礼拝用語Ps32
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詩32篇「祈る」 פָּלַל パーラル
〔カテゴリー祈り〕
6節「それゆえ、聖徒は、みな、あなたに祈ります。」
Keyword;「祈る」 pray 5:2/32:6
- 「祈ります」と訳されたパーラル(פָּלַל) は一般的な「祈る」という動詞ですが、名詞はテヒラー(תְּפִלָּה)です。詩篇でのパーラル(פָּלַל)の使用数は決して多くはありませんが、アブラハム、モーセ、アロン、ハンナ、サムエル、エズラたちが主に祈った祈りの動詞はこのパーラル(פָּלַל)が使われています。主の名を「呼ぶ、尋ね求める、叫ぶ、申し上げる、心を注ぎだす」とも訳されます。また、とりなしをする(仲裁する)と言う意味もあります。聖書で最初に登場する20章ではアブラハムがアビメレクのためにとりなして祈っているところにこの動詞が使われています。
- 聖書には歴史を動かした多くのすばらしい祈りがあります。その中でも、「ハンナの祈り」は歴史を変えた祈りのひとつです。その祈りは、エルカナという人の家庭内で起こった一つのトラブルがもたらした、いわば、「追い込まれた祈り」でした。エルカナの第一夫人ハンナは子どもがありませんでしたが、夫に愛されていました。子どものいる第二夫人のベニンナはそのことを妬み、ハンナをひどく苦しめました。ハンナはこの苦しみをただ主に訴え、心を注ぎ出して祈りました。
- 「心を注ぎ出す」とは、「自分の苦しみのすべてを注ぎ出す」という意味で、それを受け止めてくれる方の前でしかできないことです。どこにも向けることのできなかったハンナの心の苦しみは、ハンナをして主の前に向かわせました。その結果として、ハンナの祈りは預言者サムエルを産み出したのです。このハンナの祈りがなければ、サムエルは生まれなかったと言っても過言ではありません。
- このような祈りに追い込んだのは、他ならぬ神ご自身です。追い込まれた祈りの中でハンナは一つの誓願を立てました。その誓願とは「もし、子を与えて下さるなら、その子の生涯を、主に明け渡します。」というものでした。その誓願は、単に、ベニンナへの対抗意識を越えて、祈りに答えて下さるなら、神に自分の最も大切とするものを神にささげたいとする意志でした。母親にとって自分の子は宝のような存在です。しかしそれを神に明け渡すことによって、彼女は、結果的に、歴史を動かす人物をこの世に送るという使命を果たしました。ちなみに、「サムエル」とは「神は聞きたもう」という意味です。
- 追い込まれて祈った祈りでしたが、そこに至るまでのすべての上に、神の隠された不思議な計画と導きがあったことを聖書は記しています。私たちもある種の行き詰まり、苦しみや悩み、トラブル、思うように行かないこと・・などを経験することがあります。それは神が私たちをして、祈るようにと導いておられる神のサインなのかもしれません。
- 類義語としては、シャーアル(שָׁאַל)があります。これは詩122篇6節「エルサレムの平和のために祈れ」というところに使われています。「請い求める、願う、求める、尋ねる、欲する、要求する」という意味です。