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恩寵用語Ps65

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詩65篇「近づける」 קָרַב カーラヴ

〔カテゴリー愛顧〕

4節「幸いなことよ。あなたが選び、近寄せられた人、あなたの大庭に住むその人は。私たちは、あなたの家、あなたの聖なる宮の良いもので満ち足りるでしょう。」

Keyword; 「近寄せる、近づける、引き寄せる」 bring near, draw near,
65:4/69:18/91:10/119:150, 169

  • 詩65篇4節にある「幸いなこと」は、神の大庭に住むことのできる人だ、としています。しかし神の大庭に住むことができるためには、神が選び、神が引き寄せてくれなければなりません。神の「引き寄せの恩寵」と「選びの恩寵」は同義です。私たちは神に引き寄せられて、はじめて神に近づくことができます。神に選ばれて、はじめて神を選ぶことができます。ここに、神の「引き寄せ」と「選び」のイニシアティヴがあります。
  • イエス・キリストも同じことを語られました。「わたしを遣わした父が引き寄せられない限り、だれも、わたしのもとに来ることができません。」(ヨハネの福音書6:44) 「あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。」(同、15:16)
  • 神に選ばれ(「バーハル」בָּחַר)、近づかせられる(「カーラヴ」קָרַב)という恩寵、その手続きとしての罪の赦し(「カーファル」כָּפַר)、そしてその結果として、「良いもので満ち足りる」という祝福、それらすべてが連鎖しています。そのピクチャーが9~13節に記されています。
  • このような神の一方的な恩寵にあずかっていることを忘れるとき、コラとその仲間たちの悲劇が起こります(民数記16章参照)。コラは、モーセ、アロンとは従兄です。同じくレビ族ですが、コラはモーセやアロンの祭司としての職に嫉みを覚え、同じく不満を持つ仲間たちと一緒にそれをモーセとアロンにぶつけました。そのとき、神はモーセを通して語られました。「神が、あなたがたをイスラエルの会衆から分けて、主の幕屋の奉仕者とするために、また、会衆の前に立って彼らに仕えるために、みもとに近づけてくださった。これに不足があるのか」と。
  • 民数記16章のメッセージは、神の選びによって、引き寄せられた者は、自分に与えられた境遇の中で満ち足りることを学ばなければならないということです。たとえその仕事が単調で退屈なものであったとしても、そこに隠されている神の豊かな恵みの滴りを見出し、満ち足りることを学ばなければならないのです。
  • 現代は「高度刺激社会」です。地道にじっくり取り組むことを軽視し、見た目の格好よさに心奪われ、それを求めていく傾向の強い時代です。しかし、モーセにしても、パウロにしても、そしてイエスにしても共通して言えることは、彼らが目に見える偉大な働きの背後に隠された多くの地味な時間を過ごしたことです。一見、退屈さを覚える事柄の中に、隠された神の宝を見出せるかどうか、その忍耐力が私たちにも求められていると信じます。
     

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