最後の晩餐
No.6. 最後の晩餐
【聖書箇所】マタイ26:17~30、マルコ14:12~26、ルカ22:7~23)
1. 最後の過越の食事
- 「さて、過越の小羊のほふられる、種なしパンの日が来た。」(ルカ22:7)からはじまる「最後の晩餐」の瞑想です。イエスが十字架につけられる前日の木曜日に、主が「過越の食事の準備」(最後の晩餐)を指示されたのは、「自分の身に起ころうとするすべてのことを知っておられた」(ヨハネ18:4)からでした。「最後の晩餐」はイエスがご自身のすべてを愛によって完全に与え尽くすことを示唆するものでした。
- 「最後の晩餐」ということばは聖書にはありません。このことばの正確な言い方は「最後の過越の食事」です。「最後」というのは、これまで長い間、イスラエルの歴史においてなされてきた「過越祭」には、いけにえとしての羊が多くほふられ、食事は種なしのパンとぶどう酒を中心とする簡素なものでした。そうした伝統的な過越の食事が最後になるという意味です。と同時に、新しい時代においてイエスは「主の晩餐」という新しい食事を制定されました。それが「記念とするための食事」です。イエスはご自身の肉体をたとえる「種なしのパン」を裂いて弟子たちに分け与え、また多くの人のために十字架上で流される血にたとえる「ぶどうの実で作った杯」をお与えになりました。この「パンとぶどう酒による晩餐」を契機に、弟子たちに新しい契約の中に生きることを教えられました。
- この過越祭はイエスの十字架のひな形です。イエスが十字架に架けられて死んだのは、その年の過越祭でいけにえの小羊がほふられる、まさにその時でした。「新しい契約」とは、かつて神のことばを信じていけにえの小羊を身代りとしてほふったイスラエル人たちがわざわいから救われたように、イエスが十字架で死んだのは自分の身代りのいけにえであったと信じる者に、すべての罪が赦され、神の子どもとされるという「新しい契約」です。現在、プロテスタント教会に行われているイエスの十字架の死を記念する「聖餐式」(カトリックでは「聖体拝領」)のルーツはイスラエルの過越祭です。
2. 主を覚える記念としての主の晩餐
- 新約聖書には多くの食事の場面があり、それぞれ特有の意味を有しています。たとえば、神の福音を伝えるための歓迎としての晩餐(ルカ14:16~24)、主との個人的な親しい交わりを意味する食卓(ヨハネ黙示録3:20)、主を歓迎し、主にある者たちの交わりとしての晩餐(ヨハネ12:1~8)、花婿なるキリストとキリストの花嫁の婚宴における晩餐(黙示録19:9)などがありますが、イエスと弟子たちとの「最後の晩餐」はこれらとは異なり、イエスが再びこの世に来られるまでの期間、「主の死を記念とするための晩餐」を意味します。その意味での最初の晩餐でした。これを聖書は「主の晩餐」としています。(Ⅰコリント10章にある、交わりとしての「主の食卓」とは異なるものです。使徒パウロはⅠコリント11章で、主を覚える記念としての「主の晩餐」について述べています。)
- 「主を覚える記念としての主の晩餐」(後に聖餐式として制定)において、私たちは主の生涯―特にその御苦しみを思い起こし、自分に対して注がれた主の測り知れない愛について思い巡らさなければなりません。また、同時に、主は再び来られることに大きな望みをもって生きることを自分に言い聞かせなければなりません。
3. 生ける主の臨在の場として「聖餐式」
- 聖餐式という単なるひとつの儀式としてではなく、いかに生きた「主の晩餐」とするか、それは私たちひとり一人に問われています。「もし、ふさわしくないままでパンを食べ、主の杯を飲むならば、主のからだと血に対して罪を犯すことになる」というパウロの警告(これは「主の食卓」には要求されていません。)は、私たち一人ひとりが恵みに対する狎れがないか、厳しく吟味することが問われています。特に、イスカリオテのユダにサタンが入ったのはこの「最後の晩餐」の時であったことを心に留めたいと思います。聖餐式ごとに、主の苦しみと死が私のためであったことを、いつも新鮮に受け止める者とさせていただけるように祈りたい。