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礼拝用語Ps63(2)

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詩63篇(2)「すがる」דָּבַק ダーヴァク

〔カテゴリー: 信頼〕

8節「私のたましいは、あなたにすがり、あなたの右の手は、私をささえてくださいます。」
(新改訳)
8節「わか魂はあなたの後においすがり、まことにあなたの右の手はわたしを支える。」
(関根訳)

Keyword; 「すがる、すがりつく、おいすがる」 cling, hold fast,
22:15/44:25/63:8/101:3/102:5/119:25, 31/137:6

  • 「すがる」「すがりつく」と訳されているダーヴァク(דָּבַק)という動詞は、普通、あまり良い意味で使われません。というのも、「くっついて離れない、執着する、固執する」というイメージがあるからかもしれません。しかし、神に「すがる」ということは神を喜ばせます。なぜなら、どんな状況に陥っても神を決して離すまいとする心、あるいは、決して望みを捨てないという心だからです。LB訳では「すがる」ことを「神様のふところに飛び込む」と意訳しています。なかなか味わい深い表現です。
  • 神にすがる者、すがりつく者は、新約的に言うならば「貧しい者」のことです。イエスは「貧しい者は幸いです。神の国はあなたがたのものです。」(ルカ6章20節)と約束されました。主の弟子とは「貧しい者」のことであり、「小さき者」「弱き者」と同義なのです。つまり、神なしには生きられないことを知っている者たちであり、神の愛と支えと導きなしには輝く望みなどないと知っている者たちなのです。
  • 旧約聖書の中に「すがりつく」恵みを体験したひとりの女性がいます。その女性の名はダビデの曾祖母ルツです。ルツは異邦人(モアブ人)でしたが、姑ナオミにすがりつきました(ルツ記1章14節参照)。ルツは姑のナオミにすがりつくことで、ナオミの信じている神にすがりついたのです。神は、このルツをしっかりと支えられました。そして、はからずも、ボアズと出会い、結婚し、ダビデにつながる子孫をもたらしました。そしてやがてはその子孫からメシアが生まれるという神のご計画に預かったのでした。
  • ダビデも荒野経験において神にすがりついています。ダビデの系譜はまさに「神にすがりつく系譜」と言えます。ダビデにとって、荒野での予期せぬ出来事は、神への思いを募らせ、そのかかわりを深める契機ともなりましたが、その強烈さに圧倒されます。ここに、ダビデがいかに模範的な礼拝者であったかを伺わせます。
  • ダビデは、8節で「私のたましいは、あなたにすがり」ということばで、その前にあるすべての<礼拝用語>を統括し、それに対して「あなたの右の手は、私をささえてくださいます。」というたったひとつの<恩寵用語>によってその祝福の確信を要約しています。「あなたの右の手は、私をささえてくださる」を、尾山訳では「あなたは私をしっかり抱きしめてくださいます」と訳しています。まさにこの「抱っこ法」は神の養育方法です。
  • このように、神とのかかわりにおいてダーヴァク(דָּבַק)が用いられているのは、詩篇ではここ詩63篇8節のみです。とても価値のある、重要な動詞と言えます。
  • ちなみに、詩篇119:25では「(ちりに)打ち伏す」、119:31では「堅く守る」と訳されています。⇒こちらも参照

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