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詩14篇の修辞

詩14篇の修辞


「腐っている」「腐り果てている」という「愚か者」の比喩的表現

14:1「愚か者は心の中で、『神はいない。』と言っている。彼らは腐っており(שָׁחַת)・・
14:3「彼らはみな、離れて行き、だれもかれも腐り果てている(אָלַח)。」

1. 「愚か者」の意味

  • 詩篇14篇の1節に出てくる「愚か者」という言葉はナーヴァールנָבָל(naval)で、詩篇で初めて登場します。旧約では19回、詩篇では5回(14:1/39:8/53:1/74:18, 22)。
  • サムエル記第一25章には、この名前を持った人物ナバル(Nabal)がいます。ダビデはナバルの事業を安全に守ったその当然の見返りとして、食料の提供を申し出ましたが、ナバルがそれを断わったことでダビデはあやうく彼を殺そうとします。それまで自分を不条理に追跡するサウル王に対しては、油注がれた者として自分からは決して手をかけなかったダビデでしたが、この時ばかりはダビデも逆上してしまいました。そのときに止めに入ったのが、ナバルの妻アビガイルでした。「ご主人さま。どうか、あのよこしまな者、ナバルのことなど気に掛けないでください。あの人は、その名のとおりの男ですから、その名はナバルで、そのとおりの愚か者です。・・主が、あなたについ約束されたすべての良いことを、ご主人さまに成し遂げ、あなたをイスラエルの主に任じられたとき、むだに血を流したり、ご主人さまご自身で復讐されたりしたことが、あなたのつまずきとなり、ご主人さまの心を妨げになりませんように。・・」(サムエル第一、25:23~31)とダビデの足もとにひれ伏して説得する彼女のとりなしによって、ダビデは思いとどめたのでした。
  • 賢くふるまったナバルの妻と、名前の通りの夫ナバルの愚かな行為は対照的です。このいきさつを知ったナバルは気を失って石のようになり(おそらく脳梗塞でも起こしたと思われます)、10日後に主に打たれて死にました。そして、未亡人となった賢いアビガエルはダビデの二番目の妻となりました。
  • イエスの語られた「たとえ話」(ルカ12:16~21)の中で、神が「愚か者」と呼ぶシーンがありますが、「愚か者」は、心の中で、「神などいない」と自ら結論づけて、高を括っています。「愚か者」の動詞ナーヴァルנָבַלは、「軽んじる」(申命記32:15)、「高ぶって愚かなことをする」(箴言30:32)、「(主を)はずかしめる」(エレミヤ14:21)、「侮る」(ミカ7:6)といった意味があります。

2. 「愚か者」の暗喩

  • そうした「愚か者」を、詩篇14:1では「腐っている」シャーハトשָׁחַת(shachth)と比喩的に表現しています。14:3にある「腐り果てている」は別の用語で、「アーラハ」אָלַח(‘alach)。旧約では3回しか使われていません(Job15:16/Ps14:3/Ps53:3)。
  • 「腐っている」と訳されたシャーハトשָׁחַת(shachth)は、「破壊する」「滅ぼす」「堕落する」「腐敗する」という意味があります。旧約では155回。詩篇では9回(14:1/53:1/57:T/58:T/59:T/75:T/78:38/98:45/106:23)使われています。
  • シャーハトשָׁחַתの第一の用法は、「破壊する」、「滅ぼす」の意味で使われます。創世記6章では地は神の前に「堕落した」こと、9章では大洪水によって「滅ぼす」こと、18章ではソドロとゴモラの町がその咎のために「滅ぼし尽くされる」ことが記されています。
  • シャーハトשָׁחַתの第二の用法は、食べ物のように「腐って」しまい、もはや捨てるしかないという道徳的腐敗を示す比喩として用いられます。詩篇14篇を引用した使徒パウロは、ローマ人への手紙3:12節で、「無益な者となった」(新改訳、岩波訳)〔〕と記しています。

〕ローマ3:12の他の訳として、

  • 「役に立たないものとなっている」(フランシスコ会訳)
  • 「腐敗・堕落に身を任せている」(柳生訳)

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