****** キリスト教会は、ヘブル的ルーツとつぎ合わされることで回復し、完成します。******

戦いの準備としての神と民との関係の修復

5. 戦いの準備としての神と民との関係の修復

【聖書箇所】 5章1節~15節

はじめに

  • ヨルダン川を渡った後、主はこれまでの第一世代の民たちによって傷つけられてきた神と民との契約関係が戦いの前に完全に修復される必要がありました。そこで主はヨシュアに対して、第二世代の男子に割礼を施すことを命じました。さらには主が特別に命じたわけではありませんでしたが、時も時、第一の月の14日が巡ってきて「過越」のいけにえをささげをささげました。

    画像の説明

  • 「割礼」「過越」「主の軍の将の出現」、これらの出来事はイスラエルの民が神の賜物として与えられた「乳と蜜の流れる地」を自分たちの所有としていくために必要なプロセスでした。順を負ってその一つひとつを思い巡らしたいと思います。

1. 割礼を施したことの意味(2~9節)

  • そもそも「割礼」とは、創世記17章で主とアブラハムが交わした契約のしるしでした。創世記16章は神の約束をアブラハムとサラが人間的な考えて実現させようとして、女奴隷ハガルの胎を借りてイシュマエルを生みましたが、それは神のみこころではなく、13年間、主はアブラハムに現われませんでした。13年経って、アブラムが九十九歳になったとき、主の方からアブラハムに現われて再度、契約をかわすために次のように語りかけました。

    【新改訳改訂第3版】創世記17章1 節
    わたしは全能の神である。あなたはわたしの前を歩み、全き者であれ。

  • それまではアブラハムは神の前を全き者として歩んでいませんでした。ここで主はアブラハム自身が自ら、自発的、主体的に「歩む」ように求められました。ここでの「歩む」とは「ハーラフ」(הָלַךְ)の強意形ヒットパエル態が使われています。そしてそのしるしとして名前を改名し、アブラハムをはじめすべての男子に割礼を施すよう命じました。
  • 「割礼」は主の前に自覚的に、信仰をもって歩むことを意味します。しかしエジプトから連れ出された第一世代の民たちは約束の地を前にして、カナンの地に住むアナク人を恐れ、結果的にその地を得ることができませんでした。不信仰のゆえに40年間の放浪生活を余儀なくされ、第一世代が生きている間、主は「割礼」を受けるようには支持されませんでした。第一世代の者がみな死んだ後、そしてヨルダン川を渡った時点で、主は第二世代に「割礼」を施すことをヨシュアに命じました。
  • 「割礼」を受けることは主の契約の民となることを意味します。したがって、主がアブラハムに対してそうであったように、新しい世代の者たちが「主の前を歩み、全き者であること」を求めたのでした。
  • 割礼を受けたその場所を主は「きょう、わたしはエジプトのそしりを、あなたがたから取り除いた」と言われたため、その場所の名は「ギルガル」と呼ばれました。「ギルガル」とは動詞「ガーラル」(גָּלַל)と関係があります。「ガーラル」の本義は「ころがす」という意味です。そこから「まかせる、ゆだねる」という意味が派生します。神の側からすれば信仰的な汚名を取り除くとともに、民の側からすれば再度神にゆだねる信仰を取り戻したということになります。

2. 過越(10~12節)

  • ヨシュアは割礼を受けた者たちとともに、時も時、第一の14日に「過越」のいけにえをささげました。「過越」もエジプトを出てから翌年の幕屋の建造が完成した月に一度行われていますが、それ以来、荒野において「過越」がなされた記録はありません。やはり民の不信仰のゆえであったと思われます。
  • エリコの草原において、イスラエルの第二世代の民たちが割礼を受け、また「過越」のいけにえをささげたということは、神と民のかかわりがここで完全に修復されたことを意味します。
  • 過越の翌日、イスラエルの民は約束の地の産物で作った「種を入れないパン」と「炒り麦」を食べたとあります。そして、40年間荒野で食べてきた「マナ」は降りませんでした。新しい生活が始まったことを象徴する出来事です。

3. 抜き身の剣を手にもった主の軍の将(13~17節)

  • 5章で特筆すべきことは、エリコの近くでヨシュアが目を上げると、「抜き身の剣をもった主の軍の将」が現われました。ヨシュアはすかさず顔を地につけて伏し拝んでいますので、この人は御使いではありません。御使は礼拝を受けないからです。この人の語ったことばが、実はモーセがシナイ山で、燃えているにもかかわらず、燃え尽きない柴の炎の中から「ここに近づいてはいけない。あなたの足を脱げ。あなたの立っている場所は。聖なる地である。」と言われました。そしてエジプトから神の民を連れ出すというが、ここでは「あなたの足のはきものを脱げ。あなたの立っている場所は聖なる所である。」
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  • この主の軍の将こそ、やがてこの世に来られた救い主イエス・キリストではないかと言われています。モーセに現された神の栄光のしるしとしての燃える柴、そして幕屋完成後に幕屋を覆い、荒野で民を導いたた雲の柱と火の柱、そしてヨシュアの前に立ちはだかった主の軍の将、これらは目に見える神の栄光のしるし、「シャカイナ・グローリー」(発音的にはシャハイナ・グローリー)です。
    画像の説明
  • この「主の軍の将」がヨシュアに「見よ。わたしは・・・をあなたの手に渡した」という表現で、占領すべき地とその戦い方を指示します(6:2/8:1/10:8, 参照)。

2012.3.16


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