****** キリスト教会は、ヘブル的ルーツとつぎ合わされることで回復し、完成します。******

私はひとつのことを主に願った

文字サイズ:

28. 私は一つのことを主に願った

【聖書箇所】 詩篇27篇4a

画像の説明

【読み】
ハット シャーアルティ メエット アドナーイ オータッハ アヴァケーシュ

【文法】
画像の説明

【語彙】

ヘブル語の四つの渇望用語

27:4にある「私は一つのことを主に願った。私はそれを求めている」の前者の「願った」は「シャーアルשָׁאַלが使われ、後者の「求めている」は「バーカシュבָּקַשׁが使われています。

詩24篇6節には「神を求める(דָרַשׁ)者の一族、あなたの御顔を慕い求める(בָּקַשׁ)人々」という二つの渇望用語が使われています。前半の「求める」と訳された原語は「ダーラシュדָרַשׁで、「捜し求める、捜す、探り出す、探る、慕う、調べる、問う、問い尋ねる、尋ね求める」といった意味があります。後半の「慕い求める」「尋ね求める」(口語訳)と訳される「バーカシュ」בָּקַשׁは、「ダーラシュ」דָרַשׁが理性的意味合いが強いのに対して、感情的・心情的な意味合いが強いように思います。「ダーラシュ」דָרַשׁは、苦しみや不在経験を通りながらも、私たちが心と思い(精神)と力を尽くして神を尋ね求めることを意味します。

類義語としては、他に「シャーハルשָׁחַרがあります。これは熱心に、切に、ひたすら求めることを意味する動詞です。
「私はあなたを切に求めます(שָׁחַר)。あなたを慕って・・」(63:1)
「…彼らは、神を尋ね求め(דָרַשׁ)、立ち返って、神を切に求め(שָׁחַר)た。」(78:34)

【翻訳】

【新改訳改訂3】
私は一つのことを【主】に願った。私はそれを求めている。私のいのちの日の限り、【主】の家に住むことを。【主】の麗しさを仰ぎ見、その宮で、思いにふける、そのために。
【口語訳】
わたしは一つの事を主に願った、わたしはそれを求める。わたしの生きるかぎり、主の家に住んで、主のうるわしきを見、その宮で尋ねきわめることを。
【新共同訳】
ひとつのことを主に願い、それだけを求めよう。命のある限り、主の家に宿り/主を仰ぎ望んで喜びを得/その宮で朝を迎えることを。
【高橋秀典訳】
一つのことを 私は主(ヤハウェ)に願った。
それを私は慕い求めている。
私のいのちの日の限り、主(ヤハウェ)の家に住み、
主(ヤハウェ)の麗しさを見つめ、その宮で深く静まることを。
【NKJV】
One thing I have desired of the Lord, That will I seek: That I may dwell in the house of the Lord All the days of my life, To behold the beauty of the Lord, And to inquire in His temple.

【瞑想】

One thing への希求」ーこれこそダビデの霊性を簡潔に言い表したものです。

これは私の大好きな詩篇です。なぜならダビデの生涯の秘密がこの詩篇にあるからです。それは4節です。「私はひとつのことを主に願った。私はそれを求めている。私のいのちの日の限り、主の家に住むことを。主の麗しさを仰ぎ見、その宮で、思いにふける、そのために。」

この箇所を読むとき、私の心はいつも感動で震えます。ダビデの生涯を貫き通している情熱、ダビデが生涯をかけて求めたもの、彼の心をとりこにしたもの、ダビデの唯一の願いとしたものがここに記されているからです。ダビデはイスラエルにおいて最も偉大な王であり、有能な指導者でした。戦いの勇士であると同時に、詩人、音楽家でもありました。しかしそれ以上に、彼を特徴づけているのは、主を求める真の礼拝者、真の求道者としてのダビデの姿です。

「ひとつのこと」(One thing)とは、第一のこと、最も優先すべきこと事柄、それを得るならば、他のすべてのことが正しい位置を占め、有益に機能していく要となる事柄です。ダビデはそんな事柄があることを知っていました。だからこそ求めたのです。「私はそれを求めている。」(I will seek that)とあります。ここに私はダビデの強い意志を感じます。自ら求めなければ得られない、自動的には得られない事柄だからです。それは具体的には「主の家に住むこと」です。

「主の家に住むこと」の目的の第一は、「主の麗しさを仰ぎ見る」ためです。「主の麗しさ」、つまり、心が奪われてしまうような感動です。「主の麗しさを仰ぎ見ること」、それがダビデの人生の力、生きていく力でした。「主の家に住むこと」の目的の第二は、「主の宮で、思いにふける」ためです。「思いにふける」(新改訳)とは、口語訳で「尋ねきわめる」、新共同訳では「朝を迎える」、LB訳では「黙想にふける」、J.アプリ訳では「拠り所たのみてかまえん」と訳されています。NAB訳では、to contemplate と訳されていて、主の御顔をじっと見つめ、主のことを熟考しながら、黙想する、沈思する、瞑想するといった意味合いを連想させます。これはこの世からの逃避ではなく、むしろ、この世において勝利するためのものです。主の宮で悟りと確信を与えられ、新たな上からの力に満たされるための黙想、瞑想です。これはマリヤのライフスタイルでもあります。

今後、主にある者たちには、ダビデやマリヤの霊性にみられるOne thingへの希求がますます必要とされていくように思います。なぜなら「終わりの日」には、私たちの予想をはるかに上回るような「みことばの回復」がなされるからです。それは「イスラエルの回復」と連動して、すでに始まっています。

ちなみに、詩篇27篇では「主の家」だけでなく、他の場所についても言及されています。⇒こちらを参照

【付記】
(1)「ただひとつの願い」⇒楽譜
(2)「One Thing」⇒楽譜

2013.3.14


a:8657 t:7 y:3

powered by Quick Homepage Maker 5.2
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional