瞑想Ps122/A
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瞑想Ps122/A
- 1節「人々が私にさあ、『主の家に行こう。』と言ったとき、私は喜んだ。」も重要な気がします。それは、自分が神の民として選ばれていること、また同じ信仰をもつ同胞がいることの喜びだと思います。
- エルサレムはまさに世界の中心です。そこでキリストは死なれ、キリストの教会が誕生しました。そこからキリストの福音が世界中に伝えられています。しかし、再び、キリストはそこに戻って来られます。そして地上に神の国(千年王国)は実現され、世界中の国々の人々が王であるキリストを礼拝するためにエルサレムを訪れる時が来ます。まさにエルサレムは不思議な国です。世界中の教会の母教会は一つしかありません。それはエルサレム教会です。そこは天の都エルサレムの写しなのです。
- 神の夢は、キリストにあって、すべてのものが一つにされることです。主の家である「エルサレム」は、神の民を一つに結びつける神の選びの地であり、かつ、キリストにある平和と一致のシンボルでもあります。「エルサレムの平和のために祈れ」とは、神の民がひとつになるために祈れということであり、神のご計画とみこころが完成・成就するために祈れということなのです。そのためには、私たちのうちに存在する「隔ての壁」がキリストの十字架の血潮によって打ち壊される必要があるのです。