詩9篇の修辞
詩9篇の修辞 「自滅」
国々はおのれの作った穴に陥り、おのれの隠した網に、わが足をとられる。
主はご自身を知らせ、さばきを行われた。
悪者はおのれの手で作ったわなにかかった。(9:15~16)
はじめに
- 日本語の慣用句に「墓穴を掘る」と同様の表現が、ヘブル人の感覚にもあるようです。詩篇7篇にも「自滅の思想」がありました。そこでも、「彼(悪者)は穴を掘って、それを深くし、おのれの作った穴に落ち込む。」(7:15)とあります。また、「その害毒は、おのれのかしらに戻り、その暴虐は、おのれの脳天に下る」(7:16)という表現も同様に、自滅の比喩です。
- 主のもとに「身を避ける」(7:1)という行為と「私の盾は神にある」(7:10)という信仰告白が、自分に悪を企てようとする者たちに対して、具体的にどう対処すべきかが問われます。ダビデは、悪人(神に敵対する者)が自分の作った穴に自ら陥って自滅するという運命にあるという原則があることを悟って、自分からは何も対処せず、ましてや、復讐することもせずに、神にゆだねることをした人でした。
1. 神の不思議なさばきの妙としての「自滅」
- 詩篇9篇は、義の審判者として王座に着かれる主のさばきがテーマですが、そのさばきの不思議さのひとつに「自滅の原則」があります。「国々はおのれの作った穴に陥り、おのれの隠した網に、わが足をとられる。主はご自身を知らせ、さばきを行われた。悪者はおのれの手で作ったわなにかかった。」(9:15~16)とあるように、神が直接、手を下さなくとも、悪はみずからさばかれ、自滅する性質があるということです。これは詩篇の悪に対する特徴的な考え方です。それゆえ、主にある者たちは、むきにならなくても良いということです。
- 詩篇では、先にあげた7:15、他にも、57:6、64:2、141:9に「悪の自滅の原則」が見られます。
2. 聖書における「自滅」の例
- 「悪者は自滅する」例としては、いくつか聖書の中にその実例をみることができます。
(1) ダビデの息子アブシャロムの例
父ダビデに対して、周到な準備をしてクーデターを起こしたダビデの息子アブシャロムの企ては、有能な側近アヒトフェルの進言を退けたことでいとも簡単に失敗に終わりました。
(2) ペルシャ王の側近ハマンの例
ペルシャ王の側近ハマンに対してひざをかがめてひれ伏そうとしなかったユダヤ人モルデカイの態度に憤ったハマンは、モルデカイひとりだけでなく、国中のユダヤ人撲滅を企てようとします。ところが、モルデカイ殺害のために用意した柱に、ハマン自身が掛けられてしまいました(エステル記7:10)。この出来事は「プリムの祭り」として今も記念されています。
- 20世紀にユダヤ人撲滅を謀ろうとしたヒットラーはハマンのような人物でした。彼は自分の帝国を築こうとしましたが、やがて自殺しなければならない墓穴を掘りました。
(3) 律法学者、パリサイ人の例
律法学者やパリサイ人たちはいつもイエスを陥れようと企みましたが、その都度、彼らは墓穴を掘りました。たとえば、ヨハネの福音書8章の出来事(姦淫を犯した女に対してイエスはどう対処するか)がそうでした。その場面でイエスは「あなたがたのうちで罪のないものが、最初に石を投げなさい。」(8:7)と言いました。それを聞いた彼らは、年長者たちから始めて、ひとりひとり出ていきました。イエスを陥れようとした者たちは、予期せぬ形で、不意に封じられました。この出来事は、「しかし神は、矢を彼らに射掛けられるので、彼らは不意に傷つきましょう。彼らは、おのれの舌を、みずからのつまずきとしたのです。」(詩篇64:7~8)の新約版と言えます。
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