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汚れのないもの、私の鳩はただひとり

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雅歌は、花婿なるキリストと花嫁なる教会のかかわりを学ぶ最高のテキストです。

18. 汚れのないもの、私の鳩はただひとり

【聖書箇所】 6章4〜10節

ベレーシート

  • 4~10節は、花婿が花嫁を称賛している箇所です。ここには花嫁の特質がたたえられているのです。花婿は、花嫁の「目」「髪」「歯」「頬」に焦点を当て、「~のようだ」とたとえながら、花嫁の「美しさ」と聖なる「恐ろしさ」を描きつつ、その特質を語っています。
  • また、花嫁の美しさが「鳩」にたとえられています。雅歌では「鳩」について以下のように3回言及されています。

    【新改訳改訂第3版】雅歌 1章15節
    ああ、わが愛する者。あなたはなんと美しいことよ。なんと美しいことよ。あなたの目はのようだ。

    【新改訳改訂第3版】雅歌 2章14節
    岩の裂け目、がけの隠れ場にいる私のよ。私に、顔を見せておくれ。あなたの声を聞かせておくれ。あなたの声は愛らしく、あなたの顔は美しい。

    【新改訳改訂第3版】雅歌 6章9節
    汚れのないもの、私のはただひとり。彼女は、その母のひとり子、彼女を産んだ者の愛する子。娘たちは彼女を見て、幸いだと言い、王妃たち、そばめたちも彼女をほめた。


    ●ここには、最初は「あなたの目は鳩のようだ」とあり、次には、「私の鳩」と呼び、そして最後は「私の鳩はただひとり」と次第にその賞賛が高められています。

    ●「鳩」は平和の象徴(創8:11)であり、迅速の象徴(詩55:6)、聖霊の象徴(マタイ3:16/マルコ1:10/ヨハネ1:32)、素直さの象徴(マタイ10:16)です。しかし、雅歌では花嫁の理想的な美しさの象徴として「鳩」が用いられています。


1. 称賛される花嫁の特質

(1) 花嫁の「目」

  • 「目」は花嫁の愛を顕著に表わす部分です。花婿は花嫁の目を見て、「あなたの目を私からそらしておくれ。それが私をひきつける」と語っています。「ひきつける」と訳された「ラーハヴ」(רָהַב)の使役形は「刺戟する、狼狽させる、混乱させる、うっとりさせる」といった意味がありますが、ここでは抵抗しがたいほどの愛の力を暗示しています。花嫁の愛はきわめて熱意あるものであり、かつ刺激的であり、花婿をうっとりさせるようなものでなければなりません。
  • 黙示録2章に登場する七つの教会で、エペソの教会に対して花婿は、「初めの愛から離れてしまった」(黙示録2:4)と非難しています。「初めの愛」とは第一戒の「心を尽くして花婿を愛すること」です。それゆえ、花嫁は悔い改めて、花婿だけを愛する愛を回復しなければならないのです。何よりも花婿との関係を第一にする花嫁とならなければならないのです。

(2) 花嫁の「髪」

  • 5節後半「あなたの髪は、ギルアデから降りて来るやぎの群れのよう」とあります。「やぎの群れ」は黒を表わしています。「ギルアデ」は肥沃な地であることから、尽きることのない力の象徴です。それが「髪」と結びつくと、それは全き献身の象徴となります。ナジル人も髪を切ってはなりませんでした。彼らが髪を切ると、彼らに与えられていた力の喪失につながったのです。
  • イェシュアは弟子たちに対して「あなたがたの頭の毛さえも、みな数えられています」(マタイ10:30)と言われましたが、それは「あなたがたの献身はみな覚えられている」という意味にも解することができるのです。そしてその献身が無駄にはならないことを、「あなたがたの髪の毛一筋も失われることはありません。」(ルカ21:18)と約束しておられます。ルカ7章44節には、イェシュアの足を(感謝の)涙でぬらし、髪の毛でぬぐい、香油を塗ってくれた女の行為をたたえています。

(3) 花嫁の「歯」

  • 6節の「あなたの歯は、洗い場から上って来た雌羊のようだ。それはみな、ふたごを産み、ふたごを産まないものは一頭もいない。」は良くわからないたとえですが、「ふたご」ということばが「対」を表わすことから、左右(上下)対称にきれいに揃った歯をしていることを意味しています。「歯」は食い尽くすことから、神からの良きものを受け取ろうとする力の象徴であり、また花婿を熱心に尋ね求める力の象徴でもあります。

(4) 花嫁の「頬」

  • 7節の「あなたの頬は、顔おおいのうしろにあって、ざくろの片割れのようだ。」にある「ざくろ」は色鮮やかな赤です。しかし、ここでは、「顔おおいのうしろにあって、ざくろの片割れのようだ」とあるので、その鮮やかな色も隠れています。なぜなら、花婿はヴェールを通して見ているからです。つまり、ここの「頬」は隠された(秘められた)美の象徴です。

2. 比類なき花嫁

(1) 花婿の最高の誉め言葉

雅歌6章9節の諸訳
(1) 「汚れのないもの、私の鳩はただひとり。」(新改訳改訂第3版)
(2) 「わたしの鳩、きよらかなおとめはひとり。」(新共同訳)
(3) 「ぼくの鳩、ぼくの理想は、ただ一人。」(岩波訳)
(4) 「わたしの小鳩、わたしの汚れない者はただ一人」(フランシスコ会訳)

(5) 「私の雌ばとはただ一人、私のまったき者は、ただ一人」(バルバロ訳)


●「汚れのない」(新改訳)と訳された形容詞の「ターム」(תָּם)は「完全な、潔白な、全き、完璧」という意味です。岩波訳が「理想的」と訳しているのも面白いです。

●理想的な教会とはどんな教会でしょうか。教会の現実はいろいろな問題があふれているように見えます。とても完璧な状態ではありません。しかし花婿は、この花嫁なる教会を「傷のない者として、大きな喜びをもって栄光の御前に立たせることのできる方」(ユダ24)です。ゆえに、花婿が花嫁を「ぼくの鳩、ぼくの理想は、ただ一人。」(岩波訳)と言えるのです。

(2) 花嫁の周辺にいる者たちの称賛

【新改訳改訂第3版】雅歌6章9~10節
9 汚れのないもの、私の鳩はただひとり。彼女は、その母のひとり子、彼女を産んだ者の愛する子。娘たちは彼女を見て、幸いだと言い、王妃たち、そばめたちも彼女をほめた。
10 「暁の光のように見おろしている、月のように美しい、太陽のように明るい、旗を掲げた軍勢のように恐ろしいもの。それはだれか。」

  • 花嫁の周辺にいる者たちの存在があります。その者たちとはいかなる者たちなのでしょうか。

① 鳩(花嫁)の「母」

●鳩(花嫁)は母から産まれたひとり子であり、愛する子です。では、「母」とは何を指し示しているのでしょうか。教会を産んだ母とは「エルサレム」のことです。使徒パウロが「上にあるエルサレムは・・私たちの母です」(ガラテヤ4:26)と述べていますが、地上のエルサレムは天のエルサレムの写しです。メシア王国においては地上のエルサレムが中心です。また新天新地においては、新しいエルサレムもやはり天から新しい地上に降りて来るのです(黙示録21:2)。それは天と地が一つとなるためです。いずれにしても、神の歴史はその初めから終わりまでエルサレムを中心として展開しているのです(エデンの園⇒アブラハム⇒ダビデ⇒イェシュア)。

② 母の周りにいる「娘たち」「おとめたち」「王妃たち」「そばめたち」

●そのエルサレムには「娘たち」がおり、彼女たちも花嫁を見て幸いだと称賛しています。おそらくこの「娘たち」とは「エルサレムの娘たち」のことです。また、そこには「王妃たち」「そばめたち」といった者たちもいて、花嫁のことをほめています。8節に「おとめたち」も登場しています。これは「諸国の民」だと解釈します。「王妃たち」とはだれか。「そばめたち」とはだれなのか。おそらくイスラエルにかかわる者たちと言えますが、それがだれを指し示しているのか分かりません。いずれにしても重要なことは、これらの様々な人々が母なるエルサレムと関係しているということです。しかもエルサレムにおいて、その中にいる者たちから、花嫁は抜きん出た存在としてたたえられているという事実です。


2015.9.2


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