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詩22篇の修辞(2)

詩22篇の修辞(2) 「虫けら」という暗喩


  • 詩篇22篇の6節に「わたしは虫けらです」という暗喩があります。「虫けら」(単数)と訳された「トーレーア」(תּוּלֵעָה)は、旧約で41回使われていますが、詩篇では22:6の1回のみです。イザヤ41章14節にも「虫けら(複数)のヤコブ」が使われています。他のほとんどは、幕屋や神殿で使われる「緋色の撚り糸」という意味で使われています。イザヤ1章18節の「たとい、あなたがたの罪が緋のように赤くても、雪のように白くなり、たとい、紅のように赤くても、羊の毛のようになる。」と同義的並行法を用いながら、憎むべき罪の色を「緋色、深紅色」にたとえています。
  • 「虫」「うじ虫」「虫けら」と訳される「トーレーア」(תּוּלֵעָה)は、出16:20のように,モーセの言うことを聞かずに、次の朝まで残していたマナに「虫」がわいて悪臭を放ったとあるように、文字通りの「うじ虫」を意味します。しかし、詩篇22篇6節では、弱く惨めな状態にある者に対するたとえです。詩篇22篇6節では「人間ではない」とまで付け加えて説明されています。つまり、それほどまでに取るに足りない者をたとえる表現です。詩篇22篇はメシア詩篇として、この「わたしは虫けらです」という表現は暗喩として、主イエスが人間によって侮辱され、恥辱を経験されたことを思い起こさせます。
  • イザヤ41章14節にある「虫けらのヤコブ」という表現がありますが、一見、惨めな状態にあるヤコブに対して、「恐れるな。虫けらのヤコブ、イスラエルの人々。わたしはあなたを助ける。―主の御告げーあなたを贖う者はイスラエルの聖なる者。見よ。わたしはあなたを鋭い、打穀機とする。あなたは、山々を踏みつけて粉々に砕く。丘をもみがらのようにする。」と預言されています。これはおそらく終末のキリストの再臨時になされる出来事だと思われます。虫けらのような惨めで弱いイスラエルの民が、やがては敵を完全に打ち破り、支配する民となることをたとえている表現です。
  • 詩篇の22篇6節にある「虫けら」も、一見弱く、惨めな姿ですが、この虫が幕屋で用いる緋色の撚り糸の染料となる虫を意味しています。もちろん、この虫を押しつぶして殺すことによって緋色の色素を取り出すのです。いつまでも色あせることのない緋色の染料。緋色の衣服は非常に高価なものであり、お金持ちや貴人たちだけがそれを着ることができたようです。モルデカイやダニエルも「緋色のマント」をまとったことが聖書に記されています。新改訳では「紫の衣」訳されています。
  • 「緋色」とは本来「虫の輝き」を意味します。メシアを予告する「わたしは虫けらです。」というたとえは、メシアなるイエス・キリストが押しつぶされて死ななければならない存在であること、しかもそれは私たちが栄光を与えられるためでした。私たちの輝かしい真っ白な救いの衣は、イエスの流された血潮によって、つまり主の死と苦難の結果として与えられたものなのです。

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