礼拝用語Ps18
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詩18篇「慕う」「愛する」רָחַם ラーハム
〔カテゴリー渇望〕
1節「主、わが力、私は、あなたを慕います。」(新改訳)
1節「わたしはあなたを愛します。」(口語訳)
Keyword; 「慕います」「愛します」「愛しむ」 love, have compassion, mercy
- 1節の「ラーハム」(רָחַם)は、新改訳、新共同訳では「慕います」と訳されていますが、口語訳では「愛します」、文語訳では「愛(いつく)しむ」と訳されています。詩篇の中で「慕います」と訳された「ラーハム」(רָחַם)は決して多くありません。「慕います」と訳されているのはこの詩篇のみ。
- このことばは、本来、父が子を、あるいは、神が人に対して「かわいそうに思う」とか、「深くあわれむ」という親愛を意味する言葉です。名詞は「ラハミーム」(רַחֲמִים)で、腸が痛むほどにかわいそうに思う、愛しむ、あわれみを意味することばです。この名詞は旧約では39回、詩篇では11回使われています。25:6/40:11/51:1/69:16/77:9/79:8/103:4/106:46/119:77,156/145:9参照。本来、神が人に対して用いられることばであり、人が神に対して用いることばとしては異例です。
- それほどにダビデは、神に対して深い親愛の情をもっていたことを伺わせます。それは過去の様々な危険から救い出し、守ってくださった主の恵み(あわれみ)に基づくものです。ダビデの主に対する愛は、19節の「主は私を広い所に連れ出し、私を助け出された。主が私を喜びとされたから。」、50節の「主は・・油注がれた者、ダビデとそのすえに、とこしえに恵みを施されます。(文語訳では「世々かぎりなくあわれみをたれたまふ」)」とあるように、神のダビデに注ぐ深い愛によって育まれたものといえます。
- 「ラーハム」(רָחַם)は、ギリシア語では「かわいそうに思う」という「スプランクニゾマイ」に近いことばです。これは、神が人にしても心の最も深い所からわき起こってくる親愛の情であり、必ずなんらかの行為を伴います。
- I will praise/I will sing/ I will worship/ I will seek ・・といった表現はあっても、I will love という表現は滅多にありません。なぜなら、love はwillを当然ながら含んでいるからです。Jesus loves me / I love Jesus のlove は自発的、主体的なかかわりを表わす表現ですが、にもかかわらず、I will love You(NKJV)とあるのは、「ラーハム」(רָחַם)が単なるloveでは表せない内容をもっているからだと思います。
- 使徒ヨハネは「神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに神の愛が私たちに示されたのです。私たちが愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。」と(ヨハネの手紙第一4章9~10節)
- 類義語としては「バーカシュ」(בָּקַש)、「ターアヴ」(תָּאַב)、「アーラグ」(עָרַג)、「ハーシャク」(חָשַׁק)があります。