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聡明なアビガイルの進言に助けられたダビデ

22. 聡明なアビガイルの進言に助けられたダビデ

【聖書箇所】 25章1節~44節

はじめに

  • ダビデは預言者サムエルを通して、やがてイスラエルの王となることを告げられて油注ぎを受けます。しかしダビデがイスラエルの王ととして整えられ、磨き上げられていくためには神の訓練が必要でした。ダビデが王となるまでに記されている出来事はすべてその視点から取りげ上げられています。
  • 24章においてダビデが受けた訓練は「柔和であること」でした。「柔和である」という品性は新約では御霊の実として取り上げられています。つまり相手に復讐できる立場に立った時に、敢えてそれをしないというセルフコントロール(自制心)の力です。イエスも「柔和な者は幸いです。その人は地を相続するからです。」(マタイ5:5)と語っておられます。
  • 24章も25章も「柔和であること」の訓練が取り扱われています。24章ではダビデ自身が自分の良心から問いかけられていますが、25章ではナバルの妻アビガイルの進言によって問いかけられています。神はときおり人を通しても訓練されるのです。

1. ダビデの要求を拒んだナバル

  • ダビデとその部下たち(当初は400人だったのが、この頃には600人に増えていた)がどうのようにして生計を立てていたのかを窺い知ることのできるのが25章です。ダビデとその一行は多くの財産を持つ者の用心棒的集団であったようです。事業家のナバルの財産である羊の群れをダビデは守っていました。ダビデが大変良くしてくれることをナバルの羊飼いたちは知っていました。
  • ある祝いの日に、ダビデはナパルに自分たちに何らかの好意を示してくれるようにと使いの若者を通して頼みましたが、ナバルはダビデのことをどこの馬の骨ともわからないような者と言い、その要求を拒みました。
  • その一部始終を聞いたダビデは部下たちに剣を身に着けさせ、戦の準備をしたのです。
  • この「ナバル」という人は名前のごとく「ナーヴァール」(נָבָל)、つまり「愚か者」でした。ダビデの善意を悪意をもって報いたのです。当然ながら、ダビデは怒り、ナパルを殺そうとしたのです。しかし、その時・・・

2. ナバルの妻アビガイルの進言に感服したダビデ

  • 事の次第を羊飼いの若者がナバルの妻であるアビガイルに伝えました。このままではわざわいが及ぶことを伝えました。主人のナパルはだれの進言も受けつけようとしない「よこしまな者」(岩波訳では「どうしようもないお方」と訳しています。字義的には「無価値な者の息子」という意味)だとアビガイルに訴えたのです。
  • そこでアビガイルは夫には内緒で、ダビデのところに多くの食べ物をろばに載せて出かけました。ちなみに、25章3節にはアビガイルという女性が「聡明で美人であった」と記しています。聖書の中には、容姿がとても美しい女性、あるいは聡明な女性がおりますが、この二つを兼ね備えていたのはアビガイルだけのようです。
  • その彼女がどのようにダビデに進言したのかは、必見の価値があります。

    【新改訳改訂第3版】
    Ⅰサムエル 25章
    25 ご主人さま。どうか、あのよこしまな者、ナバルのことなど気にかけないでください。あの人は、その名のとおりの男ですから。その名はナバルで、そのとおりの愚か者です。・・

    230 【主】が、あなたについて約束されたすべての良いことを、ご主人さまに成し遂げ、あなたをイスラエルの君主に任じられたとき、
    31 むだに血を流したり、ご主人さま自身で復讐されたりしたことが、あなたのつまずきとなり、ご主人さまの心の妨げとなりませんように。・・・」

  • ダビデはアビガイルの進言に対して、ことのほか感服したようです。

【新改訳改訂第3版】Ⅰサムエル 25章
32「きょう、あなたを私に会わせるために送ってくださったイスラエルの神、【主】がほめたたえられますように。
33 あなたの判断が、ほめたたえられるように。また、きょう、私が血を流す罪を犯し、私自身の手で復讐しようとしたのをやめさせたあなたに、誉れがあるように。
34 私をとどめて、あなたに害を加えさせられなかったイスラエルの神、【主】は生きておられる。もし、あなたが急いで私に会いに来なかったなら、確かに、明け方までにナバルには小わっぱひとりも残らなかったであろう。」
35 ダビデはアビガイルの手から彼女が持って来た物を受け取り、彼女に言った。「安心して、あなたの家へ上って行きなさい。ご覧なさい。私はあなたの言うことを聞き、あなたの願いを受け入れた。」

  • 話の結末として、ナパルは10日ほどして主に打たれて死にました。そして残されたアビガイルはダビデの妻となります。
  • ダビデの周辺にはヨナタンやアビガイルのような人との出会いに恵まれていたといえます。その点ではサウルは悲しいかな、彼を支える人と出会わなかったのです。人との出会いはまさに神の賜物であることを思わせられます。

3. アビガイルの進言は、聖霊の進言のたとえ

  • 最後に、アビガイルの進言は、聖霊の進言のたとえとして受けとめるべきです。もしアビガイルの進言がなければ、ダビデは肉の思いからナパルの家に復讐していたに違いありません。肉の思いは自己中心です。常に、自分の立場から物事を見ようとし、後先を考えません。常にそれが正しいことだと思い込みます。そして肉の思いに従うことは心地よいことでもあるのです。しかし、御霊の思いは常に冷静です。静かに訴えかけます。あるとき直接、その人の心の良心に進言します。あるとき人を通してかもしれません。その御霊の語りかけに従うなら、神のみこころのうちを歩むことが出来ます。肉の思いは神のみこころに従うことが出来ないのです。
  • 私たちの毎日の言動を、静かに振り返り、思い起こして、御霊のフィルターを通して再度、検討する必要があります。そのようにして私たちは肉の思いから、神の思いへと導かれ、それに従う力が与えられると信じます。その意味での日々の「静まり」はとても重要なのです。

2012.6.30(私の父の25年目の命日)


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