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最高会議での裁判

No.10. 最高議会での裁判

【聖書箇所】マタイ26:57~68、マルコ14:53~65、ルカ22:54, 63~71

ヨハネ18:15~18, 25~27

はじめに

  • 捕縛されたイエスはユダヤの最高議会において尋問されます。しかし死刑はすでに確定しており、それに見合う理由(口実、証拠)を見つけるための尋問であり、全く不当なものでした。しかもそれが最高議会において行われたところに異常性があります。

1. ユダヤの最高議会における不当な裁判

  • 最高議会(サンヘドリン、70人義会)を構成しているメンバーは、サドカイ派の祭司長、パリサイの律法学者、そして長老たちからなる議会。その議会の中で実権を握っていのはサトガイ派の大祭司でした。大祭司は最高議会の議長として全ユダヤ社会の頂点に立つ存在でした。大祭司の下に、彼と同様サドカイ派に属するエルサレムの名門の家柄の出身である祭司長たちがいました。

(1) サドカイ派

  • サドカイ派は当時のパリサイ人たちとは敵対関係にあった人々であり、神殿を管理する祭司職を担っていました。彼らの考え方は本質的に合理主義であり、実際的には不信仰でした。聖書には「復活とか天使とか霊とかは一切存在しない」(使徒23:8)と教えていたと記されています。彼らには、同胞の抱えている問題に心を向けるということはなく、また、救い主を待っているということもありませんでした。そのような者たちがなぜ大祭司の地位を得たのか。それはそこから得る膨大な利益のためでした。まさに、大祭司の地位は権力を与えられて政治的陰謀が思いのままにできるものでした。
  • 彼らは神殿にささげられるいけにえ(犠牲)の動物を高値で売買し、それらを管理して手数料を取っていました。また神殿税を課し、それを両替するための手数料も取っていました。過越をはじめとするユダヤの祭に用いられるすべての物を売ることで年間の収益は膨大なものとなっていたのです。その使途も彼らが自由勝手に決めることができ、使うことができたのです。。
  • 制度化された宗教というものがいかに無価値なものであるか、形式がその本質よりも重要に思われるとき、それはいつもサドカイ派と同様の道をいく危険性をはらんでいます。

(2) パリサイ派

  • 彼らはサドカイ派とは考え方において対立していました。彼らは復活も天使も霊もあると考えていました。ただ、神のことばを教える立場にあったパリサイ派(律法学者)たちは、律法の教師としての立場を確立し、民衆は彼らの教える教義体系の下に支配されていました。律法学者たちは民衆から尊敬されることを誇りとし、その立場に固執しました。それゆえイエスが安息日に定められている範囲を越えて人々を癒されたことは彼らを脅かしました。律法学者たちもサドカイ派の人々と同様、民衆の真の問題に対しては関心がありませんでした。律法で民衆を支配することに満足していた彼らは、自分たちがいつも尊敬されていればそれで良かったのです。ところが、そんな彼らに対してイエスは辛辣な批判をしたことにより、イエスの存在をそのまま放置することはできませんでした。彼らにとって大切なことは、神のみこころよりも、彼らが作り上げた律法の解釈体系でした。それがゆるがされない限り、自分たちの地位は安泰と思っていたのです。
  • サドカイ派もパリサイ派も、彼らは事の本質よりも群衆の思惑をいつも気にしながら生きていました。なぜなら、民衆が事の本質を理解し、反旗を翻してそっぽを向くならば、自分たちが長い間かけて築いてきた利益を得る宗教制度は崩壊してしまうからです。それゆえ彼らが最も恐れ不安にしたのは、イエスが民衆に与えている印象でした。神殿で教えるイエスに対して、彼を陥れる質問をしようとしますが、イエスの完全な洞察と反駁できない答えにみじめにも打ち負かされてしまいました。民衆が日増しにイエスに目を向け、信じていくことが彼らをいっそううろたえさせました。必然的に、何らかの手を打たなければなりませんでした。
  • 彼らは大祭司カヤパの家に集まり、イエスを殺そうと相談しました。しかし彼らは「祭りの間はいけない。民衆の騒ぎが起こるといけないから。」と、最高議会(サンヘドリン)はすぐに結論を出すことができませんでした。そのとき、大祭司のカヤパが言いました。「あなたがたは全然何もわかっていない。ひとりの人が民の代わりに死んで、国民全体が滅びないほうが、あなたがたにとって得策だということも、考えに入れていない。」と述べ、その日から、イエスを殺すための計画を立てたとあります(ヨハネ11:47~53)。そこで、本来、考え方の異なるサドカイ派とパリサイ派とが手を組んだのです。イエスを死刑にすることを最高議会で決定したのです。まさに、詩篇2篇2節にあるように、彼らは「相ともに集まり。主と主に油注がれた者とに逆らう」ということが成就してしまいました。しかしそれを、いつ、どのように、どのような名目で実行に移すかはまだ定まってはいませんでした。
  • 大祭司カヤパの提案の中に、「ひとりの人が民の代わりに死んで、国民全体が滅びないほうが、あなたがたにとって得策だということを考えていない。」(ヨハネ11:50)とありますが、これは彼にとっては建前であり、本音は「私が地位を失うよりは、ひとりの人、つまりイエスが死んだほうが得策である」という利己的な意図が込められていたと考えるのが自然です。サドカイ派の祭司職のトップにある者が「国民全体」のことを真剣に考えていたはずがないからです。それほどに祭司職は汚されていたのです。すでにイエスは、宮清めの時に、彼らに対して「宮を強盗の巣にしている」と断罪しているのを考えればおのずと察しがつきます。あくまでも彼らが最優先しているのは自分たちの利益でした。
  • はからずも、彼らがイエスを殺すための行動を起こすチャンスが巡って来ました。そのチャンスは皮肉にもイエスの弟子の一人イスカリオテのユダがもたらしました。逮捕と裁判は、急遽、決行されなければなりませんでした。なぜなら、過越祭が本格的にはじまってしまえば、裁判を行うことができないというユダヤの律法があったからです。大祭司カヤパは、早速、イエスを逮捕するよう命じました。
  • すでにイエスを殺すことは決まっています。ユダの協力があってイエスを捕縛することができたものの、この先イエスを殺す正当な理由を見つけ出さなければならないのです。まことに理不尽な裁判がこれから行われようとしているのです。
  • このように、殺す理由を後から捜すというのは、私たちの行動すべきことがすでに決まっていて、それを裏付ける適当な神のみことばを見つけるようなものです。これは神のことばを聞き、それに従うということとは違います。あくまでも自分がしたいことが先にあって、神を利用しているに過ぎません。これは神を自分のために利用する偶像礼拝の罪です。もしこうした罪を私たちもしているとすれば、最高議会が犯した罪となんら変りません。

2. イエスをピラトに引き渡した張本人、大祭司カヤパ

  • さて、共観福音書のうちマタイとマルコでは、逮捕したイエスを連れて言ったのは大祭司カヤパのところだと記していますが、ルカは大祭司とあるだけです。しかしヨハネの福音書だけは、逮捕されたイエスは「まずアンナスのところに連れて行った。彼がその年の大祭司カヤパのしゅうと(義父)だったからである。」(18:13)と記しています。これだけを読むなら、なぜアンナスのところに連れて行ったのかが理解できません。なぜ直接、大祭司カヤパのところに連れて行かなかったのか。わざわざカヤパの義父アンナスのところへ連れて行ったのか。それはアンナスも大祭司であり(18:22)、その職を義息子カヤパに譲った後も、その職権を舞台裏で行使する立場にいた人物だったと考えられます。
  • アンナスはイエスに弟子たちのこと、また、教えのことのことについて尋問します。その目的は当然、イエスを死刑にする理由を見つけ出すためでしたが、アンナスの尋問に対してイエスは「自分は公然と話してきた。隠れて話したことは何もない。彼らに尋ねなさい。彼らならわたしが話した事がらを知っています。」と言って一切答えませんでした。傍に立っていた役人のひとりが「大祭司にそのような答え方をするのか。」と言って平手でイエスを打ちました。
  • アンナスはイエスから死刑にする口実を得られないまま、婿の大祭司カヤパのところへ送りました。そこには最高議会のメンバーがすでに集まっていました。ここでカヤパはイエスに「あなたは神の子キリストか」と尋問し、イエスは「そのとおりだ」と答えると、大祭司のカヤパは自分の衣を引き裂き、「神への冒涜だ。神を汚すことばだ。」と叫び、そこに集まっていた者たちも「彼は死刑に当る」としたのです。なんという偽善、なんという偽善のパフォーマンス。カヤパこそ自分の利得のために、イエスを神の前で断罪し、神を冒涜した張本人です。
  • そしてイエスをローマ総督ピラトの官邸へと送りました。イエスはピラトによる尋問の中ではっきりとこう言いました。「わたしをあなたに渡した者の罪は、もっと大きい。」(ヨハネ19:11)と。「わたしをあなたに渡した者」とは大祭司カヤパのことです。なぜなら、彼こそイエスを十字架の死に追いやることを企み、その筋書きを書いた最も責任ある人物であったからです。イエスの死について無罪である者はだれ一人としていませんが、イエスをピラトに渡したユダヤの最高議会の指導者の罪はもっと大きいとイエスは語っています。
  • 自分の利得のために宗教を利用し、自分の都合のために神を利用しようとする者の罪が問われています。深く自己吟味をすべく迫られます。

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