滅びることなど全く眼中にないイスラエル
聖書を横に読むの目次
6. 滅びることなど全く眼中にないイスラエル
【聖書箇所】アモス書6章1~14節
ベレーシート
- アモス書6章は、続く7章1節~9章10節に記されているアモスの見た「災害の五つのしるし」の序文的な位置づけとなっています。6章の冒頭にある「ああ」は、5章18節にも登場しています。そこでは、「ああ。主の日を待ち望む者。主の日はあなたがたにとっていったい何になる。それはやみであって、光ではない。」とあるように、「ああ」は「災いの預言」が語り出されるときの「悲嘆」を表わす定型表現です。原語は「ホーイ」(הוֹי)です。ちなみに、わずか3章しかないハバクク書には「ホーイ」が5回も使われています(2:6, 9, 12, 15, 19)。
1. 語られている対象者たちの態度
- 6章で語られている対象は以下の通りです。
(1) 「シオンで安らかに住んでいる者(複数)」
(2) 「サマリヤの山に信頼している者(複数)」
(3) 「※」
(4) 「象牙の寝台に横たわり、長いすに身を伸ばしている者(複数)」
- 「※」の部分は、新改訳では「イスラエルの家が行って仕える国々の最高の首長たち」となっており、他の訳でもよく分からない意味不明な訳になっています。LB訳は、(1)と(2)の者たちがイスラエルの国民によく知られている者たちであるというニュアンスで訳しています。
- ヤロブアム二世の治世における平和と繁栄は、人々をして(特に指導者たち)に誤った安心感と自負を抱かせていました。彼らは贅沢三昧と安逸をむさぼっており、迫っている災いなどまったく眼中にありませんでした。悩むことも、心痛めることもしなかった盲目の指導者のゆえに、彼らに導かれる人々の惨めさが浮かび上がってきます。3節を見てみましょう。
【新改訳改訂第3版】アモス書6章3節
あなたがたは、わざわいの日を押しのけている、と思っているが、暴虐の時代を近づけている。
【口語訳】
あなたがたは災の日を遠ざけ、強暴の座を近づけている。
【新共同訳】
お前たちは災いの日を遠ざけようとして/不法による支配を引き寄せている。
- 「押しのけている」「遠ざけようとしている」と訳された原語は「ナーダー」(נָדָה)の強意形ピエル態の分詞・複数で、その意味は「押しのける者たち」です。つまり、「(あるものを押しのけて)遠くにあると考えている者たち」を意味します。また、「暴虐」「強暴」「不法」と訳された原語は「ハーマース」(חָמָס)で、「暴力的な征服者、暴虐な支配」を意味しています。
2. 指導者たちに当然の報いが訪れる
- イスラエルにおける富裕階級に対する神のさばきが宣言されます。
【新改訳改訂第3版】アモス書6章7節前半
それゆえ、今、彼らは、最初の捕らわれ人として引いて行かれる。
【新共同訳】
それゆえ、今や彼らは捕囚の列の先頭を行き/
【口語訳】
それゆえ今、彼らは捕われて、捕われ人のまっ先に立って行く。
- 新改訳では何段階かある捕囚の最初というイメージを感じさせますが、口語訳、新共同訳では「捕囚」の先頭というイメージです。いずれにしても、アモス書の神のさばきは、神が起こす「一つの民」によって(6:14)、捕囚という憂き目を味わわせることです。その理由は、「あなたがたは、公義を毒に変え、正義の実を苦よもぎに変えた」からなのです(6:13)。
2015.2.20
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