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瞑想Ps16/C

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瞑想Ps16/C

  • 詩篇16篇は「メシア詩篇」の一つです。というのは、詩篇16:8~11が、使徒の働き2:25~28で引用され、ダビデがキリストの復活を啓示されて語ったものとされているからです。
  • 16:8~11の引用を見てみましょう(但し、LXX訳聖書から引用されているため、少々、訳が異なっています)。

    【新改訳改訂第3版】使徒の働き

    2:25 ダビデはこの方について、こう言っています。『私はいつも、自分の目の前に主を見ていた。主は、私が動かされないように、私の右におられるからである。
    26 それゆえ、私の心は楽しみ、私の舌は大いに喜んだ。さらに私の肉体も望みの中に安らう。
    27 あなたは私のたましいをハデスに捨てて置かず、あなたの聖者が朽ち果てるのをお許しにならないからである。
    28 あなたは、私にいのちの道を知らせ、御顔を示して、私を喜びで満たしてくださる。』
    29 兄弟たち。父祖ダビデについては、私はあなたがたに、確信をもって言うことができます。彼は死んで葬られ、その墓は今日まで私たちのところにあります。
    30 彼は預言者でしたから、神が彼の子孫のひとりを彼の王位に着かせると誓って言われたことを知っていたのです。
    31 それで後のことを予見して、キリストの復活について、『彼はハデスに捨てて置かれず、その肉体は朽ち果てない』と語ったのです。
    32 神はこのイエスをよみがえらせました。私たちはみな、そのことの証人です。

  • 詩篇16篇からの引用箇所でひときわ目に留まるのは「いのちの道」ということばです。「あなたはいのちの道を示してくださる」―これは詩篇16篇独自の特色です。自分のいのち(身体的生命、人生)という意味で使われることが多い中で「いのちの道」という表現は珍しいのです。ことばを味わいたいと思います。詩篇16篇で使われている「いのち」(名詞)と訳された「ハッイーム」חַיִּיםは「ハイ」חַיの複数形ですが、ここで意味していることは、神との親しい交わりとしての「いのち」です。本来、人間は、他の被造物とは異なり、「土地のちりで形作られたあと、その鼻にいのちの息を吹き込まれました。そこで人は、生きたものとなった。」(創世記2:7)とあるように、人は神との交わりの存在として造られました。その意味での「いのち」であり、罪によっていのちを喪失した人間に、神が再び「いのち」を回復してくださろうとしてくださったのです。
  • ダビデは「あなたは私のたましいをハデスに捨てて置かず、・・あなたは、私にいのちの道を知らせ、御顔を示して、私を喜びで満たしてくださる。」と語りましたが、イエスはこの「いのちの道」について、「いのちに至る・・道は狭く、それを見出す者はまれです。」(マタイ7:14) と語っています。
  • この尊い「いのちの道」は、キリストを通して開かれています。そして私たちをそこへ招いて下さっています。このいのちの道を自分の喜びとして、楽しみとしてより豊かに味わい、それを分かち与える者とされたいと祈ります。

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