瞑想Ps64/A
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瞑想Ps64/A
- 詩篇の中にはしばしば繰り返される真理があります。それは、神を恐れず、神に敵対する者がたどる「自滅の原則」です。悪をはかる者はやがて自分の罠にはまるという原則です。ダビデもそうした原則を自分の生涯の中でしばしば経験してきました。他にも、モルデカイを陥れようとしたハマン(エステル記)や、ダニエルを陥れようとした敵がその良い例です。
- 詩64篇8節だけでなく、詩7篇14~16節、27篇2節、63編9~10節にも、同じく、「自滅の原則」が述べられています。
- 自分の高慢な言葉、つまり、悪事をたくらむ者たちが、互いに知恵を絞って策略を巡らし、その結果、「だれも、見破られない」と言っている高慢な姿は、やがてそのしっぽを掴まれる運命にあります。この詩篇64篇は、時代劇(たとえば、「水戸黄門」)で、必ずや、秘密の談合が確認され、やがてしっぽを掴まれて、悪が明るみに出される、そんなシーンを思い起こさせる詩篇です。
- 今日、巷をにぎわす悪事のニュースのネタは事欠かないほどです。悪事はどこでどうばれるのかわかりません。詩篇64篇3節では、「彼らは、その舌を剣のように、とぎすまし、苦いことばの矢を放っています」とあります。これに対して、神も同じく、不意に、矢をもって彼らに射掛けられるのです。その結果、「彼らは、おのれの舌を、みずからのつまずきとした」(8節)という結果に陥ります。ひそかに計画めぐらして安全だとするのは妄想です。神は隠れたものをことごとく明るみに出される方だからです。