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見よ。わたしのしもべは栄える

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42. 見よ。わたしのしもべは栄える

【聖書箇所】 イザヤ書52章13節

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【読み】
ヒンー ヤスキール アヴディ ヤーーム ヴェニッサー ヴェガーヴァハ メオー

【文法】
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【翻訳】

【新改訳改訂3】
見よ。わたしのしもべは栄える。彼は高められ、上げられ、非常に高くなる。
【口語訳】
見よ、わがしもべは栄える。彼は高められ、あげられ、ひじょうに高くなる。
【新共同訳】
見よ、わたしの僕は栄える。はるかに高く上げられ、あがめられる。
【NKJV】
Behold, My Servant shall deal prudently; He shall be exalted and extolled and be very high.

【瞑想】

【受難と復活節のための瞑想】

イザヤ書52章13節の後半には、高挙を表わす三つの動詞がー「高められ」(「ルーム」רוּם)「上げられ」(「ナーサー」נָשָׂא)「高くなる」(「ガーヴァハ」גָּבַהּ)ーが重ねられています。この三つのことばが一緒になって高挙の最高峰を示しているのです。使徒パウロはこの啓示を次のように述べています。

【新改訳改訂第3版】ピリビ2章9~10節
09 それゆえ神は、この方を高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。
10 それは、イエスの御名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが、ひざをかがめ、
11 すべての口が、「イエス・キリストは主である」と告白して、父なる神がほめたたえられるためです。

映画やドラマなどで、最初のシーンが最期のクライマックスの映像ではじまるような構成です。導入の「見よ」(ヒンネー)という言葉は、イザヤ書の特愛用語です。この印象的な「見よ」で、神の代弁者である預言者が思い浮かべる対象に人々の注意を向けさせます。その対象は「わたしのしもべ」、すなわち、「主のしもべ」です。

イザヤ書には四つの「主のしもべの歌」があります。
(1) 42:1~4・・・しもべの召命
(2) 49:1~6・・・しもべの使命
(3) 50:4~9・・・しもべの従順
(4) 52:13~53:12・・しもべの苦難と死(身代わりによる贖罪)

(4)では、主のしもべが最も高く挙げられているところから始まります。しかしそれはいかにしてなされたのか。そこには驚くべき受難の事実があります。その受難と最高峰の高挙の格差が余りに隔たっているために、人々は圧倒され、思わず口をつぐむほどの驚きなのです。それを説明する52章14~15節の文章は容易に理解できないほど難解なので、ここではリビングバイブル訳を援用したいと思います。実に原文の意味を解した訳となっているように思います。

【リビングバイブル訳】
ところが、彼を見て多くの人が驚く。 遠い外国から来た者や王は、その前に出ると、ことばもなく口がきけない人のように黙り込む。 今まで一度も見たことのないものを見、一度も聞いたことのないことを理解するからだ。 彼らは、ひどく打ちたたかれて血まみれになり、とても人間とは思えないほど顔かたちのくずれた、わたしのしもべを見る。 だが彼は、多くの国の人々をきよめるのだ。

新約聖書はイザヤ53章のしもべのことを、「私たちの罪を負って十字架につかれたイエス・キリスト」だと解釈しています。イエスの弟子のひとりピリポは、イザヤ書53章7~9節を読んでいたエチオピアの宦官の「預言者はだれについて、こう語っているのですか」という質問に対して、それはイエスのことだと伝え、そのことを信じた宦官に洗礼を授けました(使徒8:26~40参照)。

イザヤ53章7~9節(新改訳改訂第3版)
7 は痛めつけられた。は苦しんだが、口を開かない。ほふり場に引かれて行く羊のように、毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、は口を開かない。
8 しいたげと、さばきによって、は取り去られた。の時代の者で、だれが思ったことだろう。がわたしの民のそむきの罪のために打たれ、生ける者の地から絶たれたことを。

【付記】
Above His Name ⇒楽譜

2013.3.28


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