篇11節では「ふところ」(新改訳)と訳しています。このように、「ケレヴ」(קֶרֶב)は、より中心的な部分、その人全体を支えている核心的な部分、最も重要な部分を指し示しているようです。そうした深いところに神がおられるならば、決してゆるがされることがないのです。そんな「シークレットなかかわり」を持っていたモデルは御子イエス・キリストです。彼は御父の「ふところにおられた」方でした(ヨハネ1:18)。
  • 最も深い、内なる真中にあるものは、私たちの目には見えないものです。詩篇46篇4節の「川がある」(正確には、「一つの川がある」)とありますが、この川はおそらく、ヒゼキヤがエルサレムの町を守るために籠城用に造ったものであり、その源泉はギホンの泉でした。そこから、555mのトンネルを掘って水路にしたのです。敵はそんなこととはつゆ知らず、エルサレムを包囲している最中に疫病でほとんどの兵士が死んだのでした。
  • 「川がある。その流れは、いと高き方の聖なる住まい、神の都を喜ばせる。神はそのまなかにいまし、その都はゆるがない。」(4, 5節)。ここにある「川とその流れ」は、新約における聖霊のたとえと考えることができます。神は聖霊を通して、私たちの「まなかにおられる」のです。その聖なる住まいは私たちの身体であり、それは決してゆるがされることがないのです。
  • もし反対に、私たちの心のうちに、神ではなく、思い煩いや恐れがあるとすれば、必ずや、ゆるがされて倒れるときが来るということになります。なぜなら、「恐れ」があるなら、力が与えられるどころか無力になるからです。良い知恵が与えられるどころか、愚かな決断を下してしまいやすいからです。さらに、神の臨在さえ感じなくさせてしまうからです。「愛」と「恐れ」は相入れません。むしろ、「愛は恐れを締め出し」ます。
  • 神が私とともにおられるだけでなく、わたしの内に、その真中におられるとは何という慰めでしょうか。私たちはこのことを信じなければなりません。そうするなら、詩篇46篇の作者とともに、「われらは恐れない」と言えます。
  • 使徒パウロはその奥義を次のように語りました。「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。」(ガラテヤ2:20)

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