詩34篇の修辞
詩34篇の修辞 「若い獅子」
- 詩34篇の10節にある「若い獅子」という表現に注目したいと思います。
- 34:10
若い獅子も乏しくなって飢える。
しかし、主を尋ね求める者は、良いものに何一つ欠けることはない。
- 34:10
- この10節は、反意型並行法(パラレリズム)です。前半が「乏しくなって飢える」のに対して、後者は「良いものに何一つ欠けることがない。」となっていて、明らかに後者を強調しようとしています。つまり、「若い獅子(原文では複数)」にまさる「主を尋ね求める者(原文では複数)」の祝福を述べています。
- 「若い獅子」(young lion)と訳された「ケフィール」כְּפִירは、LXX訳で「富める者」と訳されています。つまり、「富める者も貧しくなって飢える」という意味で訳しています。
- 「新聖書辞典」(いのちのことば社)によれば、「獅子」をあらわす用語がヘブル語には7つあると記されています。その中で、「若い獅子」は、「獅子の子と違い,自分でえさをとることができるほどに成長した獅子のことである(イザ11:6, エレ25:38,51:38a,ゼカ11:3)」と説明されています。獅子は「百獣の王」と言われるほど他を圧倒する力強い存在です。しかも、「若い獅子」は自分の力で十分に飢えることなく、たくましく生きていける獣です。しかしその「若い獅子」さえも、食べ物を得ることがなく、飢えることがあり、それによって命を落とすことさえあるのです。ところが、詩篇34:10では、主を尋ね求める者は、すべての良いもの、すべての必要なものに欠けることがないとしています。まさに驚くべきことが語られています。
- 「若い獅子たち」にまさる「主を尋ね求める者たち」にもたらされる驚くべき祝福。イエスも「種まきのたとえ」の中で、良い地に落ちた種は、30倍、60倍、百倍の収穫をもたらすと語られました。自然界において、収穫が10倍と聞くだけでもそれは驚異的です。しかし、神の国における収穫は私たちの想像をはるかに越えた百倍のものが約束されているということです。「天にあるすべての霊的祝福」はキリストによってすでに備えられており、私たちはそのうちのわずかな分を今受け取ることができます。しかし神の国の完成時には、そのすべてが与えられるのです。
- 主を「尋ね求める」と訳された動詞は「ダーラシュ」דָּרַשׁ(darash)です。34篇には4節と10節の2回使われています。
「私が主を(尋ね)求める(דָּרַשׁ)と、主は答えてくださった。」(4)
「主を尋ね求める(דָּרַשׁ)者は、良いものに何一つ欠けることはない。」(10)
- 「尋ね求める」(ダーラシュ)とは、苦しみや不在経験を通りながらも、私たちが心と思い(精神)と力を尽くして神を尋ね求めることを意味します。その祝福は、
①決して見捨てられることがなく、必ず主が答えて下さること
②良いものに何一つ欠けることがないこと
③ひろやかに(自由に、柔軟に)歩くことができること
・・などです。 - 「ダーラシュ」דָּרַשׁ(darash)については、こちらを参照。
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