****** キリスト教会は、ヘブル的ルーツとつぎ合わされることで回復し、完成します。******

立派な生き方を示すこと(1)

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2. 立派な生き方を示すこと (1)

ベレーシート

  • 新約聖書の書簡を理解する上で重要なことは、中心となる部分を見つけ出すことです。樹木でたとえるなら、枝や葉を削ぎ落して幹の部分がどれかを確定することです。そうすることで、書簡で語られていることが整理されてきます。ただ、幹の部分を確定しようとする場合、訳文だけでは困難です。訳文ではそれを見つけることができません。今日、ギリシア語原文のインターリニアが多く出版されています。それらを利用することで原文の文法情報を得ることができます。それを利用して、どこが幹の部分で、どこが枝葉なのかを見分けることができるのです。それによってメッセージの流れを知ることができるのです。
  • ユダヤ人が書いた書簡にはヘブル語特有の修辞法であるパラレリズムが多く用いられています。その修辞法は、ある表現を別の表現で表わしているために、みことばによってみことはを理解することが可能となります。しかし、ある範囲において、流れの幹の部分を確定するためにはパラレリズムだけでは無理があります。幹の部分の確定の一つの方法は、主要動詞を見つけることです。主文の動詞を見つけることで、主文と説明文とを明確にすることができます。ただ、枝や葉である説明文の中にも動詞がありますので注意が必要です。
  • そのようにしてⅠペテロ書2章にある主要動詞を探してみると、以下の二つの動詞を見出すことができます。

    (1) 2章2節
    みことばを「慕い求めなさい
    (命令アオリスト2人称複数)

    (2) 2章5節
    霊の家に「建て上げられなさい(建て上げられ続けなさい)
    (命令現在2人称複数)


    ●いずれも命令形ですが、この二つの主要動詞にさまざまな説明句が付け加えられているのです。

  • 命令形のアオリストは、主体的・自発的な意味合いの強い命令形です。これをヘブル語にすると強意形のヒットパエル態となります。命令形の現在形は、「~し続けなさい」というニュアンスです。

1. みことばを「慕い求めなさい」

  • この主要動詞は、1章27節からつながっているもので、「あなたがたが新しく生まれたのは、朽ちる種からではなく、朽ちない種からであり、生ける、いつまでも変わることのない、神のことばによるのです」(1:23)のコンテキストに基づいています。そういうわけですから、自ら、主体的に、自発的にみことばを「慕い求めなければならない」のです。それについての説明文が周辺に置かれています。
    ①消極面・・
    「すべての悪意、すべてのごまかし、いろいろな偽善、すべての悪口を捨てる」
    ②慕い求めるべき対象・・「純粋な、みことばの乳」
    ①程度・・・「生まれたばかりの乳飲み子のように」
    ②目的・・・「成長して、救いを得るため」
  • 「慕い求める」という動詞のギリシア語は「」ですが、これをヘブル語にすると「アーヴァー」(אָוָה)という語彙になります。これはむき出しの欲望、激しい欲望にかられ、それを得るまで泣きやまないほどの強烈な求めです。民数記11章4節にこの「アーヴァー」(אָוָה)が使われています。彼らの「肉が食べたい」という強烈な願いを主は受け入れ、彼らにうずらの肉を与えました。しかし、それによって彼らの多くがさばかれて死にました。彼らは神のマナを本当の美味しさを味わうことができなかったのです。天からのマナ啓示するをイェシュアのみことばを貪欲に求めること(聖なる貪欲さ)は、主に喜ばれるすばらしいことなのです。
  • 「慕い求める」ということは決して容易なことではありません。チャールズ・スウィンドル師は、全能者と親しい交わりを深めるために、生活を整理し直すことが不可欠だと述べています。その提案の中身の第一は、忙しさから解放され、生活の歩調をゆっくりとしたものにすることだとしています。競争社会の中でストレスは増大するため、その緊張感からの解放は必須となり、その解放のためにさらに多くのものを求めるようになる。そしてそのような生活の中で誘惑の餌食となると警告しています。第二の提案は、ねたみをやめることであるとしている。ねたみは神のことよりも自分や他人のことに一番の関心がいってしまい、その行き着くところは行き止まりだからとしています。
  • マナの味わいを取り戻すというのは、今日的課題です。天から与えられる「マナ」、それは「主の祈り」の中にある「日ごとの糧」のことであり、食べもののことではありません。霊的な糧、すなわちそれは神のことばです。日々の糧を、私たちに必要なものとしてじっくりと食し、それによって「満ち足りた心」を得ることは今日的課題です。しかもそれは決して派手なことではなく、とても地味な取り組みなのです。
    この地道な取組ができるためには、確固としたキリスト者としてのアイデンティティが必要です。流行に流されず、その日その日の気分で生きることなく、自分を見失わない生き方が求められます。それはある意味では定まった規則正しい生き方なしには得られません。一見、外からは変化や刺激の少ない生き方に見えますが、実は、むしろ日々の霊的糧の中にすばらしいいのちに満ちた宝を発見する生き方なのです。

  • 修道院の基礎を築いたベネディクトという人は、「定住」ということを強調しました。「定住」という概念は、自分が置かれた場所において、自分自身とその行動に対して確固たる責任を持つことを意味しています。換言するなら、主にあって、自分自身の立ち位置を見出すことと言えます。考えを次から次へとコ
    ロコロと変えたり、流行を追いかけ回したりすることは、「定住」から程遠い生き方です。なぜならそこから迷いや不満が起こるからです。「定住」とはキリスト者としての自分の立ち位置を常に確認しつつ、自分に与えられた今日という一日を、神にあって充実して生きることを意味します。そしてそれは決して甘くない生き方です。神の前に静まり、神を慕い求め、神と親しく交わる規律ある生き方、そんな歩みへの渇望が今日の教会に求められているのではないかと思います。


2. 霊の家に「建て上げられる」

  • みことばを「慕い求める」ことは個人的であるのに対して、第二の霊の家に「築き上げられる」ことは共同体的です。霊の家とは神の家のことであり、それが「築き上げられる」ことは、天地創造以前からある神のヴィジョンです。そのために神が私たちをこの世から召し出してくださったとするならば、私たちはそれぞれその家を築くための「選ばれた」「尊い」「生ける石」「聖なる祭司」としての自覚が必要です。つまり、教会が神のみこころにかなったかかわり方が共同体的でなければならないのです。特に、神の民である教会が宣教的使命を果たしていくために不可欠な視点だと言わなければなりません。
  • ちなみに、ペテロの手紙(Ⅰ&Ⅱ)では「教会」ということばは一度も使われていません。むしろ、以下に見られるように、単数形で表される「集合名詞」と複数形で表される「普通名詞」によって「教会」が表現されています。

①「離散者たち」(単数形)と、そこに「寄留している」「選ばれた人々」(複数形)。
②「霊の家」(単数形)と「生ける石」(複数形)。
③「選ばれた種族」「王である祭司」「聖なる国民」「神の所有とされた民」(単数形)と「旅人」「寄留者」(複数形)

●特に、これらはこの世における宣教的使命を担う存在として呼びかけられています。それゆえ、この世における存在のあり方が問われています。


3. 迫害の中での宣教的姿勢への勧告

  • ペテロはやがて起こっくる迫害を鑑みながら、この世に散らされた神の民が宣教的使命を果たすためにどのように対処すべきかが勧められています。それが2章11節~3章22節ですが、その勧告は以下の二つに要約できます。ひとつは消極面勧告として、たましいに戦いをいどむ「肉の欲を遠ざけること」。もうひとつは積極面勧告として、異邦人の中にあって「立派な生き方を示し続けること」です。
  • ペテロは上記の二つの勧告のうち、後者のことをとりわけ強調しています。つまり、異邦人の中にあって「立派な生き方を示し続けること」とはどういうことかを説明しています。それを一言で言うならば、「人の立てたすべての制度に、主のゆえに従う」ということです。そのことの具体的な説明が以下に綴られています。

(1)「従いなさい」(13節、命令アオリスト)・主権者である王に対して。
(2)「敬いなさい」(17節、命令アオリスト)・すべての人に対して。
(3)「愛しなさい」(17節、命令アオリスト)・兄弟たちに対して。
(4)「尊びなさい」(17節、命令現在形)・・・王に対して。

  • しかし、善良で優しい主人に対して従うことは容易なことであっても、横暴で、理不尽な主人に対して従うことは決して容易なことではありません。しかし使徒ペテロはそうした主人に対しても「従う」ことを命じています。なぜなら、それは神に喜ばれることであり、さらに、キリストもその模範を示されたからだと述べています。そして、このことがやがてキリスト者を迫害していたローマの主権者たちをして、キリスト教を国教として認めさせることになったのです。「殉教者の血」は国をひっくり返すほどの大きな影響力を持つことを、この世の主権者たちに認めさせたのです。


2106.10.17


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