聖徒たちを支える奉仕の恵みにあずかる(2)
9. 聖徒たちを支える奉仕の恵みにあずかる (2)
【聖書箇所】Ⅱコリント書9章1節~15節
べレーシート
●Ⅱコリント書8~9章は「献金」についてのまとまった教えが記されています。と言っても、この献金は「エルサレム教会のための貧しい聖徒たちを援助するための献金」です。前回は、この「聖徒たちを支える奉仕の恵み」にあずかろうとしたマケドニア教会の模範から学びました。コリントの教会も「聖徒たちのためのこの奉仕については、これ以上書く必要はありません」(Ⅱコリント9:1)とパウロは述べています。ただし、その熱意だけでなく、しっかりと準備しておくようにと書き送っています。
●9章で献金のことを「祝福の贈り物」(新改訳改定第三版まで「贈り物」、「好意に満ちた贈り物」)としている点に注目してみたいと思います。そしてさらに、6節の「私が伝えたいことは、こうです。」から、パウロは献金について、より深い次元から考えていることを示唆しています。まずは、5節を見てみましょう。
【新改訳2017】Ⅱコリント書9章5節
そこで私は、兄弟たちに頼んで先にそちらに行ってもらい、あなたがたが以前に約束していた祝福の贈り物を、あらかじめ用意しておいてもらうことが必要だと思いました。惜しみながらするのではなく、祝福の贈り物として用意してもらうためです。
●パウロはここで献金のことを「祝福の贈り物」と言っています。ちなみに、聖書教会共同訳では「祝福の業」と訳しています。ギリシア語原文では「ユーロギア」(εὐλογία)という語彙です。6節にもこの語彙が使われています。
【新改訳2017】Ⅱコリント書9章6節
私が伝えたいことは、こうです。わずかだけ蒔く者はわずかだけ刈り入れ、豊かに蒔く者は豊かに刈り入れます。
●6節の「豊かに」という訳語が何と「ユーロギア」(εὐλογία)の複数形なのです。つまり、パウロの心には「ユーロギア」の概念があふれているのです。「ユーロギア」(εὐλογία)のヘブル語は「ベラーハー」(בְּרָכָה)で、その語源は「バ―ラフ」(בָּרַךְ)という動詞です。この「バーラフ」(בָּרַךְ)の概念を理解することで、「献金」の持つ意味がより豊かに、かつ深くなってくると言えるのではないかと思います。したがって、今回はこの語彙に集中してみたいと思います。
1. 「ユーロギア」(εὐλογία)という語彙
●まずは、新約聖書で「ユーロギア」という語彙がどこでどのように使われているかを見てみたいと思います。右図はその引用箇所です。全部で16回使われています。今回のⅡコリント書9章では、先ほどにも挙げたように4回です。そこだけでも訳語は実に多様です。
(1) 5節の「ユーロギア」(εὐλογία)の訳語
①「祝福の贈り物」(新改訳2017、岩波訳)、②「好意に満ちた贈り物」(新改訳改定3)、③「心を込めて」(口語訳)、④「惜しまず差し出したもの(贈り物)」(新共同訳)、⑤「祝福の業」(聖書協会共同訳)。⑥「真心からの贈り物」(L.B)
(2)6節の「ユーロギア」(εὐλογία)の訳語
●ここはいずれの聖書も「豊か」と訳しています。
●他の箇所の「ユーロギア」(εὐλογία)の訳語も見てみましょう。
(3) ローマ書15章29節・・・「祝福」
(4) ローマ書16章18節・・・「へつらいのことば(=ほめことば)」
(5) Ⅰコリント書10章16節・・「賛美」「祝福」
(6) ガラテヤ書3章14節・・「祝福」
(7) エペソ書1章3節・・・ 「祝福」
(8) へブル書6章7節・・・・「祝福」
(9) ヤコブ書3章10節・・・「祝福」
(10)Ⅰペテロ3章9節・・・・「祝福」
(11) 黙示録5章12, 13節・・「賛美」
(12) 黙示録7章12節・・・・「賛美」
●以上のことから分かることは、神から人への「ユーロギア」(εὐλογία)は「祝福」となり、人から神への「ユーロギア」は「賛美」という訳になりますが、人から人への「ユーロギア」は「好意に満ちた贈り物」(気前の良い贈り物)となります。
●次に、「ユーロギア」(εὐλογία)に相当するヘブル語は「ベラーハー」(בְּרָכָה)です。旧約では72回。その初出箇所は創世記12章2節です。
【新改訳2017】創世記12章2節
そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し(בָּרַךְ)、あなたの名を大いなるものとする。あなたは祝福(בְּרָכָה)となりなさい。(※新共同訳は「祝福の源」と訳しています)
●2節には「ベラーハー」(בְּרָכָה)の語源となる動詞「バ―ラフ」(בָּרַךְ)もあります。旧約での使用頻度数は動詞の場合の35番目で、330回です。その初出箇所は創世記1章22節で、「神はそれらを祝福して、『生めよ。増えよ。海の水に満ちよ。鳥は地の上に増えよ』と仰せられた。」とあります。神が生き物や人を「生めよ、増えよ、満ちよ」と祝福して、増えることを意味するだけでなく、全地にそれらが満ちあふれることを意味します。これが神の祝福です。救いの器として選ばれたイスラエルの父祖アブラハムに対しても、神は彼を祝福して、その源とし、彼を通して地のすべての部族が祝福されるように約束されました。これが神から人に対しての祝福の秩序です。
●アブラハムに対する神の召命のことば(1~3節)には、「救い」ということばはひとつもありませんが、「祝福」ということばが5回も出てきます。そのうち4回は動詞の「バーラフ」(בָּרַךְ)で、残りのひとつは名詞「ベラーハー」(בְּרָכָה)です。驚くべきことに、聖書で神が祝福するという動詞はそのほとんどが強意形のピエル態で使われています。ということは、祝福するという行為は神が自ら強い決断の下になさることだということです。神が人を祝福するイメージの中に神の信任性と恩寵の拡大性・永遠性をみます。また神の人への歩み寄り、親しさをもイメージさせます。これがヘブル語「バーラフ」が持っているニュアンスです。さらには、そこに「選び」「使命」「導き」「育成」「豊満」「長寿」「平安」「守り」といった人にとっては尊いもの、幸いな事柄が含まれているように思います。このように、「バーラフ」は神の人に対する恩寵の統括用語とも言えるのではないでしょうか。
●人から人に対しては、「祝福する」と「神からの良きものを分かち与えること」という言葉になります。つまり、神から人へ、人から人へ祝福することを「受け継ぐべき祝福」と言うことができます。神からの祝福を私たちはどのように考えているかが重要です。神の祝福は自分だけのものではなく、自分を越えたよりグローバルな、より末広がりの神の恩寵です。しかもそれは永遠につながっていく性格を有しているものです。
●そして人から神に対するとき、それは「賛美、たたえ」となり、神があがめられることになります。こうした『祝福の循環の恵み』こそが「べラーハー」(בְּרָכָה)であり、「ユーロギア」(εὐλογία)なのです。
2. 祝福の神―循環する祝福の連鎖
●パウロは、この「祝福の循環の恵み」、すなわち、「祝福は祝福を生み出し、神を賛美し、神をあがめるようになる」ということを、Ⅱコリント9章6節以降で教えようとしていると思われます。パウロはその「祝福のあふれ」を、「ことばに表せないほどの賜物のゆえに、神に感謝します」と結論づけているように思われます。
●私たちの神を祝福の神として理解することが重要です。そしてその祝福を受けた者がそれに対してどのような生き方をするかも重要なのです。その視点から6節以降を見ていくと、いくつかの原則が見えてきます。
【新改訳2017】Ⅱコリント9章6~15節
6 私が伝えたいことは、こうです。わずかだけ蒔く者はわずかだけ刈り入れ、豊かに蒔く者は豊かに刈り入れます。
7 一人ひとり、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい。神は、喜んで与える人を愛してくださるのです。
8 神はあなたがたに、あらゆる恵みをあふれるばかりに与えることがおできになります。あなたがたが、いつもすべてのことに満ち足りて、すべての良いわざにあふれるようになるためです。
9 「彼は貧しい人々に惜しみなく分け与えた。彼の義は永遠にとどまる」と書かれているようにです。
10 種蒔く人に種と食べるためのパンを与えてくださる方は、あなたがたの種を備え、増やし、あなたがたの義の実を増し加えてくださいます。
11 あなたがたは、あらゆる点で豊かになって、すべてを惜しみなく与えるようになり、それが私たちを通して神への感謝を生み出すのです。
12 なぜなら、この奉仕の務めは、聖徒たちの欠乏を満たすだけではなく、神に対する多くの感謝を通してますます豊かになるからです。
13 この務め(διακονία)が証拠となって、彼らは、あなたがたがキリストの福音の告白に対して従順であり、自分たちや、すべての人に惜しみなく与えていることを理解して、神をあがめるでしょう。
14 そして彼らは、あなたがたのために祈るとき、あなたがたに与えられた、神のこの上なく豊かな恵みのゆえに、あなたがたを慕うようになります。
15 ことばに表せないほどの賜物のゆえに、神に感謝します。
- 各自、上記の箇所から重要なフレーズ、あるいは節を選んで分かち合ってみましょう。
(1)第一の原則
「わずかだけ蒔く者はわずかだけ刈り入れ、豊かに蒔く者は豊かに刈り入れます」
① 原則に基づく要求
「一人ひとり、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい。」
② 原則の根拠
(a)「神は、喜んで与える人を愛してくださる。」
(b)「神は、あらゆる恵みをあふれるばかりに与えることがおできになる。」
(c) 「彼は貧しい人々に惜しみなく分け与えた。彼の義は永遠にとどまる。」
③ 原則の目的
「すべてのことに満ち足りて、すべての良いわざにあふれるようになるため。」
(2) 第二の原則「祝福の循環の恵み」
① 神から人へ
「種蒔く人に種と食べるためのパンを与えてくださる方は、あなたがたの種を備え、増やし、あなたがたの義の実を増し加えてくださいます。」
② 人から人へ
「あらゆる点で豊かになって、すべてを惜しみなく与えるようになる」
③ 人から神へ
「それが私たちを通して神への感謝を生み出すのです。」
(3)「祝福の循環の恵み」の言い換え
① 人から人へ
「この奉仕の務めは、聖徒たちの欠乏を満たす。」
② 人から神へ
「神に対する多くの感謝を通してますます豊かになる。」
③ 人から人へ、人から神へ
12~14節。
●人から人への祝福を、ここでは「奉仕の務め」(ἡ διακονία τῆς λειτουργίας)、ないしは、「務め」(διακονία)としています。献金もここでは人と神に対する奉仕の務めの一つと、パウロはみなしているのです。
(4) 「祝福の循環の恵み」の総括的表現
「ことばに表せないほどの賜物のゆえに、神に感謝します。」(15節)
●ここでは「祝福」を「賜物」と言い換えています。
●パウロにある源泉的な事柄を理解する時、献金や奉仕、礼拝、賛美が一体の事柄であることが分かって来るのです。
わずかだけ蒔く者はわずかだけ刈り入れ、
豊かに蒔く者は豊かに刈り入れます。
2019.5.16
a:3494 t:2 y:5