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瞑想Ps5/A

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瞑想Ps5/A

  • この詩5篇で瞑想したい聖句は3節、「朝明けに、私はあなたのために備えをし、見張りをいたします。」です。新改訳の「朝明け」ということばは、口語訳、新共同訳、LB、いずれも「朝ごとに」と訳しています。つまり、毎朝です。これがダビデと主との関係でした。ダビデは朝型人間だった事がわかります。ダビデにとっての「義のいけにえ」(4篇5節)とは、「朝明けに、主を求め、主を待ち望む」という具体的な生活でした。そうした生活習慣を築きながら、神との関係を大切にしていた事がわかります。

1. モーニング・ウォツチ(朝の見張り)の習慣を身につける

  • 私は毎朝、主との親しい交わりに少なくとも2時間の集中した時が必要です。そうした神との交わりを過ごすためには、夜、早く寝なければなりません。私は、長い間、夜型の生活を送っていましたが、多くの時間を無駄にしてきたように思います。朝型の生活スタイルに切り変えてから、そのことがよく分かりました。
  • この世でも、多くの有益な働きをしている人の多くは、朝型人間だと言われます。朝型の生活スタイルは、人間のからだがもっている本来の生理的なリズムに適った生き方なのです。文明の進化によって、人間はそのリズムから自由になり、時間と夜を支配するようになりました。しかし、その一方で、大切な多くのものを失っているのです。そのことに気づかされる者は幸いです。
  • 夜型人間が、朝型人間に変わるには意識的な改革が必要です。ダイエットにしても、太ったから少し体重を減らすといった「それっきりダイエット」では、意識改革が何もなされていないため、やがては元の状態に戻ってしまいます。そうした生活を繰り返しているうちに、ダイエットのきかないからだになってしまうと言われています。意識改革をして「心を一新して」自分を変えない限り、「一生型のダイエット」を続けることはできません。
  • 「一生型のダイエット」とは、これまでの無駄な生活(時間・持ち物・仕事・人間関係・関心、等)を整理して、本当に大切なこと、本当に必要なこと、価値のあることに多くの時間と精力を注いで生きる生き方です。これこそシンプル・ライフだと私は考えます。その実現のためには意識改革と決意が必要です。
  • ダビデは「ただ一つのこと」を求めました。「一つのこと」とは、神との親しい交わりのことです。「一つのこと」とは、それを失うならば、すべてのものが意味を持ちえなくなってしまうような、優先すべき事柄を意味します。ダビデは王として国を治め、敵との戦いに明け暮れた人です。その彼が何よりも大切にしたことは、毎朝、主を求め、主を慕い、主を礼拝するという生き方でした。それによって、ダビデの生涯に多くの益がもたらされました。「早起きは三文の得」といわれますが、神と交わるための早起きは、三文どころか何百倍の得があると信じます。
  • 聖書の中で、朝型人間はダビデだけではありません。イエス・キリストも実は超朝型人間でした。イエスは、いつも、朝早く、しかも夜明け前に起きて、静かなところへ行き(たとえば、荒野や山など)、ひとりになって、長い時間、御父との交わりを過ごしました。前日の働きでどんなに疲れていたとしても、です(マルコ1章35節の前後参照)。
  • こうしたライフスタイルは、イエスが公生涯に入ってからのものではありません。公生涯に入られる前の30年間の準備期間の中でそうした生活を送っていました。イエスは父ヨセフの大工の仕事を手伝いながら、朝ごとに、御父との親しい交わりを持つという生活習慣をもっていたのです。その中で、やがてどんな中にあっても、御父を信頼しきっていくという歩みが訓練されていったのです。信頼の訓練は、実に多くの時間を必要とするのです。
  • 朝早く起きて主を求め、主との親しい愛の関係の中に生きることを、口語訳では「あなたのために、いけにえを備えて待ち望みます」(詩5篇3節)と訳しています。ここでいう「いけにえ」こそ、詩4篇5節で取り上げた「義のいけにえ」です。この「いけにえ」をダビデは、毎朝、継続的にささげました。これはどんな働きにも勝って、神がことのほか喜んでくださる「いけにえ」なのです。

2. モーニング・ウォッチの必然性

  • ダビデが朝ごとに主を求めた背景には、単に生活習慣としてだけではなく、そうしなければならない必然性があったのです。義に飢え渇く者は、ある意味で、孤独と迫害を強いられます。迫害といっても、面と向かって敵対される形や、無視や無関心という形もあります。また、獲物を狙って待ち伏せしている表裏のある形もあるでしょう。神から特別待遇される関係をもっている者は、敵からの攻撃を受けることが多いのです。
  • イエスも山上の説教の中で「義に飢え渇く者」「義のために迫害される者は幸いです」。そのような者は「満たされ」「天の御国はその人のものです」と言われました。ですから、義に飢え渇いていたダビデのような人はいつも、日ごとに、毎朝、神との交わりを必要としたのです。
  • 主に拠り頼む者は、自分にふりかかる問題をだれか他の人に相談するのではなく、沈黙の祈りの中で、すべて主の前に注ぎ出し、訴えながら、自分の心を見張ること(watching)が必要なのです。ダビデは、7節で「私は、豊かな恵みによって、あなたの家に行き、・・ひれ伏します」と述べています。英語では I will come in thy house. I will worship とあり、ダビデの強い意志を表わしています。
  • 詩5篇は「嘆きの詩篇」という類型に分類される詩篇です。詩篇の類型の中で最も多いのがこのタイプの詩篇です。しかし、嘆きの諸相は様々です。他人によって引き起こされる嘆きもあれば、自分の罪や過ち、失敗、病気、不条理な出来事などによってもたらされる嘆きもあります。しかし、いずれにしても、嘆きの中で不思議と人は神に引き寄せられていくのです。そして、やがて、嘆きから賛美へと変えられていく構造が詩篇の中に多々見られます。これこそ、主に「身を避ける者」(11節)の喜びです。そして12節にあるように、「主よ。まことに、あなたは正しい者を祝福し、大盾で囲むように愛(ラーツォン)で・・囲まれます。」と告白するのです。神の愛を確信し、その守りの中にあることを「朝ごとに」知ることこそ、モーニング・ウォッチの大醍醐味といえます。
  • モーニング・ウォッチ(Morning Watch)の生活を、私は、これからも日々ますます楽しみ、深めていきたいと祈っています。

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