****** キリスト教会は、ヘブル的ルーツとつぎ合わされることで回復し、完成します。******

秋の三つの主の例祭の真意

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レビ記は、「キリストの十字架の血による贖いの神秘」を学ぶ最高のテキストです。

23. 秋の三つの主の例祭の真意

ベレーシート

  • レビ記23章後半の23~44節は、主の例祭における「秋の三つの例祭」について扱われています。その三つとは、①「ラッパの祭り」②「贖罪の日」③「仮庵の祭り」です。これら秋の例祭が意味する預言的な意味についてまとめたいと思います。
  • 「春の四つの祭り」のうち、「過越の祭り」はイスラエルの民のルーツ的出来事を祝う祭りであり、続く「種を入れないパンの祭り」は神の民としての聖別された歩みを思い起こして、吟味する期間です。「初穂の祭り」と「七週の祭り」は、いずれも初穂的出来事を祝う祭りです。これらはいずれもイェシュアの初臨によって実現しています。「過越の祭り」はイェシュアの十字架の死による贖いの型であり、「初穂の祭り」はイェシュアの復活による「新しいからだ(朽ちることのないからだ)」の型です。また「七週の祭り」が指し示す「聖霊降臨」の型であり、それら「初穂の祭り」が指し示す「イェシュアの復活」と「七週の祭り」が指し示す都の特徴は、いずれも初穂的出来事だということです。「初穂」であるということは、やがて後に十分な収穫が予想されていることの確証です。つまり、それは過越の祭りから数えて、第七の月であるティシュレーの月に行なわれる「秋の三つの祭り」によって示唆されている神のご計画とそのみこころが、完全に実現することを示唆しています。

1. 「ラッパの祭り」とその預言的真意

【新改訳改訂第3版】レビ記23章23~24節
23 ついで【主】はモーセに告げて仰せられた。
24 「イスラエル人に告げて言え。第七月の第一日は、あなたがたの全き休みの日、ラッパを吹き鳴らして記念する聖なる会合である。
25 どんな労働の仕事もしてはならない。火によるささげ物を【主】にささげなさい。」


●第七月の第一日は、「安息日」の規定と同様に、「全き休みの日」であり、「聖なる会合」の日です。

●「ラッパを吹き鳴らす」ということは、ある大切なことが近づいたことを、告知するということです。これがためのものその大切なこととは、十日目の「贖罪の日」とです。、さらに十五日目から始まる「仮庵の祭り」のことです。これらが神のご計画においてどのような意味があるのかを知る必要があります。一義的には、これらの祭りにおいて、神の民イスラエルに対する神のマスタープランとその目的が重要なこととして預言されています。

●「ラッパ」というのは、神のご計画において収穫の時が来たことを告知するものです。つまり、神のご計画の「終わりの日」に吹かれるラッパのことを意味しています。ヨハネの黙示録8章では、七つのラッパが吹き鳴らされるときから、神のさばきが始まります。そのさばきの目的は明確です。つまり、神の選びの民であるイスラエルが主に立ち返り、イェシュアこそメシアであったことに目が開かれることです。


2. 「贖罪の日」とその預言的真意

【新改訳改訂第3版】レビ記23章26~32節
26 ついで【主】はモーセに告げて仰せられた。
27 「特にこの第七月の十日は贖罪の日、あなたがたのための聖なる会合となる。あなたがたは身を戒めて、火によるささげ物を【主】にささげなければならない。
28 その日のうちは、いっさいの仕事をしてはならない。その日は贖罪の日であり、あなたがたの神、【主】の前で、あなたがたの贖いがなされるからである。
29 その日に身を戒めない者はだれでも、その民から断ち切られる。
30 その日のうちに仕事を少しでもする者はだれでも、わたしはその者を、彼の民の間から滅ぼす。
31 どんな仕事もしてはならない。これは、あなたがたがどこに住んでいても、代々守るべき永遠のおきてである。
32 これは、あなたがたの全き休みの安息である。あなたがたは身を戒める。すなわち、その月の九日の夕方には、その夕方から次の夕方まで、あなたがたの安息を守らなければならない。」


●「贖罪の日」も安息日と同様の一日限りの扱いです。この「一日」が象徴していることは、神への立ち返りが最後の一度限りのものであることを示唆しています。

  • 春の例祭の「七週の祭り」が示唆する預言的意味は、その初穂としてイェシュアの弟子たちに聖霊が注がれることでした。しかし、終わりの日には、イェシュアをメシアとして拒絶したイスラエルの民に対して「恵みと哀願の霊」が注がれます。そうして、彼らはイェシュアこそメシアであったことを悟ります。そして、神に立ち返るのです。主の例祭としての「贖罪の日」は、まさにその時が必ず来ることを預言的に啓示しているのです。キリストの花嫁である教会はすでにイェシュアの十字架の血潮によってきよめられ、イェシュアの空中再臨の時に携挙されます。しかし、イスラエルの民(ユダヤ人)はまだ民族的にイェシュアであることに目が開かれていません。「終わりの日」においてラッパが吹き鳴らされるのは、神の民イスラエルにとっての「贖罪の日」を示唆しています。それは個人的な贖罪ではなく、民族的な贖罪です。つまり、民族的な悔い改めがなされる日が来ることを、この祭りは予告しているのです。

3. 「仮庵の祭り」とその預言的真意

【新改訳改訂第3版】レビ記23章33~36節、42~43節
33 ついで【主】はモーセに告げて仰せられた。
34 「イスラエル人に告げて言え。この第七月の十五日には、七日間にわたる【主】の仮庵の祭りが始まる。
35 最初の日は聖なる会合であって、あなたがたは、労働の仕事はいっさいしてはならない。
36 七日間、あなたがたは火によるささげ物を【主】にささげなければならない。八日目も、あなたがたは聖なる会合を開かなければならない。あなたがたは火によるささげ物を【主】にささげる。これはきよめの集会で、労働の仕事はいっさいしてはならない。

42 あなたがたは七日間、仮庵に住まなければならない。イスラエルで生まれた者はみな、仮庵に住まなければならない。
43 これは、わたしが、エジプトの国からイスラエル人を連れ出したとき、彼らを仮庵に住まわせたことを、あなたがたの後の世代が知るためである。わたしはあなたがたの神、【主】である。」


●43節に「これは、わたしが、エジプトの国からイスラエル人を連れ出したとき、彼らを仮庵に住まわせたことを、あなたがたの後の世代が知るためである。」とあります。荒野の時代における神とイスラエルの民とのかかわりは麗しい「蜜月(ハネムーン)」でした。その時のことを思い起こさせるための祭りが「仮庵の祭り」です。

●イスラエルの民が終わりの日、反キリストによる大患難を通して、神に立ち返るときが来ます。そしてイェシュアが再び地上再臨され、メシア王国が打ち建てられます。このことを思い起こすことも「仮庵の祭り」の大切な要素です。イェシュアの誕生、公生涯の開始、地上再臨はすべて仮庵の時期と重なります(但し、空中再臨による花嫁なる教会の携挙の時期については聖書は設定していません。それはユダヤの婚礼のしきたりと同様、花婿の父だけがゴーサインを出すからです)。

●キリスト再臨後のメシア王国、千年王国は私たちの想像をはるかに越えた世界です。その世界(この地上)に、すでに携挙されたキリストの花嫁なる教会は、花婿なるキリストと共に来ます。地ののろいが解けたこの地上の祝福は旧約の預言者たちを通してその多くが預言されています。したがって、私たちは旧約の預言者たちの終末預言をじっくりと学ぶ必要があります。

●「あなたがたのうちにある希望について説明を求める人には、だれにでもいつでも弁明できる用意をしていなさい。」(Ⅰペテロ3:15)とありますが、そのためには、仮庵の祭りが指し示すメシア王国のすばらしさを信仰によって自分のものとしていなければなりません。私たちに与えられている真の希望は、世界の基が置かれる前からあらかじめ定められている神のご計画とみこころ、御旨と目的がキリストにあって実現されることです。

●神のマスタープランは主の例祭の中に啓示されています。その例祭に隠されている預言的真意を学ぶことは、私たちに大きな希望を与えます。それゆえ、神のご計画の実現に向けて、自分たちは備えているのかどうか、それを自ら「Are you ready ?」と問いかけ続けることが、「終わりの時代」に生きる、主にある者たちの責任と言えます。

「八日目」が意味すること
仮庵の祭りは7日間続きます。8日目も同じく休みの日ですが、ヨハネの福音書7章37節では「祭りの終わりの大いなる日」と呼ばれています。そのように呼ばれるにはそれなりの理由があります。というのは、「8」という数は神と人との新しい契約を象徴する意味があるからです。イスラエルの民が新しく誕生した男子に神の民としての契約のしるしである「割礼」を施したのは、生後8日目でした。神の創造は6日間で終わり、第7日目には創造のわざを休まれました。しかし、第8日目があるのです。「8」は「御国」が完全に実現する「救い」とイェシュアがメシアであることを象徴する数であり、神の新しい創造を象徴する数でもあるのです。

① ノアの洪水後、8人の家族が新しい時代を担う者となった(Ⅰペテロ3:20)。
② メシア・イェシュアの先祖であるダビデ王は、エッサイの8番目の息子です(Ⅰサム17:12)。
③ イェシュアはエルサレム入場後、8日目の日曜日に復活された(ルカ24:1)。
④ 復活後の8日目に、トマスはイェシュアを「私の主、私の神」と告白した (ヨハネ19:26)。
⑤ 「8」という数字はイェシュアを象徴する数で、ギリシア語の「イエスース」のゲマトリアは888。
⑥ 「私たちの救いの神」を意味するヘブル語の「イシュアット・エローヒームヌー」のゲマトリアも888。
⑦ 「8」は2の3乗(2×2×2=8)。これは一辺の長さを2とする立方体の体積と等しい数で、その立方体は「新しいエルサレム」を象徴している。

このようなことから、「仮庵の祭りの終わりの大いなる日」である「8日目」を聖なる日として特別に祝うことはとても意味あることなのです。


2016.6.22


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